プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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江戸生活文化伝承館
江戸ワンダーランド日光江戸村代表ユキリョウイチと、【江戸生活文化伝承館】とミュージアムの名称を決めた。
コンセプトを書き上げ、江戸創業の老舗への協力要請がはじまった。
交渉を担当したのは、八丁堀生まれ新川育ち、元江戸町火消し千組の佐藤達雄であった。
決して敷居が高いわけではないが、江戸創業のバリバリの江戸っ子を相手に、名門の名前を拝借し、さらにミュージアム創設へ向けて様々な協力をおねがいするには、それなりのしきたりがある。
メールなんて、とんでもない。
まずは、京橋、人形町、蔵前、浅草、亀戸、、、に今も店舗や工房を構える老舗を片っ端から当たっていく。
佐藤の手腕がきき、協力店が揃っていく。
と、同時に設計デザインも進行する。
デザイナーは元乃村工芸の片山英治さん。
去年のミラノ博日本館まで国際的催事を一手に引き受けて数々の賞、話題をさらってきた俊才!
片山さんは乃村が本社を長年構えていた芝浦の、創業90年の居酒屋・大平屋で出会い親しくなった。
乃村は歌舞伎の舞台、菊人形の制作からはじまった江戸創業の商業美術空間制作の最大手だ。
「元は大工だろうね」(片山)
その片山さんと、まだ雪降る真冬日光に現地視察し、江戸時代の血なまぐさい事件を生人形を使ってかなりショッキングなシチュエーションで見せる武家屋敷を改造することになり、片山さんが数日のうちに14ブースのイメージ図を創作した。
想像力は光の速度だ!
展示物は、江戸伝来の日用品。
最近、クール・ジャパンの影響で柳宗悦の民芸復興運動にならった新民芸運動のような動きがあるが、そこには作家の名前が露わになり、少しうっちゃわしい(片山さんは、こんな言い方をする。邪魔くせえ、とか。長州出身なので、高杉晋作のようなとこがある)。
我々が取り上げるのは日用品だ。
名のある、名を売る作者などいない。
いるのは腕はたつが、無名の職人だ。
それは鑑賞するだけの美術品ではなく、質実剛健的実用品だ。
徹底的に機能性が手業で追求され、しかも、江戸に生まれ、いまも製造され、店を構え、売られているもの。
そこに、我々は美や粋を見る。
理想の仕事を見る。
リアルな江戸の歴史を見る。
例えば、それは、箒、刷毛、櫛、口紅、藍染、鋏、包丁、線香花火、切子、団扇、履物、蝋燭、釣竿、、、など。
事の発端は、ユキリョウイチが京都でつかんだ。
物事、すべからく発端いかんで、すべてが決まる。
発端には個人の感動を宿していなければ、事はぶれる。
京に700有余年前、刀匠の始祖といわれた則宗ありき。
作刀に菊の御紋を頂き、その下に横一文字を彫ったことから、通称菊一文字と呼ばれる作刀商として明治期まで伝統が守られた。
明治期からは、その作刀で磨き上げられた技を応用し料理用・工匠用・生花用等、諸刃物の制作に進出、高級刃物の老舗として広く海外にまで知られることとなった。
度々、京都を訪ねていたユキリョウイチが菊一文字にいまや海外でも評判の爪切りを買いに行き、購入した爪切りで試しに爪を切ると、それこそ刃を爪に当てた瞬間に爪が弾けるような抜群の切れ味に驚愕!
さすが、刀匠を伝統とした名門の仕事!
そこで、閃く!
他にも、職人さんの手による実用品の逸品があるはず。
それも江戸伝来に限り、いまも製造されているもの。
「それを伝えていくミュージアムを江戸村の中に創設したいんです」
と、相談を受けた。
「刀鍛冶が爪切りを作った。そこに、そのミュージアムのコンセプトが象徴されてるね」
と、その理念を確認する。
「ですよね。江戸は戦さがなく、250年も平和がつづいた。侍の世から町人の天下になった。刀は過去の遺物と化した。その世界に誇る匠が日用品制作に応用された。深いね」
「現代生活の原型が、江戸にあるんだろうね。江戸の前は権力闘争の戦乱の時代、江戸以降も軍人が支配した時代。明治天皇は軍神だよ。また刀の天下になった」
「江戸は、明治以降、ひどく貶められた時代になった。本当は、世界でも稀にみる素晴らしい時代なはずです」
といった対話を何度かし、ミュージアム開設の意義をかためた。
佐藤の案内で片山さんと老舗をまわり、様々な実用品を確認した。
そのとき、例えば、人形町の打刃物屋うぶけやで見た鋏の形態のシンプルにして究極の美しさに感動した。
ここに新幹線のあの流線型のフロントは職人の手仕事であるという日本の工芸の技のルーツをさえ感じた。
植木鋏の刃に指先を触れると、その切れ味の鋭さを身震いとともに感覚した。
刀と同じだ。包丁も研ぎ次第では刀になる。
そこにも世界に誇る刀鍛冶の技がいきている。
しかし、その技がどんなに芸術的であろうと刀では無用の長物。
鋏や包丁、毛抜き、爪切りは平和利用といえるし、日常的に使える。
店で店主と交渉していると、ひっきりなしに、客が買い物に来る。
うぶけやは品物を作り売る職商人だ。
しかも、客が持ち込む刃物を、他の店の商品であろうと研ぐサービスを行っている。
うぶけやの植木鋏で、自宅の伸び放題の植木を剪定すると、それは想像以上の機能であった。
しかも、枝ぶりに活力がみなぎっている感さえある。
亀戸に江戸切子の工房・華硝を訪ね、バカラをはるかに凌ぐ、その驚異の技を知り、見識を改めた。バカラは色出しに薬品を使うが、華硝は使わない。
ロボットに掃除させる時代に、いまも昔ながらの手作りで箒をこしらえている白木屋傳兵衛商店で見た箒は、本来暮らしの中心にあった家事仕事の尊さを思い起こさせた。
箒は古代、豊作祈願の神儀の祭礼具だった。
やはり、江戸創業の刷毛・刷子の江戸屋では、刷子がハイテク産業でも大いに活躍している事実を知った。
行く先々で、実用品の美しさ、現代にも活かされている価値を再認識し、創設に向けてのやる気が湧き上がってきた。
今までにない江戸生活文化史観のもと、斬新きわまる演出で感じさせ見せるミュージアム創設に向かっての活動がはじまった。
テーマを語るキャッチは、ユキリョウイチ考案の
EDO IS THE ANSWER!
江戸に、答えあり!
いったい、何の答えか?
エコという人もいる。
サブカルチャーという人もいる。
平和という人もいる。
人にも依頼しミュージアムの英名を考案し、何案か、それこそ日本語の直訳もあったが、自分で考えた
MODERN EDO-TECH MUSEUM
に決定した!