プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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刊行から3ヶ月もたった1月中旬、田名網敬一+森永博志『幻覚より奇なり』の書評がたてつづけに新聞に登場した。
刊行直後には東京新聞で大きく取り上げられたが、今度は読売新聞(1月16日)と日経新聞(1月23日付)。
読売新聞では美術批評家の椹木野衣が書いてくれた。
田名網敬一は現在国際レベルで現代美術の作家としての人気が高まっている。しかし、活動はここだけにとどまらず、イギリスのロック・バンドやファッションブランドとコラボレートしたり、実験的映像を制作したり、京都の美術大学の教授をつとめたり、多岐にわたる。
いわゆる肩書きだけの“マルチ・クリエーター”ではなく、本物だ。
このような活動の仕方はえてして軽薄と見下される風潮があったが、『幻覚より奇なり』を読んだ椹木野衣は書く。
「けれども時代は変わった。人・モノ・情報にわたり渾然一体と化し、刻々と変化する環境のなかでは、本書で示されたようなアーティストの生き方は、むしろ、当たり前のものになっていくだろう。」
つまり、アーティストは目をさました瞬間から眠りにつくまで(田名網敬一の場合は夢の中まで)すべての営為がクリエイティブでなければならないということなのだろう。さらにいえば、それまで生きてきた時間のすべてが何らかの形で表現に結実しなければならない。
田名網敬一は、見事にそれを実現し、成功をおさめている。
日経新聞は無署名だが、そのような田名網敬一の半生を、
「森永の文章の断片に田名網自身の記述を組み込んだ本書は、田名網の評伝と自伝が合体した、類を見ない半生記に仕上がっている。両者の視点を混在させても、物語性と奇なる彩りに富む半生の印象は薄らがない」
と評す。
『幻覚より奇なり』は制作に2年かけた。出版社も決めず、取材旅行に出た。経費は自分たち持ちだった。京都、浅草、香港、ドイツ・シュトゥットガルドをめぐった。
第一稿、400字づめ原稿用紙600枚分のテキストが完成したとき、出版社のリトルモアに持ちこんだら、刊行が決まった。
そこからテキストを完成させようと再び執筆に入ろうとしたとき、もっと突っこんだ内容にしようと田名網敬一と話し合い、第一稿の600枚をいったん捨てた。
その後、田名網敬一とぼくで600枚をはるかに超える原稿を書いていった。
田名網敬一は、ぼくが唯一師匠と20歳のときに決め師事した人だった。
この一冊を師匠とつくれたことは至上のよろこびである。
2月22日、DOMMUNEに師匠と出演する。