森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

代官山蔦屋でアート・ディレクターの大御所、木村裕治氏のトークショーがあり、そのインタビュアーの中西君から、是非、来て、木村さんと会ってくださいとメールがきて、ひさしぶりに木村さんと会いたいと思い、12月の一週目の日曜日、代官山に出かけていった。


いまの代官山はぜんぜん好きな町ではない。余程の用がなければ行きたくもない。

前はそれでもハリウッドランチマーケットの町という印象で、オーナーのゲンさんを訪ねたり、町の匂いがしたが、いまは観光地と化し、一番苦手な町模様になった。


それでも、木村さんがトークするというので、トーク開演30分前に行くと、施設のいっかくのレストランにいて、ひさしぶりに木村さんと会話した。

ぼくは木村さんに聞いたーー60年代、木村さんが武蔵美の学生のころ、木村さんは左翼バリバリの故・戸井十月と同級生で、そのころデザインの世界にも革新の嵐は吹き荒れ、新人デザイナーの登龍門だった日宣美を解体し、それによって若いデザイナーは行く道を失ったときがあったが、木村さんは、どうだったのか?

などと話していると、このままトークショーにしたらいいんじゃないの、と笑い、木村さんは古い権威と戦うつもりはなかったし自分はのらりくらりしていただけだとのたまう。


ぼくが木村さんと初めて仕事をしたのは80年代の終わり、ほぼ同時に日本版『エスクァイア』と全日空の機内誌『翼の王国』だった。

ぼくは両誌で特集を担当し、以来、長い間、ともに仕事をした。

考えてみれば、もっとも長くおつきあいしたアート・ディレクターだった。の割にはつきあいは軽い。

プライベートで飲んだこともない。あくまでも仕事上の関係だが、堅苦しくはなく、打ち合わせの場ではいつも和やかだった。


しかし、この人は武士だ、と感じていた。

この人は媚ない。奢らない。はべらかさない。ちゃらちゃらしない。くずれない。

ひけらかさない。裏切らない。あせらない。

必死を見せない。声を荒げない。

人には人柄がある。偉くなると、それに人柄が染まる人も多い。


木村さんは、平たい人柄のままで、木村さんと対面していると、こっちも平たくなる。

これは、とても肝心なことだ。

本音を吐ける。

ミュージシャンでは、ムッシュやチャーが、その人柄の代表だ。

そんな人と仕事をすることは喜びである。


何よりも、木村さんの雑誌デザインは固有の様式をそなえている。

木村スタイルが確立されている。これは、他のデザイナーではありえない。

その様式とは空白の演出である。

空白はデザインにとってタブーであった。

デザインとは圧倒的ビィジュアルや情報で誌面を埋めることだった。

それが、木村さんは、あえて空白をつくる。

それが斬新だった。


雑誌づくりは編集者が主導のもとに形にすべきだと、木村さんは、たとえばタイトル・ページにタイトルをでかでかとデザインすることで伝えていた。

だから、タイトルを考えることが、編集者のまずは重要な仕事となった。


一方的ではなく、共作の喜びを編集者にもたらしてくれた。


ぼくの手元にはほとんどいっしょにやった雑誌はないが、確かに木村裕治氏とは長い間、共に仕事をした。

1988年から2006年まで雑誌をつくっていた。

たぶん、どの仕事もいま見ても古びてはいないだろう。


木村さんはいま朝日新聞のグローブを手がけている。



image『翼の王国』取材★森永博志/撮影★李長鎖


image撮影★繰上和美/モデル★花田裕之(元ルースターズ)/特集構成★森永博志

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