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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

アベちゃんは、もうこの世にいないのだが、アベちゃんのことについて、書いてみよう。といっても、アベちゃんと、特別親しかったわけでもないし、アベちゃんがどんな人物だったのかさえ、最近になってわかったくらい、まあ、ちょっと書くに当たって頼りない。

まず、アベちゃんが亡くなったこと、アベちゃんがどんな人物だったか、それをつたえてくれたのはK&BパブリッシャーのKさんだった。

ある店のオープニング・パーティーで、「最近、こんな本をつくりました」とK氏から手渡されたのがアベちゃんの自伝。その名を見て、「もしや!」と思い、K氏に「このアベさんて、もしかしたら、北京一もやってた?」と訊くと、「ソー・バッド・レビューですね。やってました」、で、同一人物とわかった。

K氏との立ち話で、アベちゃんは70年代はじめ、新宿のフーテンだったが、その後山下洋輔トリオのマネジャーだったと知る。

ぼくがアベちゃんと出会ったのは1975年か76年か、自伝によれば、そのころアベちゃんは出身地の大阪で自主制作のレコード会社を設立し、加川良、中川イサト、西岡恭蔵ら関西フォークの実力者たちのアルバムをリリースする一方で、石田長生、山岸潤二、北京一らによる伝説のブルース・バンドのソー・バッド・レヴューのプロデュースも行っている。

そのころぼくが仕事でロスに行くことになり、それで、ロスに住んでいた北京一にも取材しようと思い、上京していたアベちゃんに会うと、初対面なのに、とんでもない頼まれごとをされた。

北京一に現金で100万円届けてほしいと、アベちゃんは言う。ソー・バットのレコーディングのスタジオ代が足りなくなり、(当時は、海外との金のやりとりは大変めんどうだった。渡航の際の持ち出せる金額も、低く、制限されていた)、誰か届けてくれる人はいないかと思案にくれていたところ、ラッキーにもぼくが現れ、渡りに船とばかりに、「持ってってくれないか」となった次第。

で、頼まれごとは断われない性格なので、引き受けたのはいいが、100万という金額は、持ち出し制限額をぜんぜん超過していて、入国時に税関で発覚したときには、いったいどうなることやら。密輸に関与している気分になってきた。責任重大だ。

結局は、無事に100万円を運びこみ、アベちゃんから教えられた北京一に連絡し、彼の自宅を訪ねた。それで現金を手渡しミッションを終え、取材したといっても、音楽活動と何ら関係ない近況を聞いただけだったが、それはこんな話だった。


〈黒人の居住地に彼の自宅はある。奥さんは黒人だ。ある日、自宅近くで、信号が青に変わるのをまっていた。彼の車のとなりにもう一台信号まちする車。ごくごくありふれたロスの日常的光景。彼は見るつもりもなく、となりの車に目をやると、ドライバーと目があってしまった。ドライバーは黒人だった。信号が青に変わった。そのとき彼は容易ならざる緊迫した事態に巻き込まれていた。

となりの車が、彼の車に体当たりしようと猛スピードで迫ってくる。逃げる。カー・チェイスがはじまった。行く手にパトカー発見。「ヨッシャ! ここで、信号無視や、スピード違反や! オマワリに逮捕されて、あいつをあきらめさせるんや」と、パトカーを追い抜いて、信号無視して、突っ走った。バック・ミラーで、追いかけてくるはずのパトカーを確認したら、「どういう、こっちゃ! パトカーが見えへんのや。見えるのは、気狂いドライバーの車だけや。えらい、国やで。ポリ公のアホンダラ! 追いかけてこいっちゅうのに、なにしてんや。もう覚悟きめたで。フリーウェイに走り込んだんや。もうアラスカまでも逃げてやろうやないか!ま、それでたすかったんやけど、その日以来、あの辺、車で走るときはビクビクや。もしあのドライバーにおうてしまったら、弾丸浴びせられるかもしれへん。だから、わからんように、これ、変装してるんや。変装やで」というんで、変装してる北京一の写真を撮った。変装してるミュージシャンの写真を撮ったのははじめてだ〉


自伝を読み、アベちゃんが大阪の制作プロダクション/ヒッブランド代表の中井猛氏と親しく仕事をしていたのを知り、人のつながりの妙を感じた。中井氏は、現在スペース・シャワーの代表もつとめているが、創設時、中井氏に依頼され、ぼくはピーター・バラカン、いとうせいこう、桑原茂一たちと番組審議委員会のメンバーになっていた。また、ヒッブランド所属のゴンチチとの同志的つながりもあった。

70年代以降、アベちゃんに会うことはなくなっていたが、中井さんつながりの同じ生態圏にはいたんだな。

しかも数年前のこと、下北沢で金子マリさんに会っているとき、その席にいたのが、北京一だった。ロスでの話をふると、彼は覚えていて、数十年ぶりの再会は感慨深いものだった。マリさんが、「結局、みんな、どこかでつながっているんだね」と言った。

人と人のリアルなつながりや現金がからんだりすると、記憶にしっかりと残るもんだね-----


というテキストを書いていたら、なんだ、なんだ、〈金子マリ〉がヤフーで検索急上昇ワードのトップにきていたので、何事か!? とチェックしたら長男のノブアキ君の結婚式のニュースだった。おめでとうございます。

実は亡くなってしまったが、金子ノブアキとケンケンの父であったジョニー吉長とは北京一に100万円を届けたあと、ロスで会ってるんだ。そのとき、ジョニーは故・ジョー山中とともにマフィアに追われて逃走中だった。

ワイルド・アット・ハートな時代だね。

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