プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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生きる芸術
〈先日、私、一夜限りの復活を浅草ロックでやりました・・〉
仙葉由季姫からメールがきた。
〈舞台は20分やったけど、みんな大泣きしてた、、〉
〈俺も、仙ちゃんの舞台見て何度泣いたか〉
〈女子率、半端なかった。私は幸せだね。翌日に社長に御礼のメールしたら、「人生の半分を共に歩んできた戦友として、あなたを誇りに思います!」と返信がきて、有り難くて大泣きしちゃった。〉
〈激しい鍛錬の果てに、全身全霊で舞台にたち、そこからの一瞬一瞬に命を燃やした美しさ、想像できます〉
そんな通信を深夜にまじえているうちに、
〈しかし、仙ちゃんと僕は、長いつきあいですね。出会ったのは、いつ?〉
〈そうだったのね、、出会ったのは週刊プレイボーイのグラビアだから、89年か90年か〉
〈じゃ、25年だ!〉
〈うおー!〉
〈なのに変わらずに美しいのは素晴らしい〉
という回想にむかっていった。
あの頃の『週刊プレイボーイ』には見開き連載の「東京ジャングル・ブック」と題したノン・フィクションを書いていた。
それが『ドロップアウトのえらいひと』に結晶した。
当時、週プレは70万部を発行するメガ・メディアだった。
各界のそうそうたる有名人が連載をもっていたが、読者人気投票ではダダーン!っとぶっちぎり毎回2位を死守、1位は野球の江夏の連載、これだけはぬけなかった。開高健の人生相談も軽くぬいた。
元来、週プレは60年代からの対抗誌であった『平凡パンチ』よりもぶっ飛んでいて、柴田錬三郎+横尾忠則『うろつき夜太』という世紀の前衛的連載があり、キャロルの衝撃的雑誌デビューも篠山紀信撮の週プレのグラビアだった。
という点では、その週プレに人気連載をもてたというのは栄光ではあった。
週刊プレは、時々、本来アイドルの特撮もので飾るべき巻頭グラビアをサブ・カル色の強い企画ものに当てた。
その構成や執筆をまかされることがあり、20歳の仙葉と出会うことになるグラビアの仕事も、そのひとつだった。
タイトルは『TOKYO SWEET』、あえてモノクロ、全16ページ。
写真家は平地勲、モデルは仙葉由季、文は森永博志。
廃墟で撮影された仙葉のヌード写真と、ハーレー系バイカー、体をタトゥーで飾ったロカビリアン、クラブGOLD、ストリップ・バーのフラミンゴの支配人とアメリカ人ダンサー娘などで、誌面は構成されている。
しかし、このグラビアの主役は、当時、人気絶頂のAV女優だった仙葉だ。
あらゆる雑誌のグラビアを制覇したといっても過言ではないほど、メディアのどこにでも仙葉由季は裸体で存在するスーパースターだった。
週プレのグラビアは異常なほどの読者反響を呼び即日完売、異例の増刷をしたと聞いた。
いまも伝説のグラビアとなっている。
91年に浅草ロック座の舞台に舞い降りた。
パリの名門〈クレイジーホース〉や〈ムーランルージュ〉で高度な演出術を学び、アート色の強い総合的演出まで自分で手がけ、華やかなデビューを飾った。
そのときから、仙葉由季は引退までストリップ界に女神のように君臨し、たくさんの追従者を産んだ。
プライベートで会い、話してみると、彼女は表現に関心を抱き、文章を書いてみたい気持ちを強くもっているのを知り、編集を依頼されていた布袋寅泰のツアー・パンフに短編小説の執筆を依頼した。
タイトルは『NAKED ANGEL meets LONELY WILD』
『BRUTUS』で、エロスを特集することになり、制作に参加した。
このとき、浅草【ロック座】と六本木【フラミンゴ・バー】のダンサーを特撮するグラビアの構成を担当。
浅草ロック座はマスコミ取材の規制が厳しく舞台上のダンサーの撮影は一度も許可がでてなかったが、仙葉を舞台で特撮すべくロック座の社長の斎藤氏に直談判しに行った。
この特集に対する熱情を訪ねた事務所で熱く語ると、斎藤社長は「わかった」と特別に許可をあたえてくれ、談判のとき傍にいて一部始終を見ていた仙葉は、その成り行きに「はじめてのことだ」と驚いていた。ちなみに斎藤社長は勝新の事務所の専務でもあった。
公演終了後に特撮を敢行し、その後、後輩のライターだった月本裕が取材した。焼肉屋でインタビューした月本は翌日「すごいです、仙葉さん、肉、もりもり食べてました!」と興奮して報告してきた。
彼女はやがて海外にも遠征するようになった。アメリカ、カナダ・・・
時に身の危険にも晒された、その波乱にとんだ踊り子珍道中の実話を聞くと、そのころ絶頂的人気だったタランティーノ映画を彷彿させる。
その体験を元に小説を書いてみないかと誘うと、彼女はラスベガスに飛び、ダンサーが主人公の小説を書いてきた。掲載誌は『DOQROマガジン』だった。
その後、彼女はマカオのホテルにオープンしたロック座のステージの人気舞姫となり、2010年には引退を決意、2012年2月2日~29日、劇的な感動を呼んだ舞台を最後にダンサーの人生に終止符をうった。
その間に舞台に立った回数はギネスものだろう。
「事件」であった引退公演最終日の記録を、このWebのSEVEN DAYSの6「丘の上の教会」に手書きで書いた。
かように彼女との関係はつづき、いくつかの足跡も残した。
再び、仙葉とのメール。
〈浅草公演、凄く評判になってると、後輩がメールしてきたよ〉
〈そうなの。Twitterとかでも、、私は伝説になってるらしく、引退後に噂だけ聞いて観たことなかった人たちも押し寄せて、みーんな泣いてた〉
〈みんな、あんまりにも偽りの美しさしか知らないから、真実の生ける美の化身を目の当たりに見たら、泣くよ〉
〈浅草ロック座自体のTwitterやFacebookも、本公演の告知を越して前代未聞の評判になった〉
〈事件!〉
〈そうらしい。歴史的事件だって〉
〈いったい、あなたは何者になったのだろう。踊り子史上初の存在にはちがいないが、それとは、別次元の、何か〉
〈私は行くところまでいってしまったのかも知れない〉
〈心に突き刺さる感動です。それはすべてのものに勝る〉
〈越え続けなければ超えられないし、訓練し続けなければ百人百様の目的を持った観客に対応できないし、小学生の頃の夢はオブジェになることだった〉
〈じゃあ、夢はかなったんだ〉
〈銀河鉄道999に出てくる鉄郎のお母さんが機械伯爵に攫われて、殺されて裸にされて機械城のオブジェにされていたのを見て憧れた。アートに生命を捧げることが自分にとって本望なのだと、、〉
〈舞台で、動かぬオブジェになる瞬間があるよ〉
〈なんせ、私には忍耐力がある。ストイックでいられる。芸のためなら何だってする〉
今も一夜だけの舞台に立ち、畏怖と陶酔がとけあった感動を男にも女にも与える仙葉由季はストリップ史上稀有な存在だ。
谷崎潤一郎、永井荷風、金子光晴に彼女の舞台を見せてあげたかった。
心酔できるものなど、滅多にあるものではない。