プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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beijing day
不思議と、北京づいた日だった。
その日、番組出演のために、福島から横浜ランドマーク・タワー10FのFM横浜のスタジオにいた。
そこには、毎日曜日深夜に放送している『サンディー・ポケット』のパーソナリティーである石渡建文と相方の女性シンガー、チーファンがいた。
石渡さんとはマガジン・ハウスの仕事を共にし、彼が『ブルータス』の編集長時代に特集取材のため、いっしょに北京に行っている。
その石渡さんが、スタジオで、
「先日、田中さんに会ったとき、今度、森永さんが番組のゲストに来てくれますといったら、田中さんは久しぶりに、あのときの北京特集号ひっぱりだして見て、懐かしいなと思ってところですとおっしゃってました」と言う。
田中さんとはファンタスティック・プラスチックス・マシーンを名のるDJの田中知之氏だ。
『ブルータス』の北京取材に田中氏も同行してくれた。
石渡さんがスタジオに持参したその北京特集号を手にし、パラパラとめくっていたチーファンは、
「すごい! こんなことよくできましたね!」と感嘆している。
中国人にとっては毛沢東はいまも聖像だ。それをいじくっている。
「よく、こんな表紙でやったよな。でも、毛沢東を侮辱してるって、中国では騒動になったんだよ」と、ぼくも振り返る。
「この絵年表も、よく、できましたね。もし、中国人がやったら、逮捕ですよ」とチーファンは驚嘆を重ねる。(くわしくは、このプロフィール88に)
「雑誌が出たとき、中国大使館から抗議の電話がきて、一時間ぐらい話しました」
と石渡さんが内輪話をはじめてぼくに告白する。
そこから、ぼくが海外取材では、最悪とも言える身の危険を顧みず、突撃取材だったという回想談を披露し、チーファンはいちいちは感心している。
チーファンは北京に生まれた。12歳のときにアメリカに渡り、ニューヨークとロスで音楽を学び、その後、福岡、東京、アジア各地でライブ活動を行い、今年4月アルバム・デビューを飾る。
チーファンには、ゲストであるぼくの資料として、事前に自伝『路地夢』と中国人写真家の李長鎖との共著『北京』を送ってあり、『北京』を見た彼女は
「私の知らないところばかり。でも、このジャズ・クラブでは、私、歌ったことがあります」
と、本で取り上げたジャズ・クラブの話しになる。
収録前に北京の話しで盛り上がり、その日、石渡さんが田中氏が森永さんに連絡をとろうとしてました、と聞き、彼に自分のメール・アドレスをメッセージすると、すぐ、
〈ありがとうございます。先日部屋を整理していて森永さんとご一緒したブルータスの北京号が出てきて、改めて素晴らしい旅だったなぁと。〉 返信がきた。そこで、
〈ぼくも、石渡さんから見せてもらいました。あの、スージーウォンの世界には、その後、ひとりで訪ねました〉
と、返した。
この〈スージーウォンの世界〉とは、田中氏の友人のホンコニーズが経営するナイト・クラブで、タランティーノが『キル・ビル1』を北京のスタジオで撮影中に毎晩通っていたという。共に訪ね、シャンパンを振舞われた。
『欲望の翼』を思わせる、アングラ感と華やぎが混交した素晴らしいクラブのフロアーで、まるでレスリー・チャンが年老いたような年寄りがひとり粋にステップを踏み踊っていた光景が目に焼きつき、その数年後、ひとりで再訪すると、若い見るからにセレブな中国人たちが、テキーラをショット・グラスに並々つぎ、何十人もでカンパイを繰り返していた。
『北京』には、ぼくが各スポットの地図と人物などを絵に描いた。
その中に、田中氏と共に訪ねた798芸術区の項では、田中氏の似顔絵も描いた。
北京オリンピック前だったから、まだ、町は随所に素晴らしい文化がたくさんあり、ぼくは、それにどっぷりつかり、また田中氏や石渡さんや幅君や立川直樹氏や早乙女君たちを案内していた。
『北京』には、いまとなっては「失われた世界」がたっぷりつまってる。
我ながら、よくできた街本だと思います。
つくろうと発心してから10年かかった。