プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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6年ぶりにCOZYと会った。
COZYは今、バリ島に住んでいて、2児の母。仕事はSUPER COZYという名で、ワールドワイドに活動するDJであり、HYPO Espressoというラウンジ系のレーベルも主宰している。
知り合ったのは90年代の終わり頃だったか、西麻布のバー・アムリタだったような気がする。そのころ彼女はシンガーとしてプロ・デビューしていたが、ノーマルな音楽業界での活動に物足りず、98年には日本を脱出し、オーストラリアに渡った。
そこで旦那となる男と出会い、彼と旅を共にし、ドイツでDJデビューを果たした。その後、全世界的な活動をはじめた。
そのCOZYと久しぶりに再会し、色々と昔話に華を咲かせた。
彼女はぼくが出会ったころに進呈した一冊の本を大事にし、「ボロボロになるまで読んだの」という。
その本がミックこと立川直樹とのダイアローグ・ブック『シャングリラの予言』!
「だけど友だちに貸したらもどってこなかったの」
とCOZYはくやしそうにいう。
「本は貸したら、まず返ってこないよ」
話を聞いて、あのぶ厚い本をボロボロになるまで読んだというのは、それは本当にすごいことだなぁと、ありがたく想った。
『シャングリラの予言』は人によっては、読んでもいったい何のことなのかサッパリ理解できないという感想を語る人もいた。
街で暮らす人間必読のバイブルだという人もいた。
村上龍が友情執筆ということであとがきを書いてくれ、カバーの両側のバック・スペースに伊丹十三、篠山紀信、ユーミン、坂本龍一、かまやつひろし、谷村新司らそうそうたるアーティストたちがコメントを寄せてくれた。
相方の立川直樹とは1969年に東京で出会った。
そのときミックは20歳、ぼくは19歳だった。
1歳ちがいだが兄弟のような関係になった。
同じ女の子と何人かつきあいもした。
困ったとき助けてもらったこともあった。
旅もずいぶんいっしょにした。
仕事もそこそこした。
つきあいはずっとつづいた。
結果が、通常の単行本3冊分の厚さ(2段組み600頁)の『シャングリラの予言』だったのだと思う。
刊行は出会ってから26年目の1995年。
その後、2002年に『続・シャングリラの予言』を刊行した。
今でも街で、愛読してました、という人によく会う。
出会ったときはふたり合わせて、まだ39歳だったのに、今は123歳になってしまった。
世相は大きく変わったが、今でもぼくらは会えば、同じように、一晩中でも自分たちの心をとらえた音楽、映画、文学、アート、店、旅、人について語るだろう。
今は各々、facebook言いたい放題やっているが、これを合わせれば、3・11以降のCLUB SHANGLIRAになるのではないか?