森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

吉田直矢



クラッシックのアーティストでひとりだけ10数年親交を結んでる方がいます。

吉田直矢氏です。

公式の経歴には第65回レオポルド・ベランコンクール第1位、第10回バッハ国際コンクール最優秀賞受賞とあります。


初めて吉田さんの演奏を聴いたのは、忘れもしない、今も毎月第3土曜日に南青山のワールドフェイマス・ロック・クラブ【レッドシューズ】で僕が主催しているライブ&DJのパーティーの一回目に出演してくれた時でした。

2002年のことでした。

そのパーティーでは爆音系のロック・バンドとの共演となったが、吉田さんの演奏はジミ・ヘンを彷彿させる激しさで観客に超弩級的衝撃を与えました。


以来、何度もそのイベントには出演してくれ、毎回、歓声を浴びました。

僕が吉田さんの演奏から感じたことはーー闇を切り裂く閃光ーー演奏中の姿は恐ろしい怪物と命がけで戦う弦を剣にした騎士のようであり、音楽は咆哮であり悲嘆であり鎮魂である。

いったい、どこから、その繊細にして激烈なる感情がやってくるのか、僕はいつもはかりしれない大きな物語に触れたような感動を覚えていました。

それが、何であるか、長い間知らずにいました。

吉田さんから聞かされることもありませんでした。


ある日、新橋の地下道に貼られていたポスターのひとつに吉田さんの名前を発見して立ち止まり内容を読むと、1977年11月に新潟で北朝鮮の工作員により連れ去られた横田めぐみさんをはじめとするたくさんの拉致された日本人の無事を願い帰還を訴えるコンサートだったのです。

浜離宮で開催されたそのコンサートに行くと、吉田さんが横田めぐみさんと同じ中学であったと知りました。吉田さんは語ります。


ーー同じ通学路を通い、同じ体育館でめぐみさんはバドミントン部、僕はバスケット部で夜遅くまで練習し、度々同じ体育館で練習している姿を見たり、なんといっても、拉致された同じ通学路でよく見かけた事が一番印象に残っています。

それでも毎日、同じ教室で顔を合わせていた同級生としての情は、当然あるのは当たり前すぎる事だし、、、


同級生であった当時13歳のめぐみさんが、どのような残酷極まりない拉致にあい怒涛逆巻く冬の日本海を渡り、その後の数十年にも及ぶ幽閉生活を想像すると、湧きあがる激しい怒りと悲しみの感情を、吉田さんは、演奏に叩きつけていくようになったと知り、僕はうちのめされ、尽きぬ涙にくれました。


漠然と感じていた大きな物語とは、そのことだったのです。

僕は、【レッドシューズ】でも、その大きな物語を語ったうえで、演奏をしてはどうかと吉田さんに打診すると、吉田さんは承諾してくれ、その日の演奏は激しさを増し、めぐみさんの声を限りの叫喚を聴いた気がし胸が張り裂けそうになりました。

こんな音楽的体験は初めてのことでした。


音楽の力、意味を真剣に考えさせられました。

ブルースの根源にあるのは黒人奴隷の鎮魂歌です。

大英帝国により、新大陸での開拓事業の人的資源としてアフリカの黒人たちが理不尽にも拉致され、奴隷船でアメリカに連れ去られ、伝染病はびこる南部の農場の過酷な環境に置かれました。

その苦しみを忘れるために黒人たちはブルースを生み歌いました。

怒りや悲しみ、さらに望みと言った感情が黒人音楽に注ぎ込まれました。


一方、大英帝国の支配下で飢餓に苦しむほどに痛めつけられたアイルランド人たちも祖国を脱出し、貧しい移民となり新大陸アメリカに渡りワイルドウエストへと、血と汗と涙の旅にでます。

そこで生まれたのがアイルランド民謡をルーツとする白人たちのカントリー&ウエスタンでした。


その黒人音楽と白人音楽がひとつになったときにロックンロールが誕生したのです。


音楽には、その根源に感情が不可欠です。

真の感情は境遇からしか生まれません。

311時に多くのミュージシャンが支援的活動をしましたが、時がたてば、忘れてしまう。

なぜなら、彼らはそのことで一生涯魂を痛みつづける境遇ではなかったからです。

日本の音楽に興味を失せたのは、結局、リアルではない、ただのビジネスでしかなく、そのビジネスも随分とセコイものに成り果てたとわかったからです。


今年は自主的にすでに5回、吉田さんの演奏会を主催しました。

2回は品川のライブ・ハウス。

そこでのPAを使った演奏会は観客が涙するほどの結果となりましたが、生音ならば、もっと、リアルに感情が聴衆に伝わるだろうと判断し、自分がオフィス&サロンとしているウォーターフロントのタワーマンション高層階の部屋で、生音のライブを開催しました。

おそらく、その音楽の力、意味においても、崇高といっていいほどの、文字通り、「高み」に到達したと確信しました。

共演は、天使が人の姿となってこの世に降臨したピアニストの若き奇才・山本有紗さんでした。


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音楽とは絵画と同じに、万年、数千年、霊長類が魂を育むために必要とした芸術のひとつです。

そのレベルに達した音楽を商業主義の次元を超えた環境で体感した時、人は涙すのです。


めぐみさんは、今年10月5日に、52歳の誕生日を迎えました。

消えた日から39年も経ってしまいました。

吉田さんの演奏を聴くたびに、めぐみさんや拉致された日本人の方々への祈りを抱かずにはいられません。

そのことに関して、何もできない自分がせめてできることは、吉田さんの演奏会をつづけていくことしか、いまのところ、できません。


これを書いた直後、やはり同じ場所で、サイエンティストたちに演奏することが決まりました。 科学と芸術の素晴らしき出会いとなる一夜を夢見ます。










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