プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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自宅に取材に来てくれたTV局のディレクター女史Aさんからの手紙が届いた。
その仕事はとても気にいったものでしたと彼女は美しく均整のとれた字でつづったあとに、中学生の頃に布袋寅泰のファンでよく『さよならアンディ』を聴いていましたと告白していた。
時々こういうことがある。
取材していたラッパーがカラオケでいつも『さよならアンディ』を熱唱していたとか、若手のカリスマ書道家が『さよならアンディ』をBGMに全身で書に挑んでると告白されたり。
Aさんもそうだったんだとウレシク感じた。
手紙を読んだ翌日、仕事で駒場に行き、〈POSTALCO〉のマイク・エーブルソンを取材したあと、帰り、渋谷の〈渋谷古書センター〉に寄ると、書棚の上段に、CDブック『よい夢を、おやすみ』を発見した!
この本は布袋寅泰の1990年~93年の日記本だ。普通はトップ・スターHOTEIひとりの日記本として刊行されるべきものなのに、カメラマンのハービー・山口とぼくのふたりが共著で参加している。つまりHOTEIと文章によるセッションがくりひろげられている。
勿論、ヴォーカル&ギターはHOTEIだ。
ハービーとぼくは、どっちがベースかドラムか。
CDは読書のためのBGM。タイトル『Beautiful Noise』、全8曲、インストゥルメンタル。ジグ・ジグ・スプートニクのニールXも参加している。
ぼくは日記執筆のほかに責任編集も担当した。
日記の舞台はロンドン、アムステルダム、NY、パリ、ヴェニス、香港、エジプト、東京、日本全国主要都市…。
ハービーはロンドン、NYに随行、ぼくはロンドン、東京、横浜、全国主要都市に随行した。
この時期、HOTEIは2枚組の大作『GUITARHYTHMⅡ』と『GUITARHY THMⅢ』を制作し、全国ツアーを敢行していた。
その日記形式、共著によるドキュメントがCDブック『よい夢を、おやすみ』だった。
自分の手元に、その本はなかった。
人に貸して戻ってこなかったのだろう。
偶然、渋谷の古書店で見つけ迷わず購入した。
久しぶりに読んでみた。
日記なのに3人3様、想いのたけをつづっている。正にセッションだ。
波乱に満ちた日々の出来事と追憶、内面を彩る情念、想念、思念、対話とまるでカレイドスコープだ。
CDの一曲目も『カレイドスコープ』というナンバーだ。
日記執筆のキッカケをHOTEIは12月13日、@LONDONでつづる。
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[12月13日]
やはり体がかなり疲れているらしい。目茶苦茶な毎日を送っているのだから無理はない。
空は必要以上に青かった。調子の悪い日に限って晴れるものだ。
ベッドルームの窓を全開にし、新鮮な空気を顔にうけながら、サム・シュパード『モーテル・クロニクルズ』を読んだ。
ジム・キャロルの『マンハッタン少年日記』とともに気に入っている一冊だ。
そもそもこうして日記らしきものをつけようと思ったきっかけになったのも、この2冊を読んでからのことだった。
自分の音楽がどういった感情を経て成り立っていくのか、書き留めることによって明確になっていくのだろう?…と以前から考えてはいたのだが、行動に移すには時間がかかった。
ある夜、森永博志氏と仙台坂下の“スター・バンク”でピーチ・ダイキリを飲みながらいつものようにロックンロール論やらサイエンス、旅の話で盛り上がっていた。
俺が日記をつけよう思っているともらすと、
「日記をつけるということは毎日をクリエイトすることに近い。何も起こらない一日などないんだよ。同じ時間は二度と訪れない。現実的に人は秒刻みに楽しんだり、悩み苦しんだり、感動したりしているのに、夜がきて目を閉じるたびにすべてを忘れてしまう。一瞬を封印するという意味においても意義があることだと思うよ。毎日を振り返ることが時として辛いものに感じるかもしれないけど、もしかしたらその毎日が布袋君の音楽かもしれないしね」と。
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確かにそんな一夜もあった。一時、南青山のHOTEI宅のゲストルームに寄宿するほど日常を共にしていた。
それほどアーティストと親しい間柄になったのは泉谷しげる以来だ。
70年代の泉谷しげる、90年代の布袋寅泰はその表現において前人未踏の領域に踏み込んでいった。
日常がハイ・テンションで輝き、行動を共にすることは冒険を想わせた。
日記でHOTEIは表明する。
★
「ロックンロール」という言葉は世界共通語だ。「ロックンロール」があればそれだけで十分お互いを理解することができるものだ。
売り上げがどうこう取りざたされる今日この頃だが、何枚のCDが売れたかより何人の人がそれを愛しているかのほうがよっぽど重要なことなのだ。
ロック・スターはカリスマになった瞬間死んだも同然だ。妄想に溺れ、独裁者を気取り、本質的なものを失うはめになる。
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そして、1993年4月28日@名古屋。
花田裕之のコンサートをいっしょに見に行った夜、ヒルトン・ホテルの部屋でのことを、ぼくは日記に書いていた。
ウォッカソーダを飲みながら布袋君が僕に――もう『ギタリズムⅢ』の制作に入っていて、最高の調子ですよ。で今回はアンディ・ウォーホルをテーマにした『さよならアンディ』という曲をいれようと思っていて、森永さん、詞を書いてくださいよ。といい、つづけて「最初の2ラインはできてるんですよ」とメモ用紙にペンでつづった。それは
“さよならアンディ
背徳のブルージーン”
「いいね」と僕はいい、すぐにパッと閃いたフレーズ
“プラネタリウムの星も消え”
と書き加えた。「いいじゃないですか」
と布袋君。
僕は以前ニューヨークでアンディ・ウォーホルやキース・ヘリング、ジャン・ミッシェル・バスキアたちを招いたパーティーを仲間たちと開いたことがあったが、いまや彼らもメイプルソープもニューヨーク・アート・シーンのスターたちは、まるでプラネタリウムの電源が落ちたみたいにあっけなく消えた、その感じだよというと、彼はそのライティング・セッションが楽しいのか、また
“さよならアンディ”
と書いて、「ウォーホルの色ってゴールデン・イエローって感じしません?」といい、
“ゴールデン・イエロー”
とつづった。
まるでイメージ・ゲームだ。
僕もウォーホルに想いをはせ、ウォーホルの死後にわかったことだが、この孤独な王子、まさにワイルド描くところの『幸福な王子』はワイルドなポップ・ライフの日々を送りながらもひとり眠りにつく部屋は何ひとつインテリアはなく、ベッドと十字架があるだけだった。
という話を思い出し、
“誰もいない部屋 夢枕に十字”
とつづった。
布袋君はそこまでのフレーズを口ずさみ、コレでいきましょう、あとは東京で作りましょう、とその夜は握手して別れた。
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やがて、この曲は詞もハービーによる英語のサビもコラージュされ完成。
ロンドンのメトロポリス・スタジオでクリス・スペディングをゲスト・プレイヤーに迎え録音された。
そのレコーディングもハービーの日記で記録されていた。
ハービーは素晴らしい文章を日記でHOTEIに捧げている。93年6月24日@LONDON。
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レコーディングはミュージシャンにとって戦いの場だ。ライヴもそうだが、布袋君を見ていると、このスタジオの中はまさに戦場だった。
特に、この数日は何人ものゲスト・ミュージシャンを迎え、布袋君との一騎討ちが繰り広げられていた。このゲスト・ミュージシャンたちはことごとく、布袋君のこれまでの音楽人生の中に強く影響を与えてきた人物だ。
ある人は、布袋寅泰が中学生の頃見た来日バンドの中で一番光っていた、憧れのギタリストだったり、またある人は、布袋君が一人前のミュージシャンとなってからレコードを聴いて知った名前だった。
そうした一人一人を布袋君はレコーディングというチャンスごとに、ゲストとして迎え入れ、彼らにチャレンジしているのだった。
その姿は、刀一本を腰に差して全国を歩く武者修行の剣士の様子に似ていた。
勝負に負けたら命を落とすことはないにせよ、毎日がバトルだった。
ゲストたちは強者だ。
日本のギタリストに負けてなるものかと、闘志をむきだしにして暴れまくった。
しかし、彼らの戦いは相手を傷つけるのではなくて、双方の良さをぶつけあって、もっと良いものを創り出すことだ。
こうして、布袋君のチャレンジを見ていると、僕はそこにアーティストとしての生き方の根本を見る思いがする。
惰性や反復だけで何のチャレンジもないまま、ノルマだけで作品を創ってしまっているアーティストが多いのではないだろうか。
そして、僕自身。
明日チャレンジするテーマを一日の終わりに考えて実行しているだろうか。
誰にでも見えるものしか撮っていないんではないだろうか。
せっかくの美しいロンドンでの夏の1ヶ月、何もせずにぼんやり過ごしてしまうのも、何かにチャレンジするのも、人それぞれの勝手だ。
どう過ごそうと誰も文句は言わないが、その差は歴然としている。そしてそのつけは自分に戻ってくるのだ。
今もスタジオの外は空の色が青から黒へ一刻一刻交代している。
僕と布袋君も一日一日、どこかの部分で変わっていかなければと、しきりに思う。
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ちなみに、ロンドンでハービーといっしょにいるとき、お互いの生年月日を明かしたら、ハービーは1950年1月20日、ぼくは1950年1月21日の1日ちがいだった。
その後、1995年にはHOTEIと僕の共著で『六弦の騎士』を刊行した。あいにくとこの本も今手元にない。
また古書店で見つけたら、改めて読み直し、ここで書くことになるだろう。
ちなみに、『よい夢を、おやすみ』はHOTEIの日記だけで文庫本(幻冬舎)に再編集されて刊行され、そのあとがきを担当した。