プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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ひさしぶりに雑誌を買った。
それはアパート1階のコンビニのマガジンスタンドで見つけた。
雑誌は『TVBros』。
表紙は、細野晴臣とその名をはじめて見る星野源の親子のようなツーショット。男同士、怪しく手をつないでいる。
ふたりの特集が組まれているらしく、表紙に「Wリリース記念 地平線の大相談」とある。
そのタイトルに惹かれて雑誌を手にとった。
若いころから老け顔の細野さんは、いまは60代半ば、頭髪だけでなく眉毛も白く、やさしい女性的な印象を受ける。
特集タイトルの「地平線の大相談」は、70年代の終わりに八曜社から刊行された細野晴臣・著『地平線の階段』のもじりだろう。
その本はすでにY・M・Oの活動をはじめていた細野さんの、それまでの音楽遍歴を本人が綴ったもので、テキストのほとんどは音楽誌に寄稿したものだった。
僕はその本の編集を担当した。
立川直樹がプロデューサーだった。
細野さんとの最初の打ち合わせを、いまはなき六本木のパブ・カーディナルでお茶を飲みながらしたのを覚えている。
僕は70年代の初頭から、はっぴいえんどのアートフィルムの制作や音楽誌の取材などで細野さんとは面識があったし、立川直樹もよく知る仲だったようだ。
その頃、僕と立川直樹は八曜社でアート色の強いアーティストブックを何冊か制作していた。その中には立川直樹のインタビュー集『虹色の望心鏡』を田名網敬一のデザインで制作している。
細野さんの本もその流れの中で制作したのだろう。デザインは浪羅多平吉だった。タイトルは細野さんのテキストの中から引用した。
10年近くのあいだに細野さんが書いたテキストをどう1冊に構成するか、それが主たる仕事だった。
記憶にはないが、単行本のために新たに細野さんにインタビューをし、それをテキスト化したかもしれない。
この仕事を効率よく進めるために、ぼくらは横浜の磯子プリンスホテルにこもった。3日もあれば完了するだろうと思ってっていたが、遊び好きのぼくらは日中は部屋から裸足で歩いていけるプールサイドに横になり、アメリカンスクールの可愛い女の子たちをからかって時間を無駄にしていた。
夜は夜で酒を飲んでしまい眠ってしまった。
残すとこ1日となり、さすがに僕らもあせりだし、仕事をはじめた。
全テキストのタイトルを書き出し、文字量もはかり、それを台割にはめんこんでいった。大きな章立をし、テーマ分けしたテキストを構成していった。
僕がその作業を終えると、立川直樹がチェックをし驚いたように僕を見て言った。
「僕が考えてたことまったく同じだ」
その日の夜、ふたりで横浜の中華街に晩飯を食べに行く途中、すでに10年になるつきあいだったが、はじめてお互いの生年月日をあかし、 1年違いの立川直樹が年上とわかっていたが、お互い1月の生まれと知り、「何日?」と立川直樹に聞かれ「21日」と答えると、彼は驚きの声をあげた。 そして言った。「僕も21日だよ」。
お互い1月21日の生まれと分かった。劇的な夜だった。
ということもあって、その本は思い出深い1冊になっている。
それにしても、もじりではあっても、今もそのタイトルが生きているとは感無量である。