プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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偶然にアンデス
カンヌ映画祭で審査員をつとめた作家のポール・オースターは、パーティー会場でムービースターのチャールトン・ヘストンと初めて立ち話をし、握手した。
オースターはライフル協会の理事をつとめる右派のスターを嫌悪していたが、 へストンはオースターが何者か知らなかった。
数日後、オースターはシカゴのブック・フェアに出席した。
会場の、ある出版社のブースにはへストンがいて、彼は著書にサインをしていたが、挨拶しなかった。
その数日後、ニューヨークのホテルを訪ね、宿泊中の友人をロビーで待っていると、エレベーターからへストンが現れ、顔を合わせると、カンヌの出会いを覚えていて、声を交わした。
オースターは、この連続した偶然の出会いを、いったい、こんな奇妙なことが人生に起こるのかと首をかしげた。
そこまで、短期に連続しないが、同じようなことが自分にも起こった。
すでに、このプロフィールに書いたが、昨年末にゴロー氏の一周忌の集いでカメラマンのキンチャンこと神山均に、何十年ぶりかで再会した。
彼と出会い親しくなったのは1970年、長いつきあいになるが、10年、20年とブランクをはさむ。
昨年再会し旧交をあたため、たまには会おうよと言って別れた。
それっきりになった。
それが、2015年の2月初旬、田名網さんと久しぶりの食事会のあと、西麻布のバーに流れた。
カウンターに座り、師匠と雑談していると、そこにヒッピー風のオヤジがひとりふらりとやってきて、三席離れたカウンターの席に腰掛けた。
先に田名網さんが帰ると、彼が「おたく、ミュージシャン?」と親しげに声をかけてきた。
「違います」
と言うと、彼は続けて、
「そう。俺の友達にソックリなんだよ」
と言うので、
「誰ですか?」
と訊くと、
「キンという奴」
「何してる人ですか?」
「カメラマンのバイカー」
「って、もしかしてキンちゃん?」
「神山均。いま、新潟にいるんだよ」
「マジ! 俺、キンちゃん、昔からの友達ですよ! 南米のラリー、一緒に行ったんだ!」
その数分後、ぼくはキンちゃんに電話していた。
「いま、キンちゃんの友達と偶然一緒に飲んでるよ」
キンちゃんも驚いてる。
何十年も会わなかった友人と偶然に二度も会話した。
僕はバーで、ヒッピー風の客に1989年の南米ラリーの思い出を語っていた。
それは日本版『エスクァイア』の取材を兼ねた参戦だった。
僕はキンちゃんと45日間の冒険旅行に出た。
タイトルは植草甚一の『カトマンズでLSDを一服』から剽窃した。
コカはアンデスを原産地とする高山病緩和の薬草で、この薬草をドイツの医者がコカインに精製した。
ぼくは旅の間、ずっとコカ茶を飲んでいた。
遠い昔の話だ。