プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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高橋歩が相棒のユーイチたちと沖縄の今帰仁村の山中にコテージを建設していると聞いて、見に行った。
いまや〈Beach Rock Village〉と称すその施設は世界的に知られるエコ・ヴィレッジとなっているが、ぼくが初めて訪ねたときは最初の一棟を建設中だった。
そのときユーイチから、隣りのムーミン牧場のことを聞いた。ホース・トレッキングのサービスをしているという。それも山を下り、町を抜け、海にでて、馬で海に入る。聞いて、凄いコースだなと好奇心が炸裂した。
島で馬に乗る!
ハワイならば簡単に体験できる。が、ぼくはハワイで馬に乗ったことがない。
馬に乗ってトレッキングしたのは、主にシルクロードの神峰や湖南省の辺境やモンゴルなど大陸である。
島で馬に乗った経験はある。
伊豆大島だ。三原山の噴火前まで、大島にはクレーターを馬でトレッキングするサービスがあった。
何度もぼくは島に渡り、火山に行き、馬に乗った。しかし、噴火後、馬はいなくなった。
沖縄で馬に乗れると知って、盟友の油井昌由樹を誘って乗馬に行った。本島だけでなく、南西諸島の果ての与那国島でも油井君の旧友のマーちゃんがホース・ライディングのサービスをしているというので、与那国まで遠征することにした。
本島でも、与那国でも、ホース・ライディングをはじめたのは、ぼくと同年令の男たちだった。
馬の魅力に取り憑かれた男たちだった。
以下が、そのふたりの男たちの素描だ。
沖縄「ムーミン牧場」
主宰者の山中利一さんはヒマラヤで
馬の魅力に取り憑かれた
山中さんが沖縄に移り住んだのは1974年、24歳のときだった。返還直後の沖縄は、山中さんが十代の終わりに旅した中南米の開放的な風土に通じるところがあり、夢に見ていた農場経営の第一歩を踏みだした。
山中さんは1950年生まれ、出身は神奈川。少年時代を横須賀で過ごした。16歳で老子の思想に触れ、自然に在ってこそ人という理念を早いうちに内に秘め、60年代の喧騒的な文化状況にはまったく無関心であったという。
19歳でマグロ漁船に乗り込みパナマに渡った。そのとき、航海中の慰めにと持ち込んだレコードが、なんとチャールズ・ミンガスの『直立猿人』であったという。そのレコードが一番愛した音楽だった。中南米に2年、途中アフリカにも遠征した。
帰国し、若くして現婦人と結婚した山中さんは飲食店を経営し、無欲の市井人として暮らしていたが、一冊の本との出会いが運命を変えた。その本は1950年に刊行された『マラバー農場』。アメリカのオハイオ州にはじまった新農法に関する本だった。酪農に興味を抱き、当初はその夢を追ってブラジルに渡ろうとしたが、勘がはたらいて沖縄に移住。ヤンバルに小さな土地を借り開墾をはじめ、20代のうちに30頭の乳牛を飼育することになった。
馬との出会いはヒマラヤ。85年に山中さんは沖縄を離れ、川喜田二郎が主宰するヒマラヤ自然協会の活動に参加。チベットに古来から伝わる仏教系の医術を存続させるために、医学僧らと生活を共にする。このとき、山中の移動は馬にたよった。チベットには2年いた。
沖縄に戻り、再び酪農に戻るが、95年、現在の今帰仁の山中に牧場を開き、馬を飼いはじめた。その馬も最初の一頭は山羊3頭と、2頭目は乳牛一頭と交換した。
牧場で馬と暮らすうちに、人と馬の関係に、不思議な因縁を感じるようになる。山中さんは牧場経営で牛や山羊に接しているので、馬の特異性がよく理解できた。まず、馬と人が“乗せて”“乗って”走れるように体の構造が合致すること。他の動物と違って馬だけ歯形に、はみを付けられるように隙間があることなど。さらに、宇宙はプラスのエネルギーが歪曲した馬の鞍の形をしていると説いたアインシュタインのヴィジョンを受けて―――ならば、そこに人が跨ることによって、陰陽の調和が生まれるなど・・・。
96年に、ホース・ライディングのサービスをはじめた。コースは牧場を発って緑濃い林道を抜け国道505に出て長浜(ビーチ)に向かう。ビーチでは鞍をはずし、馬を海に入れ一緒に泳ぐ。11時に牧場を発って、戻るのは日暮れ。夏なら夜8時まで陽はあり、林道では群れ飛ぶホタルの光の中を馬で帰って行くそうだ。乗る馬はアラブ種2頭とポニー3頭。(後略)
与那国「ふれあい広場」
主宰者の久野雅照さんは馬は見て、
触れて、引くだけでよいと説く
久野さんは1951年、長崎生まれ。若い頃からタヒチに移り住んだゴーギャンに憧れ、南の島に思いを馳せていた。20代を湘南で過ごした。それも葉山の御用邸近く、元・貴族の離れを借りての理想的な海辺暮らしを満喫。仕事は、70年代のサーフィン・カルチャー興盛の一翼を担った某カフェでサンドイッチを作ったり。「30歳を迎えて、観光地化してきた湘南にシラケ、また、人生30年って思ってたんですね。30からあとは折り返し。世を捨てるっていうか、もう金もうけは考えなくていい。自給自足の暮らしをし、利他的生き方っていうか、何かに純粋に貢献していくようになろう」と思って、久野さんはいきなり与那国島に妻と移住した。キッカケは新聞に見つけたちいさな島の記事。日本には8種の在来馬(和種馬)がいるが、そのうちの一種与那国馬が絶滅しかかっているという内容。その島に行ってみようと思い立ち、ツテも金も経験も何もないまま移住した。
当初は泡盛製造工場に勤め酒造りに励んだ。その一方で、3年目には与那国馬を一頭入手し、と同時に原野を切り開き牧場を作った。「とにかく馬と徹底的に遊んだ。それでわかったことは馬はモノを言わないけど、声が聴こえるんです。声が聴こえてくるんです。だから、何かはじめるとき、進めるとき、まず馬に訊いてやっていく。馬に対して正直であること、これが一番大切なことです。利己的に馬を使って商売しようなんて思ったら、だいたい失敗しますね。」
島に移り住み馬とつきあう暮らしが10年目になったとき、こんな楽しいことを一人でやってるのはもったいない、島の子供たちにも伝えようと、〈ふれあい広場〉をはじめた。
この頃、ホース・セラピーという考え方はまだ日本にはなかった。馬を使役馬のような道具と見なすのではなく、人間のパートナーとして捉え直す、という考えが提案されたのはいまから5、6年前、東大に馬学科が復活してからだった。
久野さんはそれに先駆けていた。「馬とのつきあいは、まず見ること。美しいなぁ、いいなぁと思ったところから関係がはじまる。乗るのは最後の最後。僕のホース・セラピーの持論は、馬は見るもの、引くものだということ。引くだけでいいんです」
実際、久野さんが山中の牧場で開いている、馬とのふれあい教室では、いかに走るかっていうことより、いかに馬と心をひとつにするかに重点が置かれている。
このふれあいのよろこびは、コミュニケーションからリアリティーが失われていく一方の現代社会においてはますます神秘の領域にある。それも、与那国島のように秘境感がたっぷり残る環境だと、尚更だ。牧場から山道を抜けて海へと下り、比川浜のビーチに至るトレッキングの開放感も格別。