プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
- TEXT:
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- Special
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- 32
- 33
- 34
- 35
- 36
- 37
- 38
- 39
- 40
- 41
- 42
- 43
- 44
- 45
- 46
- 47
- 48
- 49
- 50
- 51
- 52
- 53
- 54
- 55
- 56
- 57
- 58
- 59
- 60
- 61
- 62
- 63
- 64
- 65
- 66
- 67
- 68
- 69
- 70
- 71
- 72
- 73
- 74
- 75
- 75-2
- 76
- 77
- 78
- 79
- 80
- 81
- 82
- 83
- 84
- 85
- 86
- 87
- 88
- 89
- 90
- 91
- 92
- 93
- 94
- 95
- 96
- 97
- 98
- 99
- 100
- 101
- 102
- special 2
- 103
- 104
- 105
- 106
- 107
- 108
- 109
- 110
- 111
- 112
- 113
- 114
- 115
- 116
- 117
- 118
- 119
- 120
- 121
- 122
- 123
- special 3
- 124
- 125
- 126
- 127
- 128
- 129
- 130
- 131
- 132
- 133
- 134
- 135
- 136
- 137
- 138
- 139
- 140
- 141
- 142
- 143
- 144
- 145
- 146
- 147
- 148
- 149
- 150
- 151
- 152
- 153
- 154
- 155
- 156
- 157
- 158
- 159
- 160
- 161
- 162
- 163
- 164
- 165
- 166
- 167
- 168
- 169
- 170
- 171
- 172
- 173
- 174
- 175
- 176
- 177
- 178
- 179
- 180
- 181
- 182
- 183
- 184
- 185
- 186
- 187
- 188
- 189
- 190
- 191
- 192
- 193
- 194
- 195
- 196
- 197
- 198
- special 4
- 200
- 201
- 202
- 203
- 204
- 205
- 206
- 207
- 208
- 209
- 210
- 211
- 212
- 213
- 214
- 215
- 216
- 217
- 218
- 219
- 220
- 221
- 222
- 223
- 224
- 225
ついにプロフィールも100回になった。
自分がやった仕事の雑誌、書籍のほとんどは手元に残ってない。それでも100回分はあったということだ。
韓国と北朝鮮の非武装地帯へ行った決死の釣り紀行、『マチュピチュでコカ茶を一杯』、エドワード鈴木と行ったアフリカ、『戦前風俗画報』、『RATS&STAR』、『百面相』、『満月変』、『ラウンド・ミッドナイト』、『テレビジョン・カウボーイ』、『汝の隣人を愛せよ』、『八十冊世界一周の旅』、植田正治氏との数々の仕事、大沢在昌、山口雅也、ユーミンとの仕事、『TARZAN』や『GULIVER』の特集と連載、「赤坂ムゲン・オデュッセイ」、有名人インタビューの数々・・・今後見つかるかもしれない。あと、あれもあったな。一日ですべての撮影をすませた写真集!「微睡みの南」や「東京ディクショナリィー」らの舞台物。
さて、100回記念は、何にしよう?
最近、我が不良の師であった久保田二郎の本を読み、抱腹絶倒している。
一番の怪書は『手のうちはいつもフルハウス』でしょうね。何がすごいかって、そのなかの一話、「日本マリワナ渡来記」だね。
ジローさんとは、亡くなるまでの20年ほどのつきあいのあいだ仕事で香港、中国、タイ、ニューヨークに、プライベートでハワイに行った。
香港の旅はジローさんが主人公のスラップスティック物。事実と空想をおりまぜた、それは前代未聞の旅行記。写真家は繰上和美氏の助手から独立したばかりの坂野豊。坂野氏とは、去年も一緒に新潟に花火を見に行った。
これは『ブルータス』の仕事だった。発売直後その特集を見た小林信彦さんが「面白いって、絶賛してたぞ!」と興奮気味に当時の編集長キナさんに言われた。小林信彦さんには受けたようだったから、自分たち的には大成功だ。
あのころ、キナさんによくいわれた。流行や風潮なんて関係なく「自分が面白いっておもうことだけやってればいいんだよ」。そうやってキナさんたちがつくった『平凡パンチ」は毎週百万部突破、『ポパイ』は隔週60万部突破、で、次は部数ではなくクラス・マガジンをつくろうって創刊したのが、『ブルータス』!
ジローさんとの香港特集は、1980年10月1日発行の、まだ編集部が活火山爆発状態のころの創刊5号目だった。編集、撮影、デザインが最高のバイブで白熱的セッションを展開し、自分たちが興奮していた。
しかし、雑誌の編集というのは椎根和や堀内誠一、田名網さんも言ってたように、激しく消耗し、当初の意欲がつづくのは、せいぜい2年ということだった。あとは、マンネリという運命を宿している。