プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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世界の「辺境」と呼ばれる地に好んで出向いていた。神峰、密林、砂漠だけでなく、離島、都市の中のゲットー(危険地帯)。
1980年代初めにはNY市中にアルファベット・ジャングルと呼ばれたエリアがあり、ニューヨーカーは誰ひとり近づきもしないが、意を決しそこに踏み込んで行ったら、路上で頭を拳銃でぶち射かれ黒い血を流して倒れている黒人の死体を見た。
砂漠の地中に埋まる恐竜の化石を、坑道をはっていって探しだす砂漠の民の地にも行った。化石は精神安定剤の原料として高く売れるので、砂漠の民は生命がけで地中に入っていった。
そんな辺境訪の中でも、一番近場は韓国にあった。朝鮮半島の先端の海域にあった。
今はもうクローズしてしまったが、西麻布に〈ソウル〉という焼き肉屋があった。主人は朴さんというおじさんだった。
朴さんとは、非武装地帯に幻の魚を釣りに行ったこともあった。朴さんは釣りマニアだったのだ。
店に行くと、よく韓国の話に興じた。
あるとき、日本は島国でいくらでも島があるけれど、韓国には済州島ぐらいしか島はないですよねと言うと、朴さんは「何をおっしゃるのですか、森永サン。島はたくさんありますよ」と笑うのだった。
「エーッ!何処に島があるのですか?」「半島の下に、いっぱいあります」
日頃目にする地図には島など示されていない。済州島があるだけだ。朴さんの話を聞いて、翌日図書館に行き、調べてみると、あるある無数に島が海に群れている。
無人島を含めた島の数、日本は総数6800余り。対し韓国は総数4100余り。そのうちの70%は多島海とも呼ばれる南海に浮かんでいる。
後日、〈ソウル〉を訪ね、朴さんに島の話をした。
「どんな島なんですかね?」
「恐竜の足跡がのこる島もあるし、ビーチがすべてゲルマニウムの島もあります」
そうか、そうか。原始の地球は今と陸地の地形も異なり、朝鮮半島と日本は陸つづきだった。だから恐竜も日本まで下ってきたので、各地で化石は発掘されている。
恐竜も地つづきの時代その辺りに生棲していたわけだ。
ゲルマニウムは宇宙から飛来した巨大隕石かもしれないとイマジネーションが飛躍するうちに、「朴さん、行きましょう」と声にしていた。
イマジネーションがハートに火をつけた。
恐竜の海岸を訪ねて、笑ってしまった。
そこは調査の結果、5000余りのイグアノドンやブラキオザウルスらの足跡が見つかりジェラ紀に恐竜たちの生棲地であったと判明。世界的にも、学術的価値が認められたが、調査活動がはじまる前は地元民が、その足跡のヘコミが鍋代わりにちょうどよいというので切り出し、海鮮鍋料理に使っていたというのだ。
ギャートルズだ。
その海岸で地元民からその話を聞き爆笑してしまった。
他の島の山中には紀元前220年前に、不老長寿の秘薬を求めて中国から航海の旅に出た徐福が上陸した際、記念に岩に刻んだ古代象形文字があった。
グラハム・ハンコックが『神々の指紋』に論じた巨石文明の遺跡もあった。
訪ねる先々の島で見た世界はすべて想像を絶し、生物も風蘭や水蛸など奇怪だった。水蛸は包丁でブツ切りにされカケラとなっても、ずっと生きていた。水蛸はゲルマニウムの海に生棲していた。
ゲルマニウムは半導体としてトランジスタに使われて以来、驚異のレア・メタルとしてガンの治療薬に開発され、その成分は脳内性麻薬エンドルフィンと同じであることもわかった。
1台1500万円もする放射能測定装置にもゲルマニウムは使われている。
この旅は最後、絶海の孤島の紅島に行きついた。
紅島は150万年前、大きな地殻変動により、大陸と半島と日本に姿を変えたときに、海上に出現した。
島の周りの海には、島民(460余人)が「龍」「亀」「象」「獅子」「猿」「孔雀」「鷹」と名づけた、本当にその姿をした岩礁が浮かんでいる。
洞窟の中に入ると、一口飲めば「百年延命」すると島民がいう水滴が天井からしたたりおちていた。
時空を超えたまさにSFチックな旅だった。特に紅島は別の惑星へとワープしてしまったかの様な体験だった。
この時の旅は全日空の機内誌に、『韓国南海年代記』と題して発表した。
デザイナーの木村裕二氏が僕の手書き文字をタイトル、キャッチにそのまま使い、旅のノートの趣きを生みだした。
だけど、この旅で一番感動したことは、人だった。
旅には朴さんの釣り友だちというふたりの韓国人が合流した。韓さんと姜さん。韓さんは予備校の経営者だった。姜さんは会社の社長だった。
彼らふたりはランクルで案内してくれた。
共に40代か。紳士的な人柄だった。
僕は韓国語を話せず、彼らは日本語を話せず、朴さんが通訳してくれたが、一週間程、旅を共にした。
日本人といっしょに旅をするのは、彼らは初めてだった。日本からのメンバーは朴さんと僕にカメラマンの江森康之。つまり日本人ふたりに韓国人3人の旅だった。
夜は5人でテーブルを囲み、土地土地の料理と酒の宴会だ。
旅の最終地点は木浦という港町だった。
そこから紅島に渡り、数泊したあと木浦に戻り、そこで韓さん、姜さんと別れ、我々は列車でソウルへ出た。
ソウルの国際空港で搭乗待ちしていると、朴さんのケータイが鳴り、韓国語で誰かと話したのち、「森永さん、韓さんから」とケータイを渡された。
「モリナガサン」と大声が耳で弾けた。それから何を言っているのかまったく理解できなかったが、激情を感じさせる口調で語りつづけている。
僕はコトバが途切れるごとに、「うん」と返しただけだった。
電話を終え、「韓さん、何て言ってたのかな」と朴さんに訊くと、「旅をいっしょにできて感激したんです。だから森永さんに伝えたくて、電話かけてきたんです」と教えてくれた。
そうだったのか!
田舎町のスナックで韓さんと酔って歌合戦をくりひろげた夜、心が通じあったのを僕も感じていた。
朴さんは「チングだって言っていました」と、ちょっとふるえる声で言った。
「チング」とは「友だち」という意味だ。
「朴さん、また行こう!」