森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ラジオ・シャングリラ



突然、ラジオ出演の話がきた。

しかも、FMではなく、ニッポン放送。厳密にいうと、このコラムでも書いたちわきがパーソナリティーをつとめているFM COCOLO765との共同制作。10月からオン・エア。毎週土曜日20時から21時が概略。

番組タイトルは『ラジオ・シャングリラ』!


そう、おっ察しのとおり、クラブ・シャングリラのラジオ版。

ミックとの共演となる。

それにしても、かくも長きにわたり、クラブ・シャングリラがメディアを転々として継続していくとはスタート時には想像もつかなかった。


はじまりは1990年、日本版『エスクァイア』である。


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編集長の長澤潔氏より、「読者が最初に読めるようなページを作ってよ」と依頼され、即座にミックとのダイアローグを思いついた。

お互い、様々な好みが似ている。

事実、僕らをよく知るある女性が双子みたいねというのを聞いた。

似てるはずである。僕らは一年違いの1月21日生まれなのだから。

誕生日が同じと知ったのは、つきあいはじめて、10年目。

横浜の丘の上のホテルからミックの運転する車でチャイナタウンへと向かう途上であった。

そのへんのことは拙著『ONE+ONE』に書いてある。

昨年、わかったことだが、ぼくがパーソナリティーをつとめていた『サウンド・ストリート』のゲストにミックを招き対談していた。1979年のことだ。

このときはシャングリラなんて命名してるはずもなく、しかし、間違いなくこのラジオがダイアローグの最初だ。

次に10年後の1988年に雑誌誌上で対談している。

それはファイルの中にのこっていたが、誌名がわからない。『スタジオ・ヴォイス』か?


『自然淘汰のなかの、享楽の王道。』がタイトル。


リードに「あの時代が舞い戻ってくる。確信にも似た予感。憧憬と理想、そして桃源郷。かげろうと呼吸し、竜をはぐくんだ戦士が語る、夢心地の時間、悦楽の瞬間。」と編者は書くが、なんのことやら理解不能。


このダイアローグを全文転載してみる。



【再生される、あの時代。】


立川 :  時代がそうなってきてるんじゃない?

森永:  20年ごとに繰り返す。いまが1988年で20年前っていうと68年でしょ。ちょうどサイケデリックの全盛期です。

立川 :  この間も二人で飲みながら話したけど、サイケデリック・クラブをやろうかってね。

森永:  日曜日だけのクラブ!

立川 :  とにかくいかがわしくて、ドアーズとか、ジェファーソン・エアプレイン、グレートフル・デッドなんか流れていてさ、ただストロボがチカチカしてるという。

森永:  今度、グレートフル・デッドのビデオが出るんだけど、その中に何か今っぽいアニメーションとかはいってます。

立川 :  このあいだロスでピンク・フロイドを見てきたんだけど、もう、完全にサイケデリック・バンドに戻ってた!

森永:  戻ってた?  それもおかしいね!

立川 :  だから時代の流れがそこにあるんじゃない? たとえば面白いのはさ、村上龍の『愛と幻想のファシズム』だか村上春樹の『ノルウェーの森』だか、どっちか忘れちゃったけど、いきなり「一日中ボリス・ヴィアンを読んでいた」なんていうフレーズが出てくんだよ!

森永:  ミックはボリス・ヴィアンとか、サンジェルマン・デ・プレとかいうのが大好きだもんね。

立川 :  二人の村上にしても、片っぽは『ブレードランナー』で、片っぽは切ない恋愛小説なんだけど、根底に流れているものは、ぼくらも含めてほとんど一緒なんだよ。各々がいろんな回り道をしながら結局はみんな同じレールに戻ってくる。

森永:  最近なぜか20年くらい前に知り合った連中と、ミックもそうだけど、仕事でばったり会うことが多いよ。でも昔は良かった話にはなんない。

立川 :  昔話にはならないでしょ。みんな元気だからさ。

森永:  変わってないんだよね、みんな。

立川 :  いちばん変わんない、何か、ヌエみたいな世代なんじゃないかね。

森永:  この間桑原茂一や大貫憲章と雑談してて、あの頃みんな外人の名前持ってたよねというわけ。ミックもそうでしょ、ぼくもマッケンジーだし、ジョンとかキースとか、67年、68年に遊んでいた連中って、みんなそういう仇名がついていてさ。

立川 :  つけたのかつけられたのか。

森永:  自然とついちゃうのね。で、そのキャラクターで生きちゃうわけですよ。正太郎じゃなくて、ジョンみたいな。

立川 :  (笑)だから歳とらない。それはなかなか面白い高説だね。

森永:  最近になって気づいたんだ。自分の仇名がいつつけられて、どういう風に20年も継承されてきてるかっていうのがとても面白い。サラリーマン社会じゃないよ。仇名呼び合う関係なんて。

立川 :  あと上下関係が早くなくなり、名前ではあるけど、匿名的になるね。

森永:  あ、匿名だね、そうそう、匿名(笑)

立川 :  ぼくらの世代は「何々やってます」って言いたがらないんだよね。まわりはひとつの肩書きを重要視する傾向が強いけど、ぼくらはある世代的断層で、名刺に肩書きを入れようとしない。

森永:  みんなアングラ育ちだしさ。

立川 :  ほんとにそうだよね。だからピンク・フロイドに対する異常な憧憬っていうのも、結局は同じ穴のムジナっていう感覚からきてるんだろうし、いまになってロックの歴史のなかで考えると、ドアーズもそうだけど、凄いバンドのように思われているけど、当時は「ピンク・フロイドが好き」なんていうと、まわりから完全に変人扱いされた。

森永:  だから、秘密結社というか、カルトっぽかったしさ。

立川 :  コミューンみたいだった。都市コミューンみたいな。で、面白いのはさ、いまそれができつつあるような気がするんだ。飽和状態であることは間違いないんだけど、また何かエア・ポケットのような時期にきた気がする。


【いきなり憧憬を越えて。】


森永:  あの時代ってあまり人見知りとかしなかったよね。自然に仲良くなって、たとえば話すときに話題がないとか変な間ができたとか、そういうことはなかったね。

立川 :  見た感じがはっきりしてたからじゃないか。だからファッションを見ても、今はファッション誌があるから、マインドが不良になっていなくても、とりあえず不良っぽい着こなしができるよね。でもぼくらの時代はカッコを見てるだけで、「あいつは同族だな」とか「あいつは明らかにスクウェア側だな」ってわかった。いまはミス・マッチ感覚なんていうのがクールとされてるけど、あの時代にそんなことやったら完全に馬鹿だからね。

森永:  (笑)で、「ぼくは馬鹿ですよ」というパターンをみんなでやってた!

立川 :  (笑)馬鹿だといわれたいがためにはしった!

森永:  何かになりきってたんです。インドに行ったジョージ・ハリスンとかさ。

立川 :  みんな何かに憧れてた。ぼくなんてブライアン・ジョーンズが死んだとき、彼の魂はぼくに乗り移ったと思い込んでた。

森永:  ファンタジックに過ごしてた。いまもそうだけど。

立川 :  ぼくらのやってきたことってさ、自分のことは全部自分で、他人の手を借りずにやる! たとえば、憧れの誰々に会いたいと思ったら、いまだと誰かの紹介って ワン・クッション入る世の中になってるけど、ぼくらはいきなり本人を訪ねちゃう。すべてが、その調子なんだよ。当時は、そういう言葉なかったけど、完全にパンクだったよ!

森永:  ぼくなんか編集の仕事って何も知らなかったのに、「編集やれるか?」と聞かれて、「やれる」って言っちゃってさ。何も考えてない。やりはじめてから「こりゃ、大変だ!」って気づいたんだ。ひどい! 写植が何だかも知らない。

立川 :  で、やりながら覚えていく。

森永:  ファッション・ショーも、いきなり舞監になってるんだもん。いきなりですよ! 経験ゼロなのに。

立川 :  乱暴っていえば、乱暴!

森永:  で、あとは何してたかっていうと、一日中原宿のレオンで、コーヒー飲んでムダ話しにふけってる(笑)。ユートピアといえばユートピアだったかも知れない。

立川 :  いまもまわりが変わっただけで、気分的にはまったく変わってないよ。夢心地のままに生きてる。

森永:  まわりは悲惨だよね。全共闘とかさ。

立川 :  だから、ようは心の持ちよう! ぼくだって学生運動に加担しなかったわけではない。たとえば、ぼくは五月革命のように楽しんでいたし、すべてを面白いものとして消化してた。火炎瓶を運ぶ手伝いしたよ。でもスポーツカーで運んだ!

森永:  (笑)ほとんど、『気狂いピエロ』!

立川 :  いつも、そんな調子だったよ。あれやろう、これやろうってさ。

森永:  そういえば、あれ、おもしろかったね。一度、ふたりでアーティスト・ブックのプロデュース&編集やろうって、磯子プリンス・ホテルに缶詰になってね。

立川 :  細野さんの『地平線の階段』を作ったときね。

森永:  ホテルに一週間つめたら、簡単に一冊作れるって言ったんだよ。

立川 :  でも、相もかわらずこの調子だから、二人とも仕事しない(笑)。だってさ、出版社は都内のホテルをとるつもりだったんだよ。でも、ホテルはやっぱり横浜がいいと。

森永:  しかも海の見えるホテルがいいと。

立川 :  ところが、毎日プールでビールを飲んで、外人の女の子と遊んでた。

森永:  仕事、忘れてた。

立川 :  でも、ふと、何日目かの朝に、我にかえって、「マッケンジー、仕事しないとまずいよ!」ってさ。そしたら突然マッケンジーが台割りを書いて壁に貼りはじめた。

森永:  それで一気に作っちゃった!

立川 :  でも、それはいまでも名著と称されている(笑)


【夢心地の理想主義】


立川 :  こだわってさ、理想主義でいかないと、絶対にダメだね。

森永:  そう、理想主義じゃないと!

立川 :  憧れの対象をひとつ見つけると楽なんだよ。特に早死にした人なんかを選べば、老醜見なくて済むんだから、いちばんいい。

森永:  こうありたいとか、こう生きたいとかさ、いつも考えている必要はないけど、やっぱり理想はもっていないとね。

立川 :  何かのときにできればいいんだよ。それに対して、誰が何を言おうとさ。

森永:  そうしていれば、誰かが成功おさめても、羨ましくも何ともない。成功して会社大きくした、それが、どしたの? って、感じ。

立川 :  ぼくらだったら社長になるよりも、そのお金で飲んじゃうか、美味しいものを食べちゃうね。

森永:  旅にでてね。

立川 :  社長になる人っていうのは、たとえば、マッケンジーがバリでぶっ飛んでいたというね、そういう経験はないよ。

森永:  もうできなくなっちゃうんだろうね。お金がたまってからだと。アメリカ、イギリスにはいるけど。ぶっ飛んでる社長は、いくらでも。

立川 :  怖くなっちゃうんじゃないか。

森永:  いっぱい背負いこんでね。

立川 :  マネー・ゲームっていうのも、あれはあれで、また違ったロマンがあるんだと思うけど、ぼくらには間違ってもできないだろうね。

森永:  できない! でも、まわりにいた連中って、みんなけっこううまくやってて、不思議だな。いちばん先にダメになっちゃうタイプなんだけど。

立川 :  でも、そうに考えると、ダメになる奴はずいぶんダメになってるよ。やっぱり弱肉強食、自然淘汰だからさ。で、いったんダメになった奴は影も形もなくなってる。それだけの運命なんだよ、それは。

森永:  運命! ぼくら何でも好きだっていうのが特色だと思うな。カルロス・カスタネダも読むし、でも、キャバレーのお姉さんも好きだし。

立川 :  ウォークマンでコルトレーン聞きながらキャバレーにも行くし。

森永:  もちろん、嫌いなものもあるけど、気持ちいいものはみんな好きだよ。

立川 :  で、嫌いなものもは嫌いっていうより、嫌いなものは知らない。入ってこないんだよ、ぜんぜん。それも、この歳になってもそうなんだから、まわりがおもしろがっちゃって、非難もされない。このままいったら無形文化財になれるんじゃないか。

森永:  そうはいっても、20代の終わりくらいまでは、やっぱりどっか不安はあった。

立川 :  あったね。

森永:  このままでいいのかなっていう。でも、ここまできちゃって、引き返すことはもとよりできず、このままで行こう、と。逆境には強いね。

立川 :  逆境に強いっていうのは、逆境を、また逆に楽しんじゃうというさ、そういうことなんだよね。みんなが落ち込むようなことでも、ぼくらは夢心地で楽しんじゃう。

森永:  ほんとに楽しいんだもん。ぼくら程度の逆境なんて。



と、まあ、こんな感じである。

対談の場所は麻布の仙台坂下にあったレストラン&バーの〈スターバンク〉だ。

ぼくもミックも、その店の常連客で、その翌年から日本版『エスクァイア』でスタートすることになる〈クラブ・シャングリラ〉は、この店を対談の場としてよく利用した。

北野 武さんをゲストに迎えてのシャングリラも、この店でおこなわれた。

それは三者三様のソウルが言葉でセッションした稀有なトークとなった。

『エスクァイア』の対談は『シャングリラの予言』というタイトルで分厚い単行本になり、その後、『快楽都市遊泳術』という文庫本になった。

文庫本ではぼくらの共通の親しいアーティストのユーミンとムッシュとの特別トークを収録。

その後、シャングリラ・トークは新世紀へと向かう時代にミックがプロデュースをつとめたカルチャー・マガジンの『おとなピア』で連載を再開、これは『続シャングリラの予言』として単行本化を果たし、単行本には巻頭に坂本龍一をニューヨークでゲストに迎えたトークを収録した。

さらに、シャングリラ・トークは『団塊パンチ』に連載の舞台を得て、『続々シャングリラの予言』と題し連載開始。スタートは2006年の4月だった。


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すでにメディアを変遷しながら15年の歳月を経ていた。

その間に、バブル経済の破綻も神戸の震災も911も経験している。

しかし、ぼくらは、歴史的逆境にもめげず、享楽的なことを暮らしの中心に据え続け、何ら変わることなく、会えば、享楽の話しに興じた。

その後、311を経験した年の暮れから、すでにスタートしていたwww.morinaga-hiroshi.comにて、Web版クラブ・シャングリラを開始した。

これは、京都行きの34回目が、異様な空気感に包まれ、啓示的にも思えたので、第一部完、とした。

すでに、ここまでで、開始から25年が経っていた。

ぼくらは、かつて音楽界の最重鎮に評されたように、「サイケデリックなサイモン&ガーファンクル」みたいなもので、サイモンはミック、ガーファンクルはぼくだ。

   ぼくらは、オリジナル・メンバーで再結成を繰り返す。

よくあるバンドの仲違いし、永久解散なんて、さみしい話しはなしだ。

どちらかが声をかければ、すぐに再結成する。


4度目の再結成の舞台はラジオとなった。

「続々」と「Web版」は文庫本化される。

12月にはトーク・ライブの予定もある、、、


お互い生きていれば、、、何度でもやるんだろう。



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