森永博志のオフィシャルサイト

www.morinaga-hiroshi.com

プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

144 ムッシュ!



ニッポン放送の録音スタジオでひさしぶりにムッシュにお会いした。

10月からはじまった【ラジオ・シャングリラ】のゲストで来ていただいた。

番組の相方のミックもムッシュとはひさしぶりのようだ。

最後に会ったのは、7月ころかな、、、ムッシュがパーソナリティーをつとめるFM番組に出演、収録後、麻布十番のムッシュ行きつけのイタリアン・レストランや六本木の生オケ屋に流れた。

そのまえは自伝の出版記念会をひらいた渋谷百軒店のロック・クラブにひとりでふらりときてくれた。

その前はレッドシューズで、、、シーナの追悼会だったか、ムッシュが現れ、KenKenや鮎川誠とのセッションに興じた。

と、まあそれなりには会っている。


ラジオ・シャングリラでも話したが、もともとぼくはスパイダースが好きで、でもムッシュの歌う『なればいい』が大好きだった。

それを以前、ムッシュに言うと「相当、変な子だったね」と笑われた。


初めて会ったのは1972年だったか赤坂の【ビブロス】で開催されたレブロン新製品のワールド・プレミア・パーティーのときだった。

そのころ【ルーム6B】というマンションの一室で共同生活をしながらファッション・ショーの演出などをしていたグループに参加し、そのレブロンのパーティーも、彼らが請けた仕事であり、ぼくはナレーションの原稿を書いた。

ムッシュは司会だった。

そのときは会話もしていない。

その後、ぼくが『フォーライフ・マガジン』の編集長になったころ、ムッシュもフォーライフの所属アーティストになり、フォーライフ提供のラジオ番組で再会した。ムッシュは司会、ぼくはゲスト。なぜか、いまも、そのときの録音テープが残っている。


やがて、ムッシュとは親交をふかめていくことになる。

よく、プライベートで夜遊びをしたり、【キャンティー】に呼び出され、昼からステーキをご馳走になったり、居酒屋で茶そばを食べたり、バーをはしごしたり、ひんぱんに会うことになる。


ぼくとしては子供のころ、その歌の異様さに惹かれファンになったアーティストと知己になるなんて、無上の喜びだ。


ぼくが好きだった『なればいい』の作詞はミス・ユニバースだった美しい女性であった。渋谷円山町の置屋の娘さんだった。彼女はノートに好きで詩を書いていたが、ある日、自殺してしまった。ムッシュはそのノートを持っていると言う。

そんな裏話も親しくなったからこそ。

やはり、その歌に子供心に惹かれたというのは変な子だったんだろうな。


日本版『エスクァイア』で「日本びいき」という特集を組んだ。

このとき初めてムッシュ論を書いた。

その原稿をムッシュにFAXで送った。

数ヶ月後、飯倉のムッシュのオフィスを訪ねると、壁にその手書きの原稿のFAXコピーがプッシュピンされていて、ムッシュはおっしゃった。

「マッケンのこの原稿、すごく好き」


ある日、深夜、テレビを見ていたら、ムッシュが出演していて、「ホールやライブハウスでやるより、普通のレストランでやった方が面白い」と発言していたので、すぐに電話して、「恵比寿の【にんにくや】でやりませんか?」と言ったら、即オッケー。

当日、アコースティック・ギターの弾き語りだと思っていたら、ロック・バンドを引き連れて乗り込んできて、いきなりマイクに向かって「警察くるまで、やるぞー!」と叫ぶのだった。

無論、防音もしていない。しかも、住宅地に店はある。音は町に筒抜けだ。爆音でのライブとなった!

そうか、ライブハウスやホールだと防音されていて面白くない。普通のレストランなら、防音されてないので、音は町に溢れ出ていく。通報されれば、警官もくる。騒動になる。

そういう面白さだったのかと、はじまってから気づいたが後の祭り。でも、警官は来なかった。誰も不快に思わなかったのだろう。だって、ムッシュだから!

それから、ぼくが企画・演出したサンヨー提供のイベント(@青山スパイラル・ホール)にライブとトークで出演してもらった。

ムッシュが亡き大口ひろしと加部正義と篠原信彦たちと結成した新ウォッカコリンズでは、恵比寿【にんにくや】地下クラブ、西麻布【アムリタ】、下北沢タウンホールなどでライブをやってもらった。

新刊を送ると、「いやー、面白かったよ」とムッシュはよく電話をくださった。

文庫本のクラブ・シャングリラ本では特別対談のゲストできてくださった。

ムッシュとミックとぼくで、福井の山代温泉までいき、温泉旅館の大座敷での宴会様式のトーク・ショーに出演したこともあった。

テレビのトーク番組にムッシュから呼ばれて出演したこともあった。そのときのトークの相手は大宮エリーだった。


【ラジオ・シャングリラ】への出演は病み上がりの初仕事だとムッシュはおしゃった。

ムッシュは杖をついて現れた。

一時間ほど、話はセッションのように弾んだ。

ムッシュは今年76歳。昨年、29歳のKenKenと16歳の山岸竜之介とスーパーファンクバンドを結成した。

今年3月にはブルーノートで公演し、即日完売している。

11月11日には名曲『ゴロワーズを吸ったことがあるかい?』のカバーも収録したアルバム『Genaration』をリリース!


ムッシュとの仕事の遺物をさがしたが、見つけたのは毎日新聞社が企画編集した新聞。対談ではないが、各々インタビューを受け、新聞のカバーに、ムッシュと僕の名前が記載されている。


それは、とても光栄に思う。


image



image







Text145→

PageTop