プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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1984年、NYにいた佐野元春が帰朝した。誰かの仲介があったうえでのことだったか、それともすでに知己の関係だったか、帰朝後、彼に会った。 場所は六本木の業界バー〈ingo〉だった。
佐野元春は、その頃、ぼくが『小説王』を編集していたのを知っていて、ぼくにツアー・パンフレット版『This』の編集を依頼してきた。
ADは吉田康一。彼がぼくにふってきた仕事だったかも知れない。
そのころ、ぼくも間接的に関与したが、佐野元春は小学館から『エレクトリック・ガーデン』というカセット・ブックを刊行。この本のADが吉田康一だった。ぼくは吉田康一とはそのころいくつもの仕事をしていた。井上陽水のツアーパンフや山川惣治『バーバリアン』など。
彼は丸井の宣伝の総合的ディレクターもつとめていた。いまでいえば、佐藤可士和のような。
それで、佐野元春のツアー・パンフを彼と制作することになった。
いまそのパンフを見ると、EDITORは佐野元春、吉田康一、森永博志の3名になっている。
表紙は、すでに『小説王』連載中の荒俣宏『帝都物語』とコラボレートしていた劇画家・丸尾末広による肖像画。
メイン・コンテンツは当時、人気ナンバーワンのCFディレクター、李泰栄(カメラマンは小暮徹とくんでいた)と佐野元春の対談。他は佐野元春の詩と、吉田康一のアート作品、NYのアーティストのマーク・バイヤーのイラストレーション&コミックス、ミック板谷のオブジェらとのコラボレーションなど。
つまりアート色100%の編集であった。本人の写真もほとんど載ってない。
印刷所からあがってきた色校を、佐野元春のオフィスの社長H氏が見たとき、彼の顔が蒼ざめたのをぼくは見逃さなかった。
彼はほとんど絶望的なまでの声の調子で「売れねえな、コレ」と落胆した。
しかし、ツアー・パンフは、当時作家デビューしたばかりの林真理子さんが『HOTDOG PRESS』で、「これこそエディターの理想の仕事」とコラムで書いてくれるおまけまでつき、爆発的な、それこそ前代未聞の売れ方をした。億単位の収益があったのではないか。
『This』の表紙は穴があけられている。メタリックな印刷技術も駆使、サイズは40×30センチとバカでかかった。ちなみに『This』は、佐野元春が編集長をつとめていた雑誌名だった。
このパンフにぼくは『彼は壊れた目覚まし時計をセットした』と題するテキストをのせている。こんな感じの。
彼とははじめて会ったのは六本木のバーだった。その夜は、バーはパーティで騒めいていた。パーティの主賓はヴェトナムの戦地で殉死した日本人カメラマン、沢田敦一をノン・フィクションとして一冊の本に書こうと、借金をしてまでニューヨーク、香港、ベトナムとサワダの足跡を追い『ライカでグッドバイ』を刊行した女性ジャーナリストの青木冨貴子。彼女がニューズ・ウィークの仕事で3年間、NY住まいとなるので、その歓送会の最中だった。彼は約束の時を30分おくれてやってきた。そのバーで待ち合わせて、よそにうつるつもりでいたが、「もう、ここに、まぎれちゃおう」と腰をおちつけてしまった。
ニューヨークに行く人とニューヨークから帰ってきたばかりの人。まじりあってもおかしくはない。
彼は、そのバーで多くのインスピレーションをぼくに与えた。すぐに思いつくだけで20ヵ条も数えた。
- 彼はホテル住まいがよく似合う。
- 彼は都市の熱帯と寒度を知っている。
- 彼は詩集をケツのポケットに突っこんでステージでダンスできる。
- 彼は絶対に絵が描ける。
- 彼はどことなくコッポラの『ランブルフィッシュ』を想わせた。
- 彼は月的なる内省力と太陽的なる爆発力を持ち合わせている。
- 彼はタイ料理の逸品、レモン香の辛いスープが好きだろう。
- 彼はハッカ煙草を吸いながら、今日の時間をメモする。
- 彼はエレクトリックなエンピツ。
- 彼は港があることを知りながら航海している。
- 彼は裏切られ、
- 彼は、だが、憎悪しない。
- 彼は声を抑えて煽動する。
- 彼は壊れた目覚まし時計をセットした。
- 彼は今日も自分の部屋の鍵をなくした。
- 彼はセントマークスの古着屋でビートニクの黒いコートを見つけた。
- 彼は〈死〉に立ちあった。
- 彼は『ライ麦畑でつかまえて』と『ジャズカントリー』と『路上』の主人公のようだ。
- 彼はバディ・ホリーのように甘く、ボリス・ビアンのように怒り、アレン・ギンズバーグのように瞑想する。
- そして彼はいつも、次の旅先を考えている。