プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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北村信彦











【68歳の挨拶】
横浜黄金町に映画を見に行こうと乗った京急電車のなかで、何度も、三崎へ行ってみようと思ったが、実行しなかった。
それが、2018年1月15日、映画を見終わり、黄金町から三田へと帰るつもりで乗った電車が、逆方向の三崎行きだったと、走り出してから気づいたが、いい機会だと、終点まで行った。
バスで三崎港に行って、風情に満ち、郷愁さそう路地が交差する港町を散策していたら、海南神社を見つけた。
鳥居をくぐり、階段を上がり、社殿で今年初の参拝をした。
港に戻ると、海は波が激しく、桟橋に寄せていた。風も真冬の冷たさだった。長居はできない。
港から駅へと帰るバスのなかでも、三田へと走る快速電車のなかでも、ずっと、人生について、思いをめぐらせていた。
何の不安もなかった。
これからも、なるようにしかならない。
あと、10年、20年、30年か、己の命に終わりがくるなんて思えなかった。しかし、安泰、安逸、安楽は、望んでいない。
いつか、波乱がくるかもしれない。
自ら波乱を引き起こすかもしれない。
今日、港で見た海は波乱そのものだった。生命力を感じた。
何を持って生きていくのか?
やはり、夢だ。
あの路地をうろついて夢見ることだ。
今日も、港町の路地をうろつき、夢見ていた。
それは、等身大の夢だ。
それは、世代を超えて、友人とできること。
また、自伝を書くこと。島を旅すること。服を作ること。歌を作ること。よき映画や本と出会うこと。
犬と遊ぶこと。笑うこと。泣くこと。平和を願うこと。
なにより毎日を自分らしく生きること。
それが68歳の前夜に、三崎港の路地をうろついて夢見たことだった。
Aℹ︎は、どんなに進化したって、俺の代わりはできない。
今夜、こんな気分で、自分のパーティーを盛り上げるために、スペシャルゲストをお迎えしました。
紹介します。
まずは、サイコーヒップでロックなファッションブランド、ヒステリックグラマーのデザイナー、ノブちゃんこと、北村信彦氏です!
実は、ふたりで、こんなパーティーをやろうと、昨年秋、浅草の路地裏で、話していたんです。
その夢が今夜、ひとつ、叶いました。

【清田君の紹介文】
昨年末、ウォーターフロントの、
お台場ビーチサイドの高層マンションに住む清田君を訪ねた。
そのとき、清田君は、医者から見放された友人の癌患者を、念じる力で治癒していた。
久しぶりに会った清田君は、ベランダから、お台場沖に浮かぶふたつの無人島を見下ろし、あそこを海上神社にしたいんです、と真顔で言った。
それから、みずから生み出した、祈りと踊りをひとつにしたパフォーマンスのビデオを見せてくれた。
台風が接近し、流れが荒れ狂う滝の、見るからに恐ろしい滝壺へ、祈りながら、単身、踊り出していった。
その姿は、空海のようであった。
なんという勇気か、もはや、現代人とは思えなかった。
話すうちに、清田君は、最近思い出したんです、と言った。子供の頃の夢は、神様になることだったんです。
どのくらいスプーンを曲げ、スプーンをおったんだろう。
企業から、その超能力を使った錬金術を頼まれたが、すべて、断ってきた。
教祖様にもならなかった。
どのぐらい神様になれたのか?
嵐の滝壺に飛びこんでいった清田君は、かなり、近いと思えた。
清田君は、本来、人間がどんな生き物であったか、いまも、われわれに、感動を持って示してくれる。
ちなみに、清田君は、北村信彦と高校の同級生で、今夜、ふたりは此処で何十年ぶりかの再会を果たしました。
最近、彼から来たメッセージは、
祈ること
念じることは、
生命がなせるもっとも、
原始的であり、かつ、最先端のワザです\(^o^)/
では、紹介いたします。
清田益章!

