森永博志のオフィシャルサイト

www.morinaga-hiroshi.com

プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ニッポン、ニッポンと2011年はさわがしい。

しかし、この国名はいったいどこからきたのか、先日TVに出ていた友人が「元は朝鮮の田舎の地名だよ」と解説していた。

部族社会後の国家(朝廷)の初まりは渡来した朝鮮人であるというのは歴然としているが、まさか「日本」という言葉にも渡来だったとは、仰々々!


自分は60年代の10代の頃からのNY、カルフォルニア、パリ、ロンドンに憧れて、70年代、80年代も第3世界的海外に憧れて、実際、プライベートでも仕事でも出かけて行き、だけど、90年代に入り、ちょっとその憧れがさめてきた。

そのころ、自分は多くの雑誌で編集の仕事(特に特集制作)をこなしていて、日本をテーマにやってみたいと想うようになった。

まず、「日本びいき」というタイトルが想いついた。

イケル、イケル。

やるんなら超欧米的メディアだと効果的だなと想い、日本版『エスクァイア』を選んだ。

『エスクァイア』初の日本特集。1993年。

表紙は、撮影は芸術写真家・植田正治。

ちょっと右翼的演出をした。

さすが日の丸はだせないので、イメージの演出をした。

この演出をしたのが植田正治先生の息子さんのデザイナー、充さんだった。

ふたりは父子だが絶妙なパートナー・シップとコラボレーション・ワークで結ばれていた。

 

充さんは、先生のあとを追うように、若くして死去した。

表紙のモデルは、今、facebookで自分とコラボレートしているデザイナーの川村将だ。

彼はまだ中学生だった。

女の子は大林宣彦氏の映画に出演した女優の卵だった伊東歩ちゃん。

スノッブでオシャレで、セレブな『エスクァイア』で、学徒出陣的な写真を表紙に使うなんて、どうかしている。

が、やってしまった。

中の特集も、常軌を逸していた。

まず、巻頭に、自分が御託を書いた。ものすごく的を射てると自分で感心する。

 

世をあげての享楽の時代が終息し、日本はまるで栄華の港から追放された船となった。

その船の中は混沌としている。

過去も現在も未来もメジャーもマイナーも、清貧思想も快楽主義も一緒くたになり、船はバランスを失い揺れ続けている。

この航海にうんざりしている者もいれば、行方を溌剌とした顔で見ている者もいる。

そう、好奇心と超越的な独自のヴィジョンさえあれば、いまの日本は贔屓に値する。

混沌のなかでこそ、日本は芸を磨き、いい役者になる。

こういう背負い投げ的リードを書いて、全体に調子づけるのが、エディターの仕事だった。

  • 写真1
  • 写真2
  • 写真3
  • 写真4
  • 写真5
  • 写真6
  • 写真7