森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

最近、吉田拓郎の歌をYou-Tubeでよく聴くようになった。

3・11を経験し、表現者の多くが商業的活動を超えて、特に音楽は“支援”や“脱原発”を掲げて活動するようになった。

表現者として今、自分は何をすべきか、多くのアーティストが自らに問うようになった。

しかし、歌そのもので今、社会が抱えている問題を訴える者は意外と少ない。

ジャーナリストはメディアで直接的に異を訴えるが、それを歌で伝えようとするのは難しい。

忌野清志郎はかつて身を挺してメッセージを歌い、3・11以降は斉藤和義が継承した。

そんなこともあって、吉田拓郎が今、メッセージ・ソングを歌っているわけではないが、You-Tubeで歌を探すうちに、TVスタジオで『アジアの片隅で』を絶唱する吉田拓郎を見て衝撃をうけた。

やがて訪れることになった「アジアの片隅」の悲劇をすでに拓郎は大衆に向かって歌っていたのだった。

他に、「この国ときたら賭けるものなどないさ」と歌う『落陽』、「流れる雲を追いかけながら本当のことを話してみたい いつか失った怒りを胸に」と歌う『明日に向かって走れ』等、次々と拓郎氏の歌に耳を傾けた。

3・11がなかったら、こんな経験はなかっただろう。

ある日、図書館に行き、何を借りたいかもなく本棚をめぐっていると、田家秀樹『吉田拓郎/終わりなき日々』(角川書店)が目に入り、もう迷わず借りた。

肺ガンを克服し復帰した拓郎が2度も全国ツアーに出て行くが、2度とも心身の調子をくずし中止に追い込まれた、その日々の出来事を主軸においたドキュメントである。

しかし、約500頁の大作の半分程は過去の活動の記録に割かれている。

その中に、1975年の『吉田拓郎・かぐや姫コンサート・イン・つま恋』の記録もおさめられていた。田家秀樹は回想する。


〈ここ数年、音楽シーンではしきりと“伝説”という言葉が使われる。

確かに、一つの出来事を伝える言葉としては想像力を刺激する独特な意味を持っており、使いたくなる性質のものであるのだろう。

でも、中には、果たしてそれに値するのか疑問になる場合もあり、同時に、意図的にそうした誇張を目論んだ計算が見えてしまうこともある。

伝説――。

当事者ですらそんなことが起きると思ってもおらず、起きてしまったことが長い時間の経過とともに人々に語り継がれていく。かつて、こんなことがあった。それが途方もない事実として伝わって行く。それこそが伝説だろう。

そういう意味で、日本の音楽シーンで何よりも“伝説”にふさわしい出来事が「つま恋」である。〉


1975年8月2日・3日、つま恋の広場で、吉田拓郎とかぐや姫をメインの出演者とした12時間のオールナイト・コンサートが開催された。観客は日本のコンサート史上最多を記録した6万人。7万人とも言われている。主催はユイ音楽工房だった。

当時の主要スタッフだった川口勇吉が、本中で回想していた。


〈イベントって結局、伝説になるかどうかなんですよ。あらゆる意味でオールナイトコンサートの伝説が1975年の“つま恋”から始まってます。あの後、どんな大規模なイベントでも“つま恋”ほどのインパクトはないでしょう。参加者一人一人がその主人公になれるかどうかなんですね。そのエネルギーが伝わるかどうか。集まった人たちが帰ってからその想いを語り継いでいる。だから今に繋がっているんだと思いますね〉


本の中に“つま恋”の記録を読みながら、その「伝説」の一夜のことを想い出していた。というのも、写真集制作のために現場にいたのだった。

それも、自分の名が編集者として、カメラマン、デザイナーと並んで初めて奥付けにクレジットされた記念すべき仕事だった。

もしこれが編集者としての正式なキャリアのスタートだとしたら、「伝説」の真只中がスタート地点となる。

だけど、その「伝説」の一夜のことを当事者の拓郎氏は、余りの熱狂に呑みこまれほとんど記憶にないと言う。

そこにいた出演者も制作スタッフも6万人の観客もそしてぼくも全員が、そこで起こっていたことに魂をもっていかれ、トランス状態におちいっていたのだと思う。

コンサートの一週間後、原宿のスナック〈シンガポール・ナイト〉で打ちあげのパーティーが開かれた。

その夜、自分も出席したが、主賓の拓郎氏は途中で退場してしまった。その拓郎氏に「ちょっといっしょに行こう」と自分と写真集を出版した出版社の代表の渡辺氏が声をかけられ、銀座に行った。

バーのマダムは拓郎氏の広島時代の、高校の同級生だった。しばらくそのバーで飲んだあと、四谷のバーに移った。女の子がたくさん働くバーで飲むうちに拓郎氏は気分が悪くなり、トイレでもどしていた。

“つま恋”のことはほとんど記憶にないが、パーティーの夜のことはよくおぼえている。

写真集には吉田拓郎と泉谷しげるの対談も収録していて、そこで拓郎氏は語る。

泉谷 12時間が経った時はどんな気持だった?何も考えられなかった?

拓郎 いや会場のことが気になったね。アンコールもなにもなしで引っ込んじゃうからね。わからんわけよ。それで、終わって30分ぐらいしてから会場の方を見に行ったわけ。そうしたら、お客さんがみんな帰っていってる。それも疲れた感じはぜんぜんなくて、みんな元気よく帰っていくんだ。朝焼けの空の下をね。ああ、コンサートをやってよかった、とその時しみじみ思ったね。

夜通しうたいつづけ精魂尽きているはずなのに、ファンのことが心配で宿舎から会場まで拓郎氏は出かけて行ったのだ。

なんというBig Heart。

6万人を包みこんだ。

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