森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

『セブンシーズ』の仕事は編集長から直々「また、特集、やってください」と依頼がきた。798の特集がこけていたら2度と依頼はこないだろう。

今度は、開高建がうちだした創刊時の編集理念に帰って、「冒険」をテーマにしたい、という話だった。話しあった結果なのか? 編集部が先に決めていたか? わすれたが、シルクロード特集を組むことになった。総ページ数50!!

だけど、自分はもう何度もシルクロードには行っていて、さほど企画に興味をおぼえなかった。

だから、依頼は受けたけど、撮影は李ひとりで、何度か行ってもらった。

しかし、テキストを書くにあたって、せめてウィグル自治区の区都ウルムチには行ってみよう、それも真冬のシルクロード! 何か、すごいシーンが撮れるかもしれない。李は、そのとき北京をはなれられず、かわりに写真に少しは覚えのある従兄弟の張が撮影することになった。編集長も同行した。

ウルムチに行く日はシルクロードに大雪が降って、ウルムチ空港の滑走路が使用できなくなり、一日飛行が延期した。

ウルムチには行けたが、タクラマカン砂漠のメトロポリスは凍結していた。

ひさしぶりのウルムチ。イスラム系民族は、中心部には見なくなっていた。前はイスラム文字が街をうめていたが、いまは漢字になっていた。時代は変わった。イスラム系は街外れに、追いやられていた。

タクシーで、そこを訪ねたが、漢民族のドライバーはぼくらをおろすと、逃げるように走り去っていった。

もはや、自分の知るウルムチでも、シルクロードでもなかった。

ホテルには寿司屋があったが、それは、得体のしれない魚の握り飯だった。しかも、馬鹿げたくらい高かった。

ウルムチは雪にうもれていた。凍っていた。ホテルの高層の部屋から張がそれまで誰も撮ったことのないシルクロードの写真を撮った。

それは、美しく、切なく、歴史の非情をとらえた画期的な一葉だった。

その数年後、イスラム系と共産党政府の戦いが火を吹いた。たくさんのウィグル族が殺されていった。イスラム系遊牧民の「生きる」砂漠が石油、天然ガス、レア・メタルの宝庫と知った共産党政府は、かつて北米大陸にいた先住民を皆殺しにし文明国を偽建したように、彼らを追いやり、弾圧している。

その歴史の非情を真冬のウルムチの写真がとらえてる。

仕事で異国の写真を数知れず撮ってきたが、この写真がトップだろう。

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