森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

タウン・ガイド東



ある日、ちわきからメールがはいった。

自伝の宣伝を兼ねて、彼女がパーソナリティーをつとめるFM番組に出演いたしませんか? と、きて、即「します!」と返信した。

ちわきとは、シンガーのちわきまゆみのことだ。

録音日、放送日が決まった。


録音日の三日前の日曜日、所用あって京都にいた。

京都造形芸術大学を何度か訪ねた白河に、不思議なアパートがあるから見学に行こうと車を走らせた。

たどり着くと、そこは、見る影もないほど朽ちた建物で、しかし人が住んでいる。

外観はよく見ると、アール・デコを確認、おそらく1920年代、30年代に建てられたモダン建築だ。

連れが「同潤会みたいですね」と語ったように、大正モダニズムの遺物を感じさせる。

アパートの入り口で記念写真を撮ろうと同行者にスマホを向けられていると、さっと冷んやりした風が立ち、脇を黒い影がかすめていった。

影を目で追うと、ふわっと影は草むらに舞い降り、そこで、影が黒いトンボと判明。

黒いトンボは神の遣いと聞いた。

「びっくりした!」と語り合いながら、車に乗り、走り出すと、カー・ラジオから僕の名前が流れてきた。

女性の声だった。

ドライバー氏に、「ボリューム、あげてください」とお願いすると、それはちわきの番組で、来週のゲストである僕のことを紹介していたのだった!

「偶然とはいえ、京都で、ラジオから自分の名前を聞くとは」

同行者も驚いている。

「しかも、黒トンボを見た直後に!」


その三日のち世田谷にある録音スタジオにちわきを訪ねていた。

「森永さんとは隣人だったの」

と、彼女はディレクターに仲を説明している。

「そう。隣が美容院で、その隣がちわきんちの歯医者でね。治療にいったよ。受け付けにちわきがいて、歯医者でCD、売ってたよね」


町は渋谷の東だ。

いまから20年以上も前のこと、、。

「何にもなかったよね」と言うと、

「夜なんて、真っ暗」と彼女。


東は路地の町だった。

銭湯もあった。

庭付きの安アパートもあった。

八百屋、魚屋があった。

洋食屋もあった。

広尾神社があり、境内には土俵もあった。

明治通り沿いにはアメリカン・アンティークのショップがあり、ヴィンテージものを揃えていた。

暮らしていると、何にもないように見えていた町に点在するユニークな場所が浮き彫りになってきた。


東がタウン・ガイドにでたことなんて一度もない。

生活者の視点でガイドをつくったら面白いかもしれない。

と、思い、後輩の原田隆に相談すると、彼が編集長だった『FRAU』でやることになった。

構成はぼく。取材・文は藤田千恵子、写真は吉村仁、イラストレーションは早乙女道春。

不思議だ。

およそ、20年前の仕事なのに、彼らとはいまも親交している。

早乙女とは毎月一度の『第三土ヨー日@レッドシューズ』で。

   千恵ちゃんとは箱根の飲み会で。

仁とは最近彼がパーティーに顔出してくれ。

その時の編集長の原田とは、たまに食事会でと縁は継続している。


特集で紹介しているアンティークは、実際に自分で購入したものだし、すべての場所、店には何度も足を運び、店主とも親しくしていたし、広尾神社で執り行った友人の神前結婚式の写真や僕が飼っていたワン公の絵など、あまりにブライベートなネタが(そもそも、渋谷東なんて、誰も知らない)、当時、10万部を売っていた人気雑誌に9ページも掲載されたのだった。


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町に、ゆるみきった時間が流れ、夕方には空気が色つき、道に湯が香り、神社の闇にはもののけが棲み、フラフラひとりで散歩している犬は住人の五月みどりの愛犬、行きかう人はみな顔見知りで、蕎麦を運んできた出前の若者がぼくの本を持参しサインしてくださいと破顔する、しかし、レトロというほど古びてはいず、高望みしなければ、すべて事足りる、そんな大都会の片隅の小さな町。


いまでは、明治とおり沿いに店が増えたが、暮らしやすさは、そのままだろう。


いま暮らしてる芝浦も、TSUTAYAもないし、洋服屋も本屋もないし、オシャレでトレンディーなものなどなにひとつなく、そして、商店街は歩いて一分で抜けてしまうほど、小さく、でも、創業90余年の大平屋があって、暮らしやすい。


京急線沿線には暮らしやすい町がいくらでもありそうだ。

梅屋敷に住んでみたい。



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芝浦から、運河を船で抜け、レインボー橋も抜け、対岸のビーチに、ワン公と遊びに行く。


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これが東京のウォーターフロント。まるで、タイだ。


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