プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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那覇から石垣に、ピーチ航空で渡った。
那覇空港のメイン・ターミナルからバスでピーチ専用の施設まで行く。到着したところは倉庫地区だった。そのひとつに入ると、ガラーンとした、まさに倉庫!! 旅客ターミナルらしき内装はないが、チェックイン・カウンターがあるので、そこがターミナルだ。
軽い衝撃をうける。倉庫の設備がむき出しのまま、通気孔にはアルミはくがまきつけられている。その光景はアルミホイルで全体をおおったウォーホルのファクトリーを連想させる。かなり、クールだ。
と同時に、はじめて北京で798芸術区を訪ねたときのことを思い出した。
2004年、ラグジュアリー・マガジン『セブンシーズ』から北京特集制作の依頼を受けた。90年ころから北京に通っていたので、このメトロポリスのことはよく知っていた。裏の裏まで、アンダーワールドまで、足を運んでいた。そこで最新、古典の視点からネタをそろえて編集部に提案すると、案は通った。
取材前、年末年始を北京で過ごすことにした。山田編集長も取材前に北京を見ておきたいと、休暇であとからやってきた。北京では写真家の李がケアしてくれた。
「工場跡が、いま画廊になってるとこがあるんです」
初耳だ。編集部にだした企画には、そのネタはいれてない。でも、視察しようと李や編集長たちと訪ねた。真冬の極寒の日だった。大陸の寒風はカミソリのように顔を刺激する。
その工場跡は、かつて798と名称された特殊工場だった。竣工は1950年ころ。兵器ではなく高度な精密機械を製造する工場だった。完全には閉鎖していず、半分は稼働していた。残りの半分をアーティストたちが画廊に改造しているとのことだったが、真冬の工場街は印象が暗い。全体、廃墟のようだ。
だけど、いくつかの元工場が画廊やカフェに改造されていた。工場は中華人民共和国開国時に国交のあった東ドイツからきた技術者が建造指導していたので、ドイツ建築様式のバウハウス・スタイルだった。
60年代の、労働者主導のプロレタリアート文化大革命の時代には革命運動の舞台になったので、工場のあらゆるところに「造反有理「革命万歳」ら漢字のスローガンが描かれた。
だから戦前のドイツ様式と60年代革命様式が、そのまま残され、そこに現代的なスタイルが加えられ、ハイ・ブリッドの空間が作られていた。
それに、斬新を感じた。編集部にだしたネタのすべてには興味が失せた。
「798の特集にしましょう!」
編集長に提案すると、彼は冗談をいってると思ったようだった。
「そんなの無理ですよ」
「なんで?」
「なんでって、もうこのあいだの企画で決定しちゃってるんですよ!」
「だって、ここしかないよ」
「無理ですよ、ここだけで50ページは。コンテンツのひとつならわかりますけど」
「いや、できる。絶対ここは世界的になるから、最初にやろう!」
編集長は「無理」をくりかえす。ぼくは「やろう」と攻める。どっちもゆずらない。険悪な雰囲気になる。ついに、「やらないんなら、やめる」と腹をくくった。それでも、
「うちの雑誌は高額所得者の会員のためのもんで、工場なんて、どう考えても無理です」
と、北京で決裂。
確かに、工場の芸術区だけじゃ、50ページの特集は成立しない。どんな雑誌でも無理だ。それはわかってる。それでも、798の特集を作りたい。それは編集者の業だ。
それなりに労力かけてたてた企画をぜんぶすてても、798をやりたい。編集長はぼくが血迷ったと思ったにちがいない。
なんのリサーチもしていない。でも、直感だ。開高建が最高顧問で創刊した会員制の雑誌だけど、一部は書店売りをしている。798をやれば、話題になる。確信があった。
考えた。ドイツ様式のバウハウスはいける。車のフロントガラスの機能を窓ガラスにしている。ガラスの文明だ。
ガラス?
金魚鉢?
じゃ、人は金魚?
ガラス張りの、コルビジェ的なビル。北京では、いま、トレンドだ。
あれは、現代の水槽?
金魚を飼うのは、中国では、むかし貴族の道楽。
ハイ・ソサエティの文化?
と思案をめぐらしているうちに、バウハウス+中国王朝をうちだせば、なんとかカッコつくと結論した。
ラグジュアリーの雑誌にはプロレタリアート文化大革命はタブーだろう。もし、その時代だったら、ラグジュアリー雑誌の関係者は全員処刑だろう。
帰国し、あらたに偽装した798特集企画を提案すると、「しょうがない」といった表情を見せながらも編集長はしぶしぶ承諾した。もう北京特集をやめるわけにはいかないところまできていたのだった。
特集を制作し、その号が書店にでると、異常な反響があった。
その後、798は世界中のギャラリー、アーティストに注目され、中国政府も世界に誇る文化遺産と認め、世界的な観光スポットになっていった。
『セブンシーズ』が、世界で最初に798の特集を組んだ雑誌だったのだ。