プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
- TEXT:
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- Special
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- 32
- 33
- 34
- 35
- 36
- 37
- 38
- 39
- 40
- 41
- 42
- 43
- 44
- 45
- 46
- 47
- 48
- 49
- 50
- 51
- 52
- 53
- 54
- 55
- 56
- 57
- 58
- 59
- 60
- 61
- 62
- 63
- 64
- 65
- 66
- 67
- 68
- 69
- 70
- 71
- 72
- 73
- 74
- 75
- 75-2
- 76
- 77
- 78
- 79
- 80
- 81
- 82
- 83
- 84
- 85
- 86
- 87
- 88
- 89
- 90
- 91
- 92
- 93
- 94
- 95
- 96
- 97
- 98
- 99
- 100
- 101
- 102
- special 2
- 103
- 104
- 105
- 106
- 107
- 108
- 109
- 110
- 111
- 112
- 113
- 114
- 115
- 116
- 117
- 118
- 119
- 120
- 121
- 122
- 123
- special 3
- 124
- 125
- 126
- 127
- 128
- 129
- 130
- 131
- 132
- 133
- 134
- 135
- 136
- 137
- 138
- 139
- 140
- 141
- 142
- 143
- 144
- 145
- 146
- 147
- 148
- 149
- 150
- 151
- 152
- 153
- 154
- 155
- 156
- 157
- 158
- 159
- 160
- 161
- 162
- 163
- 164
- 165
- 166
- 167
- 168
- 169
- 170
- 171
- 172
- 173
- 174
- 175
- 176
- 177
- 178
- 179
- 180
- 181
- 182
- 183
- 184
- 185
- 186
- 187
- 188
- 189
- 190
- 191
- 192
- 193
- 194
- 195
- 196
- 197
- 198
- special 4
- 200
- 201
- 202
- 203
- 204
- 205
- 206
- 207
- 208
- 209
- 210
- 211
- 212
- 213
- 214
- 215
- 216
- 217
- 218
- 219
- 220
- 221
- 222
- 223
- 224
- 225
先日、ロックンイラストレーターの小林クンと静岡の久能山東照宮に参拝した。見物したあと、〈はてな堂〉というサブ・カル系の古書店があると聞いて、焼津に行った。
〈はてな堂〉でぼくが編集した単行本の『RATS & STAR』を見たと小林クンが言う。「それ、探してる本だ。神保町でたまに見ると、けっこう高くてね」と、ドゥーワップ・グループ、RATS & STAR(元シャネルズ)の裏話などをしながら小林クンの車で向かった。
本のタイトルがグループ名として使われた。つまりタイトルはぼくが考えてつけたので、グループ名の名づけ親はぼくになる。
街はずれの闇のなかに古書店はガソリン・スタンドのように明かりをともしていた。風情たっぷりだった。
主要商品はマンガやアイドル本、芸能誌、エロ・ビデオなど。
多分、お宝が眠っているのだろう。
以前、『BURST』にも紹介されたという。
目当ての『RATS & STAR』は書棚になく、小林クンが店長に訊くと、売れてしまったらしい。
それで主に雑誌のコーナーをさぐっていたら、棚にはオシャレ系の『BRUTUS』、『ESQUIRE』や知的な月刊『PLAYBOY』らは一冊もない。
何だか見たこともないような雑誌が並んでいる。何だこれはと、興味を持ってチェックしてると、「ウワォ!」思わず声をあげてしまった。
『サンジャック』だ!
1975年、自分がはじめて仕事したメンズ・マガジンが『サンジャック』だった。
このころ、メンズ・マガジンが続々創刊されていた。
月刊『PLAYBOY』、『GORO』、『POPEYE』、『ギャラントメン』…『サンジャック』…。
『サンジャック』は中堅出版社の鎌倉書房の刊行だった。
月刊『PLAYBOY』や『GORO』、『POPEYE』に比べたら、かなり格下ちするB級雑誌だった。
のちには『PLAYBOY』でも『POPEYE』でも仕事をすることになるが、1975年の段階では自分はまったく編集経験はゼロにひとしく、とてもそれら大手出版社の看板メジャー雑誌の仕事はえれない。
一冊500円だったので『サンジャック』を2冊買って、静岡市内にもどり、居酒屋にはいり、ヌードもふんだんな古雑誌を酒の肴に小林クンと飲んだ。
その2冊で、ぼくはファッションページのディレクションをしていた。多分、仕事をするキッカケは、そのころぼくはPICARESQUE EYEにも書いたが、東京シャツの仕事をしていて、どうやらタイアップ・ページを制作したのが、『サンジャック』との仕事のはじまりのようだ。
そのページが好評だったのか、編集ページの仕事がまわってきたのだろう。
よくおぼえているのは、ジェームス・ディーンの特集だ。まだデビューしたばかりの吉田カツにジェームス・ディーンのポートレイトを10数点依頼し、結成されたばかりのクールスをモデルにレーベル的写真も撮った。
デザイン・チームのWORKSHOP MUの3人をモデルにファッション・ページも作った。このときはまだ青山のちいさな古着屋だった〈ハリウッドランチ・マーケット〉や〈スポーツトレイン〉も取材している。
カメラマンは関口照生氏だ。竹下景子の旦那さんだ。このころよく関口氏とは仕事をしていた。
『サンジャック』をめくっていて気づいたのは、B級とはいえ、執筆者は青島幸男、長新太、片岡義男、梶山季之、畑正憲、河野典生、三木鶏郎、虫明亜呂無、浅井慎平、森村誠一、五味康祐と大物揃いだ。
記事では一村哲也・写真、草森紳一・文の全13頁の『沖縄恋歌』という、入魂を感じさせるドキュメントもある。
それに、新宿のロックショップ〈怪人20面相〉を舞台にしたファッション・ページもある。岡田さんの描いた壁画が映っている。コレはとても貴重な写真だ。
「やっぱり、変だね、ぼくのページ」
若いビジネスマンが空手の型を決めて白人の社長を殴っている写真を見ながら小林クンと笑っている。
「これはグローバル系の会社なのかな」
自分で作っていて、すっかりそのときの企画を忘れている。
飛び散る白紙に、「不況」「インフレ」「相次ぐ、倒産!」「失業者続出」と文字が踊る。
1975年に作ったのに、これ、今じゃないか。
社長の役を演じてくれているのは当時〈スタイリー〉のTVコマーシャルに自ら出演していた社長だ。特別出演だ。若いビジネスマンはまだ新人モデルだった北上淳だ。
これは全6頁のビジネスマン向けのファッション・ページだった。
「コレ、すごいですね。右の広告ページの絵と、左のファッション・ページのモデルの写真、ポーズもまるっきしいっしょですよ。コレ、わざとですか」
と小林クンに言われて、広告ページを見てみれば、
「ホントだ。偶然、偶然。髪型も顔の表情もポーズもソックリだ!偶然だよ」
「だったら、すごいっすね」
「いやー、ビックリしたね。こんなことってあるんだね」
この「偶然」をせひとも御覧いただきたい。しかし、表紙がヌードだったんだな。コレはコレで、今はない「レトロ」なんだろうな。
だけど、日本中どう探したって『サンジャック』なんて見つからないと思ってた。これは徳川家康をまつってある久能山東照宮を参拝した御利益か。
13個の縁起物のうち、おみくじをひいたら小槌がきて、「振れば財宝がでてくる」だった。
コレもぼくにとってはちっちゃなお宝かな。
だって1975年の自分にタイムトリップできたのだから。
よかったよ、このころから「変なこと」やってるのわかって。
しかも「偶然」にも恵まれてて。