プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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その日はしばらくつづいた春陽気、あるいは異常気象としか思えない真夏日到来の、温暖な気候に冬将軍が切り込み、朝から冷たい雨が降っていた。
いつも、突然やってくる。
BLACK CATSの音楽を聴きたくなった。
『IN USA』を聴いた。
一曲、CANDYの曲が入っていた。
『CAT’S EYE』。元歌はBLACK CATSだ。それをCANDYがメロコアパンクにアレンジして歌った。
血流中に龍の吐息を聴いた。
その瞬間、その日の夜、予定されている毎月恒例、既に10年近くつづけているロック・パーティ@RED SHOES <森永博志PRESENTS 第3土ヨー日>で、山崎眞行氏追悼の儀を行おうと決めた。
冷たい雨は、山ちゃんにつきものだ。しかも今日は古代歴でいうところの穀雨。穀物の豊作をもたらす雨降ってめでたしとなる。
香港の象球商標のビニール製米粉袋に、BLACK CATSのCD、ライブの前にインクラブ再放送として流す1979年録音のRCサクセション&遠藤賢司のスタジオ・ライブ・テープ、それを再生するカッセットテープ・プレイヤーをいれ、いつもより早目に自宅をでた。
オープン前に店につき、店長のリオと、追悼の儀に関して打ち合わせ。
スクリーンに葬儀のときの、花に飾られた祭壇の写真を投映。自分が山崎氏のことを語り、レッド・オーナーの門ちゃんこと門野も追悼の想いを語る。そして、自分と山ちゃんが組んでプロデュースしたパンカビリー・バンド、CANDYの『CAT’S EYE』を爆音で流す。という段取りを決めた。
時間は、本日、出演4組のラスト、R&Rスリーピース・バンド RATの前。
冷たい雨が、この流れを今日、自分につくらせた。
客足も気になったが、雨の中、けっこうな人たちが来てくれた。
ものすごくファニーでキュートな女性ヴォーカリストとギタリストのPm7で、スタート。思わずCDを買ってしまい、カフェの店長に転職した元<WALK’N>のヒデちゃんにプレゼントした。
つづいて、70年代後期の、パンク化していった泉谷しげるを想わせる、ヴォーカル&ギターとドラムス、ふたり組のhooch。
3番手は急遽出演決定の、オルガラウンジ。ギター&ヴォーカル、ベース、ドラムに女性キーボーダー。(彼女は、最近、『週刊文春』の音楽評で近田春夫の絶賛をうけたらしい)。初めて聴いた。鳥肌ものだ。ファンカデリックのような、ブーツィのような、キーボードはバニー・ウォーレルのような、トーキングヘッズのような。めちゃくちゃ、カッコいい。
そして、スクリーンに山ちゃんの葬儀の写真。マイクで、「3月24日、ぼくにとってもレッド・オーナー門ちゃんにとっても、ものすごく重要だった方が亡くなりました。その人は、山崎真行さんといって…」と語り、門ちゃんに、このWeb内のコンテンツ『ROCK’N ROLL』でも書いた、『原宿ゴールドラッシュ』のエピソードを語ってもらい、予定通り、CANDYの『CAT’S EYE』を「ぼくと山崎さんで最後にプロデュースしたバンドの曲です」と説明し、DJが爆音で流した。
追悼の儀が終り、RATのライブに突入した。一曲目から爆音、疾走する。リオがやってきて、「いまやってる曲は『マイ・フレンド』という曲です」と言い、「知ってるよ」と答えたら、突然、現実ににじみがかかった。濡れた。
次に門ちゃんがやってきて、「ヴォーカリストの使ってるギターは(忌野)清志郎さんが使ってたギターです」と言う。
RATのライブが終ると、DJタイムに入り、注文した酒を運んできた格闘技系の店員が、「オレ、CANDYのアナログ盤持ってます。今夜、CANDYの曲が流れたのでビックリしました」と言い、「あれは山崎さんとぼくでプロデュースしたんだ」「知ってました」という会話ののち、彼が持ってないというのでBLACK CATSの『IN USA』を貸してあげた。
CANDYのことは忘れていた。それを今日雨のおかげで思い出した。パーティーを終え、朝方、帰宅し、CANDYに関する何か資料はないか探したら、すぐに、2002年春に発行したFREE PAPER<C・S・P>が見つかり、以下の文が、CANDYの10インチ・アナログ盤の紹介としてのっていた。
ピンクドラゴンの山崎眞行&『原宿ゴールドラッシュ』の著者森永博志の強力タッグが、アドバイザーにヒカル君(BOUNTY HUNTER)を迎えて20年ぶりに送る今世紀最低のROCK’N ROLL。
「今世紀最高」と言わず、「最低」と言うところが山ちゃんらしい。
10インチ・アナログ盤はインディーズで制作・発売し、それでも限定5,000枚はソールド・アウトとなった。
数ヶ月後にはやはりインディーズで、ぼくの著書のタイトルをつけたCD『やるだけやっちまえ!/CANDY』が発売された。
2002年の事だ。
それ以降、山ちゃんとは本は作ったが、音楽のプロデュースはCANDYが最後となり、自分は南青山の<RED SHOES>とCANDYのディレクターだった高橋康浩と組んで、新しい形態のクラブ・パーティ<第3土ヨー日>をスタートした。
自分が“来し道”に、ものすごく深くロックンロールが関係してたことを再確認した一夜だった。
ロックンロールの爆音の彼方に、いつも聖なる存在を感じていた。
その爆音を浴びるのに、ぼくには南青山の<RED SHOES>>以外にはないのも確認した。