プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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今も追悼の念は消えない。
初めて山崎さんのことを書いたのはいつのことだろう?
1986年には『原宿ゴールドラッシュ』を刊行した。
それ以前、雑誌に書いているはずだ。
いつだったのだろう?
先日、神保町に用事があったので、ついでにサブカル系の
マガジン専門店に立ち寄った。
植田正治さんとつくった『Brutus』の
ファション特集号を探したがなかった。
その時、『Brutus』のバックナンバーの棚に
LET IT LOOSE!
「大蕩尽のかなたに永遠が見える」という
特集号を見つけ、手にとって開くと
『女王陛下の貢物』という
山崎さんのことを4頁にわたって
取り上げたページを見つけた。
多分、これが最初のテキストだろう。
この特集は都築響一との共作だった。
響一が『無駄遣い、抗しがたき悪徳』と題した
新聞王ハーストのページを作り、
ぼくは当時、『私を責めないで』という
歌がヒットしていた伊武雅刀を主役にした
サラリーマンが東京から京都、沖縄経由で
台湾まで自暴自棄な旅を
繰りひろげるという物語仕立てのページと
PINKDRAGONビルを竣工したばかりの山崎さんと
ビビアンのページを作った。
山崎さんのテキストは『原宿ゴールドラッシュ』
に引用した。
この雑誌に見るPINKDRAGONビルは
ビカビカのトロピカル・デコだ。
現在のPINKDRAGONビルは竣工時のデザインを
わずかしかとどめてなく、
まったく転がる石のようだ。
屋上プールを潰し、
自宅のペントハウスを作った。
そこが山崎さんの終の棲家となった。
PINKDRAGONほど奇抜なビルをほかに知らない。