プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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CHAR
細野(晴臣)さんがラジオ・シャングリラ(ニッポン放送)のゲストでスタジオに来てくれるはずであったが、急遽、CHARに変更になった。
今までのゲストはユーミン、ムッシュ、宍戸カフカ、映画監督の豊田利晃と窪塚洋介、TOKUときてチャー。細野さんは先送りとなった。
番組では、「よく、覚えているね」とCHARが感心するくらい、彼との記憶は鮮明だ。
例えば、1976年、CHARがソロ・アルバムを発表した年、ぼくは『フォーライフ・マガジン』の編集長をつとめていた。
まだ、『気絶するほど悩ましい』のヒットの前であったが、その異彩を放つ存在はすでにスターを感じさせ、毎号、CHARを取り上げていた。
ある号でCHARを特撮することになった。カメラマンは三浦憲治。
CHARとは六本木の〈ハンバーガー・イン〉で待ち合わせ、三浦の車で撮影予定地のお台場へと向かった。
途中、CHARは持参したジョージ・ベンソンの『ブリージン』のカセットテープをカーオーディオにセットし聴いていたが、片面が終わり、裏返すと、テープがこんがらがってしまった。あわてて、彼はカセットをとりだしたが、時すでに遅く、テープは元に戻らなかった。
すると、CHARはカセットからテープを引っ張りだし、手の平に丸めてしまった。
そして、助手席にいた彼が振り返り、丸めたテープをのせた手の平を差し出し、こう言ったのだ。
「はい、ジョージ・ベンソンの脳みそ」
その回顧談を番組ですると、CHARも覚えていて、
「あのテープ、とってあるよ」
というのであった。
他に、日比谷野音のコンサートのときは、新橋の中華料理屋で打ち上げが催され、CHARはフリークス系の変態的な芸を披露していた。
「なんで、そんなことまで覚えてるの!」
「泉谷の家に行って、ボブ・マーリーのビデオ見てたよね」
「泉谷は凄かったね」
「今年、おとぼけキャッツのダディー竹千代とトークしたとき、奴は子供のころからクソ生意気だったって言ってたよ」
「生意気だった」
なんていう調子のラジオ・トークであった。
番組のパートナーのミックよりか付き合いは古い。
野音のブルース・フェスティバルや葬儀場やホールなどで会えば、「ヨーヨー、元気?」と街場のあんちゃんみたいな立ち話を交わす。
まったく気を使わないで済む、ムッシュとかの感じだ。ユーミンも、そうだが。
凄い写真が残っている。
CHARの特撮をクリームソーダの系列店であったカフェ・バー【上海娘】でおこなった。時、1977年、雑誌は『フォーライフ・マガジン』。
テーブルの上の魚にCHARが懐中電灯を当てているというシチュエーション写真。ドアが開いたトイレで男が小便をしている。この小便小僧が実は僕なのだ。
こんなようなラフな関係だったんだろうね。
加部正義、ジョニー吉長とピンククラウド結成時にはNHKFM『サウンド・ストリート』に出演してもらい、結成秘話を聞いた。
その後、『ドロップアウトのえらいひと』の元になった『週刊プレイボーイ』の連載『東京ジャングルブック』で三週にわたりインタビューを掲載した。
ジョニー・ルイス&チャーを解散しサイケデリックスを結成したばかりのCHARを富士山麓のスタジオに訪ねロング・インタビューをおこなった。掲載誌は『日本版エスクァイア』であった。
スパイラル・ホールでトーク・ショーをおこなった。そのときはBAHOの石田長生もいて、楽屋の雑談で盛り上がった。新刊であった『アイランドトリップノート』を「これ、アシッドトリップだよ」と言って進呈すると、「この紙、アシッド?」とジョークが返ってきた。
ジョニー吉長の葬儀場であったときは、いきなり指さされ、「次、あんた?」と笑えない冗談をかまされた。
そんな調子であった。
昔という程の過去ではないが、日本橋の路地裏に前田というアウトローがやっていたバーがあった。
そのバーによく早乙女と飲みに行った。
前田はCHARと矢沢のファンで、行くとアコースティック・バージョンの『気絶するほど悩ましい』を流してくれた。
前田はある日、泥酔して隅田川に転落し、溺死した。
葬儀場に『気絶するほど悩ましい』が流れていたと記憶する。