森永博志のオフィシャルサイト

www.morinaga-hiroshi.com

プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

中村のんさんプレゼンツのカルチュアル・イベント『70's原宿風景』ーー 70年代のサブ・カルチャーのシーンを切り取った貴重な写真の展示と9日間にわたるトーク・ショー。パトロンなしの仲間たちが結集した手作りイベントが開催された。


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菊池武夫、丸山敬太、大野真澄、高橋靖子、森本千絵、チャー、藤原美智子、四方義朗、秋吉久美子、萩原朔美、山口はるみ、長谷川義太郎といった各界のレジェンド、重鎮が、それぞれの70s、原宿の思い出を語る。


ぼくは二度出演した。

最初は、女性シンガー・ソング・ライターの諌山実生のライブつきの日、トークの相手は1970年からの旧友であり現在も音楽をいっしょにつくっているボーカルこと大野真澄。

彼は元・ガロのメンバーであり、いまは元・風のショーヤンこと伊勢正三と太田裕美とナゴミーズというグループを組み、忙しく全国を公演でまわっている。

二度目は秋吉久美子さんと対談した。

このトークの会場は乃木坂の元写真スタジオ。


トークの日、訪ねると、一階のレンタル・スペースがスケボー・ショップみたいになっていたので興味がわき、立ち寄ると、「あっ、モリナガさん!」と大きな声を聞き、声の主を見ると、見覚えのある顔だが誰だか思い出さない。

「パークです!」

「パークか!」

写真家のm・s・パークだ。


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「福生以来だな!」

20年ぶりか!

「あんとき、福生でモリナガさんのカメラ、ぶんどったまんまです」

まんまるの童顔が精悍な大人の顔になっている。ロバート・ハリスとかSKEN系だ。

「何してんの?」と訊くと、彼は言うのだった。


ーースケボーを自作していて、その板に自撮の写真をプリントし、アート&クラフトの実用オブジェにしている。

彼は若い頃カリフォルニアで学生生活を送っていて、14歳のとき初めてスケボーを自作したのだった。

D・I・Yだ!  素晴らしい。

「今日、オレ、上で、トーク・ショーなんだよ」

まだ、開演まで30分ほどある。

しかし、こんなところでパークに会うとは・・・めぐりくるものは、それ自体ひとつのメッセージだろう。

しかし、そのメッセージは何が送ってきてるんだ?


トークショーの会場で中村のんさんからスタッフを紹介してもらった。

そのなかのふたりは、フォーライフの時代に会っているという。酒もいっしょに飲んだという。ということは、再会だ。

かつて、ぼくが八曜社に在籍していたときの後輩で、その後フォーライフへ移った山崎薫が先日亡くなったとも聞いた。

ひとりのかたが、僕が編集長だった『フォーライフ・マガジン』(1977年刊)を持参していて、

「この号にでてる人たちと、今回のイベントに参加していただいてる方たちが共通しているのに驚きました」

彼は他に、ガレージパラダイス東京が発行した『スタイルNO1』も持っているという。


『フォーライフ・マガジン』をひらくと、まず、グラビアにチャーが登場。懐かしいの上海娘で撮影している。

グラビアの写真家は、写真展に参加している横木安良夫だ。

ボーカルはコミックスを描いている。

ヤッコさんこと高橋靖子は短編小説を書いている。

文化屋雑貨店の長谷川義太郎はコラムに登場している。


ボーカルとのトーク終了後、僕らの記念写真を撮ってくれた女性カメラマンはタムジンこと田村仁の娘さんだった。

タムジンは1970年代に仕事をした写真家だ。

浅川マキ、吉田拓郎らフォーク・シンガーを主に撮っていた音楽フォトグラファーの第一人者だ。

チャーのデビュー・アルバムのジャケットもタムジンのはずだ。

さらに、撮影の準備をしていたライト・マンから「モリナガさん、俺、板倉文とキリング・タイムやってた××です」と声をかけられ、いやー、これは驚いた。

キリング・タイムは80年代末、ミステリー作家の山口雅也との共同脚本、僕が演出した岡田真澄ひとり芝居『微睡みの南』のとき毎日、ライブ出演してもらったことがあった。しばし、彼と昔話にふけった。


しかし、なんなんだろう、この時間を超えて遠い過去からやってくる再会の頻度は?  次々と現れる懐古の人たち!


自伝執筆の資料として田名網さんからお借りしていた『フォーライフ・マガジン』全冊は、急に、田名網さんが必要となり代理人に返却しにいってもらった。

先日、田名網さんをマネジメントするギャラリー・ナンズカ代表の南塚君が、来年(2015年)、田名網さんの70年代にフォーカスして派手にやります、その節は、森永さんがいちばん親交していたでしょうから、よろしく、といっていたので、たぶんそのプロジェクトで雑誌が必要になったのだろう。


何か、それ以外にも『フォーライフ・マガジン』に関することでざわついている。

しかし、ぼくの手元には全冊ない。


一冊を改めて見ると、およそ、40年前の仕事だが、少しも古びてない。


田名網さんのアートが表紙、目次、巻頭グラビア、本文を飾る。

ジェームス・ディーンを描いた絵画的作品。作家は藤本蒼。

矢沢永吉初の武道館ライブはリハーサルから独占取材、特撮だ。

横浜のスケ番マコが不良少女小説を書き下ろしてる。挿し絵は、吉田カツだ。

美輪明宏が赤木圭一郎とのラブ・ロマンスを書き、田名網さんのコラージュ・アートが扉を飾る。

水谷豊を軽井沢、アウディ車中で独占インタビュー。鬼才・長谷川和彦がユタカを論じる。

ジェームス・ディーン秘話のディーンのポスターは、ぼくがつくった。

コラージュによるニューヨーク・パンク・コミックス!

ニューヨーク在住の前衛画家・篠原有司男スペシャル・インタビュー!

吉田拓郎vs東由多加の対談。

などなど。


この何の制御も統率もされてないカオス的な編集が70年代の特徴だったかもしれない。

あまり、深く考えず、直感、閃きのままに、速攻形にしていく。

そのフットワークの軽さこそが、雑誌に必要な最良の精神だった。

編集の現場に身を置くことは、時代の最先端で発光している気分になった。

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