プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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時も空間も何の関連もなくバラバラに存在しているのに、それらがひとつのサイクルにはいってくることがある。
今回は、そんな物語。プロフィール史上、最長の逸話。はじまりは一冊の本――――。
後輩のオグランが彼の処女作『LIFEWORK』を送ってきてくれた。それは「街と自然をつなぐ12人の働きかたと仕事場」のルポルタージュ。最初に西畠清順さんというプラントハンターが紹介されていて、興味深く読んだ。オグランはプラントハンターについて、こう書く。
〈プラントハンターという仕事を知っているだろうか。かって、ヨーロッパでは貴族などの依頼を受けて、珍奇な植物を求め世界を旅していた者たちがいた。一輪の花を求めてジャングルの秘境を歩き、一本の大樹を求めていくつもの海を渡る。文字通り、プラント(=植物)をハンティング(=狩り)する彼らはプラントハンターと呼ばれた。だが、徐々に彼らの仕事は世界から失われていった。だから、現在の日本にプラントハンターがいると知った時は驚いた〉
西畠さんのプロフィールは、
〈1980年兵庫県生まれ。明治元年より150年続く花と植物の卸問屋「株式会社 花于」の5代目。日本・世界数十ヶ国を旅し、収集・生産している植物は数千種類。国内外を問わず、年間2000件を超えるプロジェクトを手がける〉
ぼくはプラントハンターにはパイレーツと並ぶ、遠い昔の海洋時代のヒーローとして憧れを抱いていた。専門書を手に入れ、過去に実在したプラントハンターの実話を読み耽った。
歴史上初のプラントハンターは秦の始皇帝の命を受け、東方へ「不老長寿」の薬草を探し求める旅にでた徐福かもしれないが、よくよく考えてみれば人類にまだ専門職がなく生存に関する全てのことを自分の手足でしなければならなかった時は、人は必要な植物は自分で探すプラントハンターでもあったのだろう。
西畠さんは語る。
「自分が見つけてきた植物で、人に感動してもらえる。そういう瞬間を何回も見てる。これはやめられない」
『LIFEWORK』によって、プラントハンターがこの時代、日本に実在している事実を知った。それはかなりの驚きだった。ぼくにとっては宇宙人の実在よりもワンダーな事実であった。それは未来に対する美しい夢のひとつに思えた。
ETは、宇宙からこの星にやってきた植物学者=プラントハンターらしい。
プラントハンターの実在は、ぼくの想像力の湖に一石を投じ、静かに日常の時間に波紋がひろがっていった。
その2週間後、神田神保町の古書店で、『エスクァイア』日本版のバックナンバーを探す必要があって漁っていたら、特集タイトルに『晴れのち快晴、島便り』とある号を見つけ、ハンモックに横になった男が椰子の木陰で休息している写真を使ったカバーは覚えがあったので手にとって中を見たら、その特集の半分は自分が編集したものだった。
試しに、目次を見た。『幻の花を求めて、地球をめぐる旅』という特集があり、それは横山忠正との2度にわたるプラントハンティングの旅の記録だった。旅先は中央アジアの神峰とボルネオの密林。共に秘境だった。
神峰はウィグル自治区のボコダ山。1991年、春に初めてシルクロードを旅した。そのとき区都で現地の青い目のカザフ族青年からスノーロータスの話を聞いた。ボコダ山の奥地に幻の花=雪蓮=スノーロータスが咲いている。その花は奇跡の霊薬といわれ、要は心臓の能力を高めるなんらか効用があるのだろう、いまも珍重されているという。
話を聞き、神峰の彼方にひそむ幻の花! スノーロータス! 憧憬はイマジネーションを爆発させた。心は激しく花を求めていた。帰国し、すぐにプラントハンティングの計画をたてた。しかし、自分は植物業者の資格を持っているわけではなく、ハンティングといっても採取が目的ではなかった。
幻とされる花を芸術にする。
メイプルソーブが花を写真に撮ったように、ピカソが絵に描いたように。
写真家は白川義員の中国での撮影時に助手を務めていた中国人の李長鎖に依頼した。では、肝心の絵は? と思案したとき、たまたまそのとき再会し、公私にわたるつきあいをしていた横山忠正を想い浮かべた。
横山氏との出会いは70年代の終わりだった。立花ハジメの仲介だった。ふたりはグラフィック・デザイナーであったが、ハジメはプラスチックスを、横山忠正はスポイルの音楽活動を本業以外ではじめていた。横山氏の、その頃のデザイン・ワークはスネークマンショーのアルバム、『急いで口で吸え』だろう。彼は、ハイビスカスの絵を描き、デザインしている。
70年代の終わりから80年代中頃にかけて、横山氏とはいくつか仕事をしたが、その後疎遠になっていた。90年代のはじめ、若い友人に連れられて、西麻布にあった横山氏のオフィスを訪ね、その時、彼がデザインの仕事とは別に、目黒区青葉台にアトリエを持ち花の絵を描いていると知り、その日のうちにアトリエに案内され、そこで花の絵を見たのだった。
それは衝撃だった。
花の形を描いているのではなく、花の精を極めて幻想的な画風で描いていた。花弁は天上からの光とまじわっていた。アシッドで幻視したサイケデリック・ヴィジョンにも見えた。
横山氏はその頃ニューヨークで生まれたハウス=ダンス音楽に傾倒していて、現地のクラブからテープを送ってもらっていた。その快楽的なサウンドをBGMにして花の絵を描いていた。
アトリエで見る創作活動は、何か、とんでもない精神世界の次元に踏み込んでいる印象をうけたが、それは芸術家のひとつの在り方だ。
中央アジアの秘境への旅に誘うと、即答でOK、横山氏とのコラボが再開した。幻の花を見つけ、それを大作にして残そう。その旅のドキュメントを機内誌『翼の王国』に発表することになった。案内人は、李さんだ。
まず、北京に入った。李さんの案内で、著名な画家を自宅に訪ねた。女流画家だった。彼女はアメリカ大陸を車で回った経験があり、その旅を振り返り、「でも中国の旅は馬に乗ることをおすすめします」と、これから中央アジアに旅立つぼくらに助言してくれた。
翌日、ジェット機でウィグル自治区のウルムチに飛んだ。まだ、イスラム系の生活文化を街の随所に見ることができた。しかし、現実は油田や天然ガスの採掘で漢民族の進出は進んでいたが、いまのような政府軍とイスラム系との戦いはなかった。
翌日、現地の中国人の案内で天池に向かった。そこは標高2000メートルの山中の湖だった。夕刻に湖畔に到着し、森の中に野営地を設営するカザフ族のもとを訪ねた。街からの、突然の訪問者である我々をカザフ族は好意的に迎えてくれ、族長のパオ=テントに案内された。
スノーロータスのことを、まだ若い族長に訊くと、彼はその花のことを知っていた。彼と話すうちに、彼ら一団は遊牧の他に薬草採集も生業にしていることを知った。交渉によって、翌朝、馬8頭とカザフ族8人のチームとともに神峰に入る契約が成立した。
その日の夜、横山氏と湖畔の小高い丘の頂上に登った。頭上には宇宙空間そのものの広大な星空が広がっていた。眼下には湖畔のコテージが明かりを灯し、そこは銀河をめぐるスタートレッカーたちのコロニーに想えた。
「夢見てるみたいな旅ですね」
と言うと、丘の上に並んで座っていた横山氏が、
「これが花に導かれた旅です」
深い息を吐いて言った。ぼくはこの旅はきっと生涯忘れることのない思い出になるだろうと、胸をときめかしていたが、横山氏も同じ想いだったろう。
つづく...