プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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深夜、三田の〈ガスト〉。最近よく足を運んでいる。
四人掛けのテーブルを占領し、そこに原稿用紙やペン、カセット・テープレコーダーなどをひろげ原稿を書いたり、企画書を作ったり、昨日はシナリオを作成していた。
〈ガスト〉にいるのが癖になってしまった。
キッチンに響く食器のぶつかるノイズ、客たちのささやき声、注文用の呼び出しベル、繰り返し低く流れるユーミンの歌、酔客の怒鳴り声、笑い声など店内に満ちるざわめきが深夜に心地よい。
そんな町中的環境が、今の自分の性にはあっているようだ。
シナリオを書きながら、今まで自分は映画に関し何をしてきたかなぁと思い浮かべていた。
1970年代の初めには、ブライアン・ジョーンズを追悼するストーンズのハイドパーク公演のドキュメンタリー・フィルムの上映会をよくしていた。
ほかにクリームの解散コンサート、ドアーズのコンサートのドキュメント・フィルムの上映もしていた。いずれも長編物だった。
70年代後半には音楽物のドキュメンタリー・フィルムの脚本を書いた。
80年代には自著『原宿ゴールドラッシュ』が黒澤明のプロダクションで映画化されるという企画が持ち込まれ、シナリオを書いたが、実現はしなかった。その代わり、東映で、和泉聖治監督によって映画化された。
90年代初め、CREAMSODAの山崎眞行氏の提案で、ぼくがシナリオを書き、カメラを回し監督したビデオ映画『LEGEND of ROCK’aBEAT』を制作した。
BLACKCATS、MAGIC、BLUEANGELが出演したネオ・ロカビリー・フィルムで、オープニングは北海道大雪山の山中で、激寒の真冬、MAGICのドラマー、久米浩司が上半身裸でドラムを叩くシーンを撮った。
久米の体は寒さで真っ赤になり、カメラを持つぼくの手も動かなくなった。
壮絶なロケだった。
そのせいもあってビデオ映画は異様なテンションをみなぎらせることになった。
入魂すれば傑作ができると信じていた。その入魂のセレモニーが凍傷寸前までいった大雪山山中の撮影だった。
その『LEGEND of ROCKaBEAT』はヒットしたので、メーカー側が気をよくし2作目はロンドン・ロケでと提案してきたが、1作目以上の入魂の場面が想像できなかったので、ぼくはロンドンには行かなかった。
ぼくは何か迷信のように、入魂のシーンがひとつあれば、映画は傑作になると信じていた。そのことにはなんの根拠もない。
『LEGEND of ROCK’aBEAT』には山崎氏のお父さんも出演しているが、衣装のロングコートは、ぼくが着ていたカシミヤのアルマーニ、山高帽はロンドンの蚤の市でみつけ撮影用に買ってきたものだ。
深夜の〈ガスト〉にいると、突然山崎氏が姿を見せるような気がして、『LEGEND of ROCK’aBEAT』を制作した1992年が遠い昔には思えない。
シナリオは第1稿がほぼあがったが、入魂のシーンがまだ思いつかない。