森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ガリバーこと安土修二と何十年ぶりに電話で話した。ガリバーが1970年頃に撮ったある写真をDVDに使いたく本人に確認をとろうとしたが行方が知れず、その直後偶然ボーカルこと大野真澄との雑談で、「昨日ガリバーから電話があってさ」「マジ! じゃ、ボーカル、ガリバーの連絡先知ってるんだ?」「知ってるよ。たまに連絡ある」と、意外な展開となり、ボーカルから聞いた電話番号に電話した。

その声、まったく変わっていない。若々しい。

ガリバーは世に言う「カリスマ」の元祖だ。60年代に新宿のアンダーグラウンド・シーンに君臨した芸術ヒッピーであり、マスコミは「神」とさえ呼んだ。実際哲学者のような風貌をしていた。ぼくはなんとなくガリバーとは知り合いで、仕事は一度だけした。ガリバーは写真家でもあったので、一度大林宣彦の写真を撮ってもらった。

何十年ぶりの会話でも、あまり「久しぶり」感はない。借りたい写真のプリントがあるのか、訊いた。探せばネガはあるだろうけど、かなり傷んでるかもしれない。という話しから、保存について話した。

ガリバーは言う。60年代に20本ほど芸術映画を制作した。そのことを美術館が調べてコレクションにしたいと言ってきた。ところがガリバーのもとには半分ほどしか作品が残ってない。しかもその残っているフィルムも傷みがひどい。

「撮りっぱなしで、ちゃんと保存してなかったからね」

電話でちょっと確認するつもりが、話しが弾み、70年代はじめにガリバーがロンドンで会ったというヒプノシスまで話題にし、30分ほどの会話となった。ゆっくり話そうと近々会うことになった。

ボーカルに電話した。ガリバーのフィルムが紛失したり傷んでしまったという話しをした。ボーカルも昔の大事な録音テープが傷んでしまったと言う。ボーカルは元ガロのメンバーで、彼が歌った『学生街の喫茶店』はグループ最大のヒットとなった。いまもソロで音楽活動をつづけている。

「森永君なんかも、いろいろ貴重な資料持ってるでしょ。ちゃんと保存してる?」

「最近、トランク・ルームのなか調べたら、ぼくのは紙ものだから、相当やられてた。やっぱり湿気でやられてる」

そんなふたりとの会話のあと、またトランクの中の紙の束を探っていると、秋山道男といっしょに制作したフリー・ペーパーが見つかった。スーパー・エディターの秋山さんとはまさにガリバーやボーカルと出会ったころに親しくなった同時代的友人だ。出会った頃は若松孝二監督の助監兼役者だった。

フリー・ペーパーは〈無印良品〉青山一号店のオープンにあわせて発行した。タイトルは『PASAR』、バザール、市場。創刊号は1983年6月20日発行。発行元は西友。責任編集は秋山道男と森永博志の連名。

これはボール紙のような厚手の紙を使用。輪転機を通るギリギリの厚さだ。

表紙に、秋山さんが、こんな粋な小文を書いている。あまりな個人的な内容に、当時の創作の自由さを感じる。


ねえ、モリナガくん、

創刊号のテーマは、

『市場、その興奮と安らぎのスペクタクル』

----ってな感じでどうだろう?

ま、市場のハゲシイ詩情、というか---。

はい、アキヤマさん。

ぼくァ、『無趣味主義』なんてェのも、

テーマにしたい。

「無趣味は一種のイイ趣味」---かなァ、

そのあたりを---。

そうね、そのへんを合体させて、

困ったような、

楽しいような、

八頁にしましょう。


編集会議を再録している。肉声というか。このセンスが〈無印良品〉のフリー・ペーパーにはふさわしいかったのかな。

そのころぼくは劇画の始祖・山川惣治と仕事をし、マネージメント業務も依頼されていたので、表紙を飾る市場絵を山川さんに描きおろしてもらった。このころ山川さんは文庫版『少年ケニア』復刊で人気が沸騰していた。

表紙をあけると、褐色の見開きページに、なんと、写真の手札サイズのプリントが貼り付いている。文章は当時『バンツをはいた猿』で一躍有名になった経済人類学者の栗本慎一郎。写真には、いったいいつの時代か、アラビアン・ナイトを想わせる幻想的世界。写真の裏に「ラジャスタン地方ブシガールのラクダ市。写真・内藤忠行」とクレジットされ、その写真をめくると、本文紙に詩が印刷されている。詩は、当時電通社員のCFディレクター杉山恒太郎が書いている。

詩は素晴らしい。


遠い国では

腹の底から声を投げ合った

商業は 堂々とした職業であった

正しい姿勢で 大声を出すものであったから

彼らの頬は いつも艶艶とし

並べられた商品は いつも健康を 自慢しあったのだ

「おーい

そこの 様子のいい お兄さん

よっといでー!」

その市場の裏手にある

観覧車に乗った 少年には

そんな父の声が

太陽より まぶしく聞こえるのであった


杉山さんは、当時、アルチュール・ランボーのイメージで砂漠を舞台にしたサントリーのCFを制作していた。それはCF史上最も詩情と芸術性に溢れた作品だった。

次の見開きに、再び山川さんの大作!アフリカの市場の、 その描き込みの凄さ!そこに読者投稿の呼びかけと〈無印良品〉青山店の情報。

そして、次の見開きは『十一人のパサール』と題し、糸井重里、景山民夫、小林薫、細野晴臣ら秋山さんとぼくの友人たちによる紙上バザール。ピカソの版画からベンツSLまで、各人が様々の商品を持ち寄った。実際、読者は購入できた。

最後のページは、『篠原勝之の単衣思想シリーズ〈その1〉二枚重ねトイレットペーパーの詩』というコラム・ページ。クマさんこと自称ゲージツ家の篠原勝之は当時『笑っていいとも』にレギュラー出演していた。スーパー・リアリズムの商品画を鈴木清順「チゴイネルワイゼン』の美術を担当した多田佳人が描いている。


ようは秋山さんとぼくの友人たちを結集して制作している内輪の創作物なのだが、各々各界の重鎮なので、特異なものになっている。〈無印良品〉の創生期の記念すべき紙物だ。

それにしても山川さんのアフリカの市場絵はいま見ても迫真的で、そのころ80代だった思うが、タッチに力強さを感じる。

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