森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ついにプロフィールも100回になった。

自分がやった仕事の雑誌、書籍のほとんどは手元に残ってない。それでも100回分はあったということだ。

韓国と北朝鮮の非武装地帯へ行った決死の釣り紀行、『マチュピチュでコカ茶を一杯』、エドワード鈴木と行ったアフリカ、『戦前風俗画報』、『RATS&STAR』、『百面相』、『満月変』、『ラウンド・ミッドナイト』、『テレビジョン・カウボーイ』、『汝の隣人を愛せよ』、『八十冊世界一周の旅』、植田正治氏との数々の仕事、大沢在昌、山口雅也、ユーミンとの仕事、『TARZAN』や『GULIVER』の特集と連載、「赤坂ムゲン・オデュッセイ」、有名人インタビューの数々・・・今後見つかるかもしれない。あと、あれもあったな。一日ですべての撮影をすませた写真集!「微睡みの南」や「東京ディクショナリィー」らの舞台物。

さて、100回記念は、何にしよう?

最近、我が不良の師であった久保田二郎の本を読み、抱腹絶倒している。

一番の怪書は『手のうちはいつもフルハウス』でしょうね。何がすごいかって、そのなかの一話、「日本マリワナ渡来記」だね。

ジローさんとは、亡くなるまでの20年ほどのつきあいのあいだ仕事で香港、中国、タイ、ニューヨークに、プライベートでハワイに行った。

香港の旅はジローさんが主人公のスラップスティック物。事実と空想をおりまぜた、それは前代未聞の旅行記。写真家は繰上和美氏の助手から独立したばかりの坂野豊。坂野氏とは、去年も一緒に新潟に花火を見に行った。

これは『ブルータス』の仕事だった。発売直後その特集を見た小林信彦さんが「面白いって、絶賛してたぞ!」と興奮気味に当時の編集長キナさんに言われた。小林信彦さんには受けたようだったから、自分たち的には大成功だ。

あのころ、キナさんによくいわれた。流行や風潮なんて関係なく「自分が面白いっておもうことだけやってればいいんだよ」。そうやってキナさんたちがつくった『平凡パンチ」は毎週百万部突破、『ポパイ』は隔週60万部突破、で、次は部数ではなくクラス・マガジンをつくろうって創刊したのが、『ブルータス』!

ジローさんとの香港特集は、1980年10月1日発行の、まだ編集部が活火山爆発状態のころの創刊5号目だった。編集、撮影、デザインが最高のバイブで白熱的セッションを展開し、自分たちが興奮していた。

しかし、雑誌の編集というのは椎根和や堀内誠一、田名網さんも言ってたように、激しく消耗し、当初の意欲がつづくのは、せいぜい2年ということだった。あとは、マンネリという運命を宿している。

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