プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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年末なので、ノート類をしまってあるサイドボードを片づけていたら、すごいものが飛びでてきた。
1978年ごろに、〈クリームソーダ〉と組んで制作した『ロックンロール・ピンナップ』だ。
それは当時はまだなかったが、CDのジャケットをひとまわり大きくした正四角形サイズのピンナップ100枚を1セットとしたものだった。
アート・ディレクターはまだ世に出てなかった立花ハジメ。彼のアート作品の他に、50S、ロックンロールに関するイメージ(写真、コミックス、絵)で一冊構成した。
作品集は本のようにとじてなく、紙ケースにいれ、1枚1枚とりだして壁にピンナップできるようにした。
売っていたのは〈クリームソーダ〉の直営店だったのに、コレがニューヨークにまで流れていった。
そのころ、ロック・フォトグラファーNO.1のボブ・グルーエンと親しくなった。彼はジョン・レノンやクラッシュを撮っていた。他に、内田裕也氏がハドソン河を泳いだパルコのTVCFのスチールも撮っていた。
ボブ・グルーエンと話すと、彼はニューヨークでその『ロックンロール・ピンナップ』を手に入れ、自宅の部屋にはっていると言った。
そのころはいちばん、「既成」にとらわれない、自由な発想でモノをつくろうとしていた。
出版社だとなかなか自由がきかないので、出版社で仕事をするかたわら、〈クリームソーダ〉と組んで自主制作で変わったものをつくっていた。
変わっていればいるほど価値があった。
その1年後に、〈クリームソーダ〉のオーナーの山崎眞行氏を組んで『テディーボーイ』を制作した。
これは自分の手元に今ないが、ものすごいパンクでアヴァンギャルドなグラフィティー・ブックだった。
今やもう入手困難かもしれないが、何とか見つけだして、このwww.で公開したい。
それはロンドンにまで流れていった。