森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

記憶はあやうくなっている。ぼくの初めての編集の仕事は、日本楽器池袋がスポンサーとなった『ROCK VOICE』だろう。

1970年、71年、まだ自分は20歳ほど。編集のことなど何も知らない。でもロックのレコードは毎日聴き、その感想ぐらいは書ける。レコード会社をまわって広告をもらったり。

編集長は現オノ・ヨーコの代理人である浜田哲生氏。写真とデザインは、まだデビュー前の小暮徹さんだった。

東由多加主宰の東京キットブラザースや頭脳警察の特集を組んでいた。 VOL2は「特集 帰ってきた〈黄金バッド〉」。

カバーに、東由多加氏が浜田哲生氏あてにNYから書いて送ったPOST CARDが使われている。

彼らはまだ23歳ほどだ。若い。その後、ぼくは渋谷西武B館地下のBe-inをヨシダシゲル氏とプロデュースし、ここから『PI-CA-BOO』というフリーペーパーをだした。デザイナーは芥正彦の友人だったような気がする。

『PI-CA-BOO』ではギリヤーク尼ヶ崎をはじめ大道芸人たちを追いかけた。デビューしたばかりの黒鉄ヒロシ氏にも一頁マンガを依頼した。 その後もオルタナティブな冊子をずいぶん作った。

原宿初のストリートマガジン『TWIST&SHOUT』(デザインは立花ハジメ)、クリームソーダと組んだ『STYLE NO.1』(デザインは横山忠正)、この時代(70年末~80年代初め)は、ものすごくパンクを意識していた。

クリームソーダとのコラボレートは、『原宿ゴールドラッシュ』を生みだしたが、2000年代にC・S・Pというフリーペーパーを刊行した。1号あたり5万部刷った。それがきれいに全国ではけていった。

フリーペーパーでは、やはりユキリョウイチと組んで作った『原寸江戸魂』が多くの人が知るところのものになるだろう。最新号は2010年に刊行している。デザイナーは中山泰。2009年にも刊行し、デザイナーは大橋修。『AXIS』(April 2009 vol.138)に大きく取りあげられた。

その特集のキャッチいわく。「日光江戸村が放つ、“新文化創造”の試み」「斬新なビジュアル構成が目を惹くフリーペーパー『原寸江戸魂』。発行元・日光江戸村のイメージを覆すラディカルな紙面は、いかにして実現したのか。既存の広報戦略とは一線を画す試みに、新たなる文化の胎動を見た」。

『ROCK VOICE』にはじまり、およそ40年間、オルタナティブ、やってます。多分、一生。

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