プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
- TEXT:
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- Special
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- 32
- 33
- 34
- 35
- 36
- 37
- 38
- 39
- 40
- 41
- 42
- 43
- 44
- 45
- 46
- 47
- 48
- 49
- 50
- 51
- 52
- 53
- 54
- 55
- 56
- 57
- 58
- 59
- 60
- 61
- 62
- 63
- 64
- 65
- 66
- 67
- 68
- 69
- 70
- 71
- 72
- 73
- 74
- 75
- 75-2
- 76
- 77
- 78
- 79
- 80
- 81
- 82
- 83
- 84
- 85
- 86
- 87
- 88
- 89
- 90
- 91
- 92
- 93
- 94
- 95
- 96
- 97
- 98
- 99
- 100
- 101
- 102
- special 2
- 103
- 104
- 105
- 106
- 107
- 108
- 109
- 110
- 111
- 112
- 113
- 114
- 115
- 116
- 117
- 118
- 119
- 120
- 121
- 122
- 123
- special 3
- 124
- 125
- 126
- 127
- 128
- 129
- 130
- 131
- 132
- 133
- 134
- 135
- 136
- 137
- 138
- 139
- 140
- 141
- 142
- 143
- 144
- 145
- 146
- 147
- 148
- 149
- 150
- 151
- 152
- 153
- 154
- 155
- 156
- 157
- 158
- 159
- 160
- 161
- 162
- 163
- 164
- 165
- 166
- 167
- 168
- 169
- 170
- 171
- 172
- 173
- 174
- 175
- 176
- 177
- 178
- 179
- 180
- 181
- 182
- 183
- 184
- 185
- 186
- 187
- 188
- 189
- 190
- 191
- 192
- 193
- 194
- 195
- 196
- 197
- 198
- special 4
- 200
- 201
- 202
- 203
- 204
- 205
- 206
- 207
- 208
- 209
- 210
- 211
- 212
- 213
- 214
- 215
- 216
- 217
- 218
- 219
- 220
- 221
- 222
- 223
- 224
- 225
ある日、山川惣治から「森永さん、ちょっと、池袋にいっしょにいってくれませんか?」と言われ、「いいですよ」と用件もたずねず受けて、神楽坂からタクシーに乗って池袋へ走った。辿り着いた垣根のついた瀟洒な小住宅は玉井徳太郎の住居だった。玉井徳太郎は戦前に一世を風靡した挿絵画家の大家だった。川端康成、檀一雄らの少年文学に挿絵を描いた。挿絵の人気で大衆は小説を読んだ。
下戸の山川さんが、だされたビールを飲み、「玉井君、あんたも絵を描かなきゃだめだ』と激しい口調で迫る。玉井さんは、もう絵を描く仕事をしていない。そのとき80代だったか。商業画家が仕事をしつづけるのは並大抵のことではない。
山川さんは戦後、『少年王者』『少年ケニア』で大ブレイクしたが、それでも活動の時期は限られていた。しかし、80年代に復活を果たし、『小説王」に新作を連載で描いていた。
「玉井君、俺たちだって、まだできる、な、森永さん!」
と言われ、
「玉井先生、描きましょう!」
と、ぼくも説得にかかる。
「わかった。描くよ」
とやる気になってくれた。
ぼくはその光景を傍目に見て、『ワイルド・バンチ』で、老いたガンマンが老体に鞭打ち「もう若いときみたいにはいかないが、もうひと暴れするか」と銀行襲撃するシーンを思い出していた。
玉井さんには、『小説王』に連載中だった羽山信樹の時代小説『流され者』の挿絵を依頼した。八丈島を舞台にしたこの小説は変態じみていて激しいセックス・シーンはあるわ、男色はあるわ、その異色な過激さで多くの読者に支持されていた。発行人の角川春樹も高く評価し、大作の映画にしようとしていた。
玉井さんに原稿を渡し、読んでもらい、あとは好きに描いてもらった。あがってきた絵は鉛筆画で、やはり架空の主人公に見事に命を与える筆致だった。山川さんは、動物や波を描いたら抜群の筆致を誇っていたが、玉井さんは人物を得意とした。
順調なスタートだったが、ある日、玉井さんから「この仕事は、やはり、わたしには無理です。おります」と電話がかかってきた。理由を訊くと、どうしても主人公に感情移入できない。男色家が、玉井さんを当惑させ、原稿を読むのもきつい、ということだった。
山川さんに、そのことを伝えると落胆の表情を見せ、「だめだなぁ、玉井君は」とつぶやいた。
その数年後、大竹伸朗と仕事をしたとき、彼が『小説王』の話をし、「玉井徳太郎の絵は最高でした」と回顧した。
人は絵のどういうところを見ているかわからない。
画業はナイーブなだけでは続けられないのかもしれないな。
しかし、玉井さんの、この絵は今見ても、古いとは言えない何かがある。
緻密に描き込んだ画調に、当代一だった絵師の、老いても衰えない技を感じる。