森永博志のオフィシャルサイト

www.morinaga-hiroshi.com

プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

image

image


東京はオリンピック開催が決定した途端、かつてないほどの勢いで再開発の嵐にのみこまれ、長いあいだ親しんでいた店や娯楽施設がどんどん消滅していっている。

浅草や新橋、三原橋のこだわり旧作上映映画館が消え、地元芝浦は通っていた何軒ものこだわり飲食店がクローズした。


それでも、渋谷は、まだ残っている。

1970年代の思い出が路地に埋蔵されている百軒店にはロック喫茶のB・Y・G、クラシック喫茶のライオン、カレー屋のムルギーが営業を続けている。

戦後昭和の遺跡と化しつつある赤提灯ののんべえ横丁もタイムトリップの装置だ。

井の頭線ガード下の路地には、24時間営業している焼き鳥屋が残っているし、心の拠り所といってもいい渋谷古書センターにも、よく足を運ぶ。

先日も古書センターをのぞいた。 『ブルータス』の1980年代のバックナンバーがかなりの冊数売りにでていて、ときめきながら漁っていると、表紙に見る特集タイトルに覚えがあり、自分が仕事をしていた号があるわ、あるわ。

以下が、それだ。


1981年11月1日号。

表紙には「ブルータスのいい女論」が誌名の真下に。

それをうけて、「オンナは男の楽園である」と随分とお気楽なメッセージがパルコの広告写真のコピーのように載ってるが、これは、ぼくの考案だろう。

そんなことを考案したそのころいったい、自分はどういう生活をしていたのか? 首をかしげる。


image

image

image

image


特集の巻頭を飾る6ページのグラビアはクレジットを見ると、構成は森永博志、撮影は『ブルータス』初登場になった小暮徹だ。

小暮さんとは1970年来のつきあいなので、その縁もあって、すでに超売れっ子となっていた小暮さんに頼んだのだろう。

テキストはぼくが書くはずだったが、急遽、海外取材に出て行くことになり、松山(猛)さんに依頼したと記憶している。

いまなら旅先からFAX、パソコンで送信できるが、そのころは、そのシステムはなく、やむをえず、やはり1970年来の友人であった松山さんに頼んだのだろう。

つまり、このグラビアは1970年来の友人たちによる合作である。

小暮さんはスタジオで自ら大工道具を手にし、セットを工作していた。


この特集は制作陣は豪華だ。

蜷川幸雄の関根恵子賛歌に裸体のモデルをつとめくれたのは関根恵子本人、村上龍のOL賛歌、「裸しか似合わない女」烏丸せつこのヌード、西木正明のアフリカ女賛歌、桑田佳祐の赤毛オンナ賛歌、松本隆の嘘つきオンナ賛歌、村松友視の格闘技オンナ賛歌、尾辻克彦の大仏オンナ論、荒木経惟夫人とビートだけし夫人の特別出演、吉行淳之介とタモリの対談、久保田二郎の生涯恋愛論ときて、ぼくは特集の最後、当時よく遊んでいた風吹ジュンについて「とやかく言ってはみたものの、すき間風吹く人妻が一番」という原稿を書いた。

そのころ、彼女は川添象郎夫人だった。

その写真に見る妖艶さが凄い!


次は 1982年3月1日号。タイトル『不良少年も脱帽の40年代感覚 Be-Bop40's』というビーバップ特集。


image

image

image

image


このころ、仕事仲間だったグラフィック・デザイナー横山忠正がリーダーだったビーバップ・ハンドのスポイルをとりあげてモードやダンスも含めたジャズの新しい楽しみ方を提案しようーーこの特集は都築響一と組んで制作した。

アイランド、50s、蕩尽・・・響一とは『ブルータス』でいくつもの特集を制作した。

このビーバップの特集は、各ネタのタイトルが、こんな感じだ。


【破壊しろ、とバップ・ボーイは叫んだ。】はビバップな生き方宣言。

【男が白いマウスピースを唇に当てたとき、カクテル・グラスのざわめきがやんだ】は、ビバップ音楽史。

【放蕩息子たちの帰還】はスポイル賛歌。

【ネッカチーフの結び目が妙にきつい、彼と私の日比谷公園。】はビバップ・モードに40年代不良少女の回想録@東京

【ホテルはスウィングする。】は都ホテル東京でショーを開催する東京ユニオンの紹介。

【真空管のバップ・ビート】はウエスタン・エレクトリック社の紹介。

【フレッド・アステアの遺産。】はフレッド・アステア・ダンス教室の紹介。

【前戯ではなく、エクスタシーとしてのダンス。】はクールな踊り方講座。

【媚びるような女の視線をさけ、男はウィンザーの結び目を絞った。】は幅広、デザイン・ネクタイのカタログ。

【シーツに残るチックの香りが、彼女にはなによりの慰めとなった。】オール・バックの髪型のカタログ。

【胸元の活火山】はラナ・ターナー賛歌。


80年代はじめ、ロンドンやニューヨークのクラブ・シーンで(それはニューウェイブと総称される新しい潮流の一画をしめることになったが)ビーバップとロック、パンクやスカが融合したインストゥルメンタル・ミュージックが登場した。

彼らは40年代、50年代の黒人ミュージシャンのようにズート系のダボダボ・スーツでバシッと決め、ロックにはない伊達男ぶりを演出した。

その筆頭がニューヨークのラウンジ・リザーズだった。

彼らはバンドのスーツ・スタイルを復活させた。


それもあって『ブルータス』では、過去のビーバップやスーツ文化を紹介しながら、それが過去のものではなく、最先端であると主張した。

いまも、このブログでも取り上げているブラサキは、その流れのなかの最先端にある。


しかし、この特集は響一との共作で、写真家は伊島薫、イラストレーションは佐藤三千彦、スタイリストは沼田元気と、サブカル界の個性派が参加しているだけあって、マニアックを極めている。


振り返ってみれば、1980年代はじめは世が狂乱したバブルの直前で、まだ雑誌界にも想像力や好奇心、探究心が編集の核にあったんたんだなぁと、当時を懐かしく思い出した。

特集制作は祭のようだった。


その最たる特集が、やはり、古書センターで見つけた1984年9月15日号、「日常芸術の冒険」。

この特集はスッカリ忘却していた。


image


目次に、

〈アートほど素敵な遊びはない。創作欲のかいほうは日常生活の悦楽である。創刊4周年の特別企画は、ブルータスなじみの作家、写真家、デザイナー、イラストレーターの方々50人が意欲満々で参加してくれた大アンデパンダンだ。作品は、いずれ劣らぬ傑作、力作、怪作、奇作ーー公開開示にて諸兄自身に見者になってもらいたいが、まずは誌面でしっかりと見てほしい〉


では、その50人とは?


高松伸、嵐山光三郎、谷岡ヤスジ、高田文夫、湯村輝彦、日比野克彦、菊池武夫、玉村豊男、浅葉克己、立川直樹、沢野ひとし、内田繁、南佳孝、安西水丸、やまもと寛斎、桂文珍、荒木経惟、村上龍、三宅一生、田中康夫、高橋睦郎、景山民夫などなど。


で、ぼくはまだ作家デビューをしてないのに選抜された。

肩書きは文芸編集者になっていた。


出品したのは、タイトル〈ジェイムス・ブラウンの匂い〉。


image


作品は視覚的には、JBの肖像画だが、ダンボールに炭で描いた顔に、耳にはイミテーションのダイヤ、服は生地屋で買った布をコラージュした。

しかし、それが出品作ではなく、じっさいはバリ島で入手したサンダルウッドの原液をプロの調香師に依頼し、JBのエロスをテーマにオリジナルの香水を作った。

それを特製の香水瓶に入れて作品にした。

作品は西武百貨店渋谷店B館特設会場で展示販売された。

Text122→

PageTop