森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

先日、DOMMUNEに出演したとき、トークのテーマは大伴昌司だったので、『小説王』の話になった。

進行役の赤田祐一が語る。既に故人となり、60年代から70年代はじめにおける大伴氏の数々の偉業も忘れ去られた時代、『小説王』が再評価のスポットライトをあてた。それによって赤田君も関心を示し、伝記本を制作し、さらにNHKのTVでも大きく特番でとりあげられ、大伴昌司が復活していった。

赤田君から、

「『小説王』で、なぜ大伴昌司をとりあげたのでしょうか?」

と訊かれました。質問に答えて、

あの時代(1983年創刊)、バブルの前夜で、何もかもが主流に向かっていった。その象徴がY・M・Oだった。もう反主流が消えていこうとしていた。そこで、ぼくは反主流を目指すことにした。その時代、いまとちがって文芸は、他の文化に比べたら、取りのこされてしまったフィールドだった。

それが証拠に、どんなに人気の作家を登場させても文芸誌は売れない。だったら、それをやろうと決めた。

しかも登場する作家は、それまで小説など一度も書いたことのないマイナーな人たち。もう無謀としかいいようがない。

そこで、まだ無名に等しかった荒俣宏の『帝都物語』、新人の学者・中沢新一のヒッピー小説、劇画原作者・羽山信樹のアウトロー時代小説らを発表していった。

その小説に出てくる主人公たちは、みな呪われて悲劇的なアンチ・ヒーローだった。

この雑誌にコラム・ページも設け、ここでは実在した異端者たちを取りあげていった。そこで野々村文宏が連載のコラム『ウルトラ・バビロン』で怪獣王国を築いた人たちを紹介した。音楽家の伊福部昭とか、大伴昌司です……」

といった話をした。

『小説王』は、ぼくが32歳のときに、以上に述べた心づもりで創刊したが、版元の角川書店では、「こんなマイナーな文芸誌はうちの社風に合わない」とさんざんコケにされてしまいました。

しかし、『小説王』は大伴昌司復活のきっかけをつくり、やがて『帝都物語』は累計500万部の大ヒットとなり、時代小説『流され者』も80万部のヒットとなり、まだ駆け出しの大沢在昌がSF小説を発表し、ミステリー作家の山口雅也がデビューを飾り、と奮闘した。

継続することはできなかったが、多くの伝説を残すことはできた。

終刊号をだした直後、読売新聞が大きなスペースを割いて、「なぜ、終刊してしまうのか?」と惜しむ記事を書いていた。

反主流を謳って刊行した雑誌は短期間に充分すぎるほどの使命を果たし、流星のごとく消えていくのが美しかったのです。


創刊のコトバは、

油断を許さぬ天変地異

徘徊する謎の病原体

渦巻く暴力。

恐怖と不安にうちのめされた

世紀末、東洋の都に、

いま冒険的人生への

夢が甦る」だった。

月刊小説王1

表紙絵:山川惣治

月刊小説王2