森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

本webの連載、THE LIFE IN A DAYの最新版に、1982年の『BRUTUS』の編集後記をのせたところ、そこでふれている村田英雄、三波春夫、三橋美智也、元祖御三家のインタビューを読みたいというリクエストが寄せられたので、このPROFILEで紹介いたします。

そのインタビューは3人各々2頁づつ並んで掲載され、そのような形で世にでることは以前はなく、前代未聞のことでした。

そもそも『BRUTUS』という当時当代一のオシャレでスノッブなメンズ・マガジンに歌謡界の御大が登場するなんて暴挙にも近く(なんせ『BRUTUS』のアイコンはヘミングウェイだった)、読者は心底たまげたとおもいます。

だけど、ダンディズムを考えた場合、御三家の先生たちは、かならずや人生を賭けた一家言をおもちになっていて、場合によっちゃあ、ヘミングウェイの上をいってるのではないか、そう思いインタビューを申し込むと快諾してくれたのであります。

しかも村田先生においては自宅にまねいていただき、お寿司までごちそうしてくれたのでした。

青山のスタジオでは三波春夫先生と、50センチほどの距離で対面し、話をおうかがいしたのですが、その間中、法悦感に包まれていました。

三橋先生も後記に書いたように、おかしな夢の話で笑わせてくれ、いまでも振りかえれば御三方に会ったときの悦びを昨日のことのように感じます。

インタビューがのった『BRUTUS』が発売されると、当時絶頂をきわめていたスネークマン・ショーの桑原茂一が電話をしてきて、「森永君、アレはすごいネー」と絶讃されたのでした。

「何かいっしょにやろうよ」と誘われて、スネークマン・ショー・カセット・ブック『南海の秘宝』を制作することになったのです。

自分の数知れぬ仕事の中では、今でもピカーっと自信作ですが、3人の先生はもうこの世を去ってしまい、生前いっしょに仕事をすることができたことに感謝する気持でいまもいっぱいです。

村田先生とはその後、偶然北京でお会いし、天安門広場で人民服を着て自転車に乗る先生を写真に撮らせていただき、その写真は中国特集の一頁をかざりました。

尚、御三家の先生方を撮影したのは三浦憲治であります。


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