森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ある日、山川惣治から「森永さん、ちょっと、池袋にいっしょにいってくれませんか?」と言われ、「いいですよ」と用件もたずねず受けて、神楽坂からタクシーに乗って池袋へ走った。辿り着いた垣根のついた瀟洒な小住宅は玉井徳太郎の住居だった。玉井徳太郎は戦前に一世を風靡した挿絵画家の大家だった。川端康成、檀一雄らの少年文学に挿絵を描いた。挿絵の人気で大衆は小説を読んだ。

下戸の山川さんが、だされたビールを飲み、「玉井君、あんたも絵を描かなきゃだめだ』と激しい口調で迫る。玉井さんは、もう絵を描く仕事をしていない。そのとき80代だったか。商業画家が仕事をしつづけるのは並大抵のことではない。

山川さんは戦後、『少年王者』『少年ケニア』で大ブレイクしたが、それでも活動の時期は限られていた。しかし、80年代に復活を果たし、『小説王」に新作を連載で描いていた。

「玉井君、俺たちだって、まだできる、な、森永さん!」

と言われ、

「玉井先生、描きましょう!」

と、ぼくも説得にかかる。

「わかった。描くよ」

とやる気になってくれた。

ぼくはその光景を傍目に見て、『ワイルド・バンチ』で、老いたガンマンが老体に鞭打ち「もう若いときみたいにはいかないが、もうひと暴れするか」と銀行襲撃するシーンを思い出していた。

玉井さんには、『小説王』に連載中だった羽山信樹の時代小説『流され者』の挿絵を依頼した。八丈島を舞台にしたこの小説は変態じみていて激しいセックス・シーンはあるわ、男色はあるわ、その異色な過激さで多くの読者に支持されていた。発行人の角川春樹も高く評価し、大作の映画にしようとしていた。

玉井さんに原稿を渡し、読んでもらい、あとは好きに描いてもらった。あがってきた絵は鉛筆画で、やはり架空の主人公に見事に命を与える筆致だった。山川さんは、動物や波を描いたら抜群の筆致を誇っていたが、玉井さんは人物を得意とした。

順調なスタートだったが、ある日、玉井さんから「この仕事は、やはり、わたしには無理です。おります」と電話がかかってきた。理由を訊くと、どうしても主人公に感情移入できない。男色家が、玉井さんを当惑させ、原稿を読むのもきつい、ということだった。

山川さんに、そのことを伝えると落胆の表情を見せ、「だめだなぁ、玉井君は」とつぶやいた。


その数年後、大竹伸朗と仕事をしたとき、彼が『小説王』の話をし、「玉井徳太郎の絵は最高でした」と回顧した。

人は絵のどういうところを見ているかわからない。

画業はナイーブなだけでは続けられないのかもしれないな。

しかし、玉井さんの、この絵は今見ても、古いとは言えない何かがある。

緻密に描き込んだ画調に、当代一だった絵師の、老いても衰えない技を感じる。

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