プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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酒の肴を手土産に、はじめて自宅にやって来たカンチャンは、「部屋が芸術作品だな!」と魂消ている。「全部、ジャンクなんだけどね」。カンチャンは隣人だ。
沖縄のジミーから贈られた与那国産泡盛どなんを、コップに注ぎ、乾杯した。アルコール度数60。ガソリンだ。それから二時間ほど、職種が同じ編集者だったので、バブル期の狂乱的編集稼業の回想談で笑った、笑った。
カンチャンはゴルファーであり、ゴルフ誌の、いまもそうだが、名エディターだ。浅草吉原で子供時代を送った。とんでもない子供だ。その時代のことを書いた小説原稿を「ちょっと、読んでよ」と持ってきた。
ちょっと、それに目を通す。
〈概要〉
昭和38年3月31日、売春禁止法が施行されて、
江戸三百年続いた吉原遊郭の灯は消えた。
そこにいた旦那、女将、若い衆、そして娼婦、
さらに、わずかではあるが子供たち-----
娼家に暮らした「ボク」と、彼らとの交流を描く。
カンチャンと出会ったのは地元のカラオケ屋、そのときカンチャンは全身UNIQLOを着ていて、「全身UNIQLO。こうなったら、人生、終わりだね」と自嘲した。その後、何度か地元の居酒屋〈大平屋〉で顔を合わすうちに、同業とわかり、親しくなった次第。店には常連客がカウンターに並んで座ってる。年代も出身地も職種も異なるが、利害が絡まない関係は風がよく通る。
町の人たちとも親しい。まずは創業90年の居酒屋〈大平屋〉の夫婦と客たち、運河沿いのホルモン屋〈はるみ〉のママと実弟、そのお客のムード歌謡歌手のアイちゃんや車椅子のパパと来るナオちゃん、そのパパは勝新クリソツ、大部屋女優だった青森県人のアキさん、昨年愛する妹をなくし酒量が増えた佐々木さん、松方弘樹の友人のマルさん、サイゴン通のOLエミちゃん。
芝浦生まれの加代と息子のユーダイ。その友達のノッポのKちゃん家族。マンションには元湘南ボーイの会長、おしどり夫婦の通称パパ&ママ、ヤクザチックな栄養士のモモさん。
ロバート・ハリス・ファンの宅配便屋の笠原君。吉野家の上に中国人母子と暮らす建築屋のキトちゃん。そのキトちゃんの親分とサム兄。カラオケ・スナック〈ニュー・タンポポ〉のヤンママのさっちゃんと大ママのチーちゃん。お客の常連大橋さんは昨年、全身癌で死去。カラオケ好きのチバちゃんは80代の洒落爺さん。歌のうまい洗濯屋の老婦人。
もう一軒のカラオケ〈シンプリ〉の母娘ママ。彼女たちはフィージーに別荘を持つ。庭の手入れをたのんだ植木屋の爺さん。高層マンションに住む仕事の先輩の及川さん。自宅向かいの定食屋のおばさん、焼き鳥屋の中国人---まだまだ、いる。
みんな個性的だから、写真家に、写真撮ると面白いよと提案した。土門拳が下町の子供、撮ったみたいに。地べたな人間模様。
ここから本題。以前、タエちゃんこと大貫妙子の写真を撮ったことがあった。そのころ、ぼくは西麻布に暮らしていて、何軒か、行きつけの店があった。そこの店主たちが、なんともいえない癖のある人柄で、『寅さん』でいったら、裏のタコ社長とかおばちゃんとか。
あるとき、タエちゃんのプロデューサーからツアー・パンフを作ってくれないかと依頼がきて、タエちゃんとは飲み友だちだったこともあり、引き受けた。
「インパクトのあるのを、よろしく」
が注文だった。それから、思案を重ねた結果、
24色鉛筆のアルミ製缶ケースをパッケージにする。ただし、何もアルミ・ケースには印刷せず、アルミを素のままにする。ツアー名、アーティスト名はシールではる。そのなかに、いろいろ作り物をいれる。
インタビューは、たとえば「それ、まいった」という発言でも、笑ながらしていたら、ぜんぜん意味が違ってくる。深刻に言っているのか、笑いながら言っているのかが、大事なのであって、肉声も伝えたい。よって、スタジオでインタビューし、インタビュー掲載の小冊子とは別に録音音源をソノシートにする。(まだ、レコード盤で聴いていた時代だ)。
小写真集を作る。それも町に暮らす年輩の方々と一緒に撮る。
といった提案をすると、「それで、行きましょう」とプロデューサーの合意を得て、で、写真は開高健『オーパ!』のカメラマンであった高橋昇に依頼。A.Dは長友さんのK2だった。
当日、町内の人たちを広尾スタジオにお連れして、ポートレートを撮影した。
あれは、面白かったな。撮られることが仕事の人と、そんな風に撮られたことなんて一度もない完全素人の共演。そんな面倒なことなどしなくてもいいのに、何かと、「映画的」な演出をしたくなる。それが、この仕事の最大の楽しみだった。笑わぬ大貫妙子。そのまんまの町の人。文章における間の如き、二者の間の空気感が絶妙。それを人間という。その感覚は自分の暮らしの根底にある気がする。
アルミ缶のパンフは残ってなかったが、写真のプリントが二点だけ残っていた。
【追記】昨日、近所のふた家族と新馬場の台湾料理屋に行った。ひとつは女友達の加代と息子の悠大、ひとつは悠大の学友の男の子の弟と母親。悠大たちは小学校低学年。下の弟は2歳なのにスマホをいじれるらしい。
悠大の学友と、お化けの話しになった。
「おじさん、お化け、見たことある?」
「ないよ。君は?」
「ある」
「お化け、こわい?」
「ぜんぜんこわくない。だって、おばあちゃんだから。ぼく、座敷わらしもよく見るよ」
「子供?」
「そう。ちいさな女の子。古っぽい。こわくないよ。あと、学校のトイレに太郎さん、いるよ。トイレに行って、太郎さん、いる? っていうと、誰もいないのにドアがトントンって音するんだ。花子さんは、まだいない」というような話しを隣人の子供とずっとしていた。彼はぼくが経験した金縛りのことを「どうして、そうなるの?」と熱心に訊くのだった。
「最近、子供たちのあいだで、お化けがブームみたいだよ」
と母親は言う。
子供はお化けまで隣人にしてるんだ。こわくなきゃ、それもいいね。
ほんとにいまはあらゆることの領域がなくなったのか、みえなくなったのか、科学という一専門分野の力がたぶん弱まったからだろうな。もっと大きな力が覆いはじめたのか。わかんない。