プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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アイランド・トリップ
その日、ガイドについてくれた人は以前は麿赤児主宰の大駱駝館にいた、という暗黒舞踏家だった。
だから初対面の印象はアウトドアスポーツマンというより荒修行で心身を鍛えあげた密教系僧侶を思わせた。
彼は田脇総徳という。
島に暮らして10年以上になる。年の頃、40代、半ばか。
総徳さんはシーカヤックによる海洋トレックや時に野営もする山岳トレックのガイドを生業としている。
その島はサマセット・モームの南海小説ではないが、一年中雨が降っている。
車は「時計の針でいう2時の方向に向かってます」と総徳さんが船長のように言う。
雨は朝から降り続く。昨日も、明日も。
「『雨を見たかい?』という歌、あったわね」と連れのY女史が呟く。
「誰の歌ですか?」と総徳さんが訊く。
「クリーデンス・クリアーウォター・リバイバル」とY女史が答える。
その歌のメロディーが鮮烈に頭に浮かぶ。
歌に歌われた雨はベトナム戦争と関係があったのでは? と思いを巡らすが、思考は雨にうたれ続かない。
総徳さんが暮らす島は屋久島だ。
2015年7月中旬、屋久島を訪ねた。
商用を兼ねたプライベートな旅で、羽田から伊丹へ飛び、プロペラ機に乗り換え屋久島へ南下した。
大型台風が接近する最悪の気象ではあったが、伊丹からのプロペラ機は微動だにせず、1時間40分後、突撃音とともに屋久島空港に無事着陸した。
宿泊は山麓の森林地帯にひそむ〈サンカラ〉。
雨にけぶる屋久島そのものがもののけ的幻想境をイメージさせるのに、その仙境に建つ〈サンカラ〉は荘厳な神殿を想わせ、さらに非現実感は増す。
夜はコンテンポラリーなオープン・キッチンのカウンターにオーナーのH氏をはじめ、大阪や東京からやって来たHファミリーたちと陣取り、ビンテージ・ワインと総力をあげて美味探求したアイランド&ヌーベルキュイジーヌを堪能。
島の特産物を活かした芸術的ともいえるフランス料理の晩餐会は、ニューヨーカー御用達のカリブのフランス領の島々のラグシュアリーなアイランド・ライフを想い起こさせる。
パンフレットの写真は三好和義だった。ホテルの総支配人のSさんは旧友の小黒一三、松木直也、エドワード鈴木と知己であった。
料理人は三國の弟子たちだった。
屋久島で味わうアイランド・キュイジーヌは屋久島特産物のナチュラル・サイキックをも調理したインパクトある未知なる味覚だった。
H氏に訊く。
「初めて屋久島に来たのはいつですか?」
「5年前です。その年、私は厄年を迎え、厄落としのために島に来て、山に入りました」
H氏は年商1300億の企業の経営者だが、体脂肪ゼロに違いないその体躯はキック・ボクサーを想わせ、世俗の匂いがまったくしない。
翌日、総徳さんと山岳地帯を車で越えて屋久杉の森林へと向かったが、雨が激しくトレッキングを断念。
山を下り、沢歩きのできる山麓へと移動し、総徳さんの案内で、増水で激流となった川を遡り、岩盤の川床にたどり着き、そこで総徳さんが川の水を携帯ポットにいれてコーヒーを淹れてくれた。
「この石は花崗岩です」
ぼくらが、腰をおろしている平たい岩盤を総徳さんは指差す。
それから、島の先史を語り始める。
太古のむかし、海底地震で大きな地殻変動がおこり、地表の岩石、砂石が海底に崩れ落ち堆積し・・・やがて、億年の高温変成作用を経て海底で形成された花崗岩が地表に隆起しました、、、
「ということは、屋久島の地表は花崗岩ですか?」
「その通り。すべては花崗岩です!」
屋久島といえば、樹齢数千年の縄文杉で知られる屋久杉の森林だ。
ぼくはてっきり、栄養度たっぶりの腐葉土にめぐまれた環境かと思っていた。
「ちがうんです。岩のうえに森ができたんです」
岩に根を生やす。根は必死でへばりつく。降り続く雨や風にまけないように、必死で。それにより植物は強固な命を育てていった。樹齢7千年ともいわれる屋久杉が育っていった。
見回すと、大きな岩石にも小さな岩石にも植物が根を生やしている。
諺に、石の上にも三年という。
それで、根を生やすということか。
転がる石は苔むさない、という。
転がらなければ苔むし、そこに植物は根を生やす。
屋久島は転がらぬ石であった。
総徳さんとの対話に想像力の翼は果てしなく飛翔する。
小笠原のシャーマン、宮川典継のように島には語り部がいる。
総徳さんは島の起源から山岳や海洋の生態のこと、神のこと、島人の暮らしのこと、ビート詩人の山尾三省のことなど語ってくれる。
近くの、最近噴火した口永良部や離島にもカヤックで巡り、そのアドベンチャー・ライフのことも、鹿児島の離島から島々に寄港しながら沖縄まで行く船旅のことも話してくれる。
総徳さんとの対話をつづけるうちに、かつて、21世紀初頭に全日空の機内誌『翼の王国』に連載していた日本の島巡り記
『Sunshinboys go to wonderisland』を思い出していた。
それこそ、近くは江ノ島、北の果ての島から南の果ての島まで、太平洋から日本海、瀬戸内海、、写真家ブルース・オズボーンと編集者小倉崇とアイランド・トリップをつづけた。
宿や店の旅行情報はいっさい触れず、ひたすら森羅万象から受ける強烈なイマジネーションを表現していた。
テキストの元にあったのはサマセット・モームやレビィ・ストロース、金子光晴や中島敦だったり、歴史、地理、民俗、人、動物、植物、鉱物、天体、行事、民話、神話、芸術、芸能・・・あらゆるものに好奇心をはたらかせ、物語を紡ぎ出した。
何回やったのか、記憶にはない。
「森永さんは島々を回ってたのよ」とY女史が総徳さんに言う。
「どこの島が一番良かったですか?」と総徳さんに聞かれ、
「秋田県の日本海に飛島という島があって、そこから漁船で渡った無人島です」
「どんな島ですか?」
「島がすべて水晶なんです」
ふたりは、驚きの声をあげる。
「六角柱状の水晶が突き出てるんです」
「屋久島にも水晶はあります」と総徳さん。
東京に戻り、花崗岩のことを調べると、花崗岩の英語名はgranum、語源はラテン語。
種子を意味する、、、!?
屋久島でのH氏との商談はハワイのオアフ島で展開されることになった。
ぼくのアイランド・トリップは終わりそうにない。