プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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プロフィール79~88で中国の連作を書いてるとき、吉田カバンのレオと行ったシルクロード・トリップまではここに記録しておこうとおもっていたが、肝心のその雑誌が手元になくて、外に探すのも億劫で、やめにしてしまった。
ところが、昨日探し物があって倉庫のダンボール箱をひっくり返していると、雑誌そのものではなく、初校紙がでてきた。製本されて商品になる前の回りに色見本もついた初校紙はアナログ・メディアの真髄を思わせる。何十年も経ったら、ものすごくヴィンテージなものとして取り引きされるだろう。アイドルものとかね。雑誌そのものは大量に生産されるが、初校は数点だ。最初から希少価値を持っている。
生々しく記憶も蘇る。初校紙に見る年月は06/11/24 20:21:56。すり出した時刻まで記録されている。取材は、その年のたぶん秋だ。その前年シルクロードに行ったとき、カシュガルのバイク屋をのぞいたら250ccの新品バイクが5万円ほどだった。もちろん中国製だ。その値段なら買える。シルクロードをバイクで走行したらどれだけ楽しいか、『イージー・ライダー』気分に浸れるか夢想した。
その企画を李に話すと、バイクはクルラの地元の知人に買ってもらいましょう。走行を終えたら、その人にあずけましょう、ルートはと計画をたてた。メディアは男子力復権を提唱する『KING』に決まった。
バイクに乗るライダーはレオこと吉田玲雄を選抜した。レオは初の著作『ホノカアボーイ』の映画化が決まり、レオ自身も話題の人物になりつつあった。
レオとはじめて会ったのは、その10年前。ぼくが日本版『エスクァイア』でジミ・ヘン特集を制作してるとレオの父のカツさんに話すと「息子に会ってくれないか」と言われ、渋谷東のレストランで会った。
レオはまだ17、8だったか。繊細な神経を持った少年だった。映画の勉強をしにサンフランシスコの大学に留学するという。ジミ・ヘンの墓の話しをした。シアトルの丘の上にある。ふたりはその後、ジミ・ヘンの墓参りに行ったそうだ。
アメリカでの学生生活を終え帰国したレオは見違えるほどたくましくなっていた。文章力も鍛えられていて、『ホノカアボーイ』は見事な作品だった。レオ本人から「是非、書評を書いてほしい」と言われ『ポパイ』に書いた。
組んで仕事をしたいと想える若者が現れた。むろん、レオのことだ。レオとならいっしょに旅をしたら愉快だろうと、シルクロードへ誘った。
『イージー・ライダー』そのままの旅だった。峡谷の小屋にとまり、砂漠に原子力発電所を目撃した。街ではキャバレーに行き泥酔した。砂漠公路をバイクで走った。レオはイスラム・ワールドに溶け込んだ。このときの旅の愉快さは、思い出すたびに『ハングオーバー』の先いってたなと思う。