森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ラストシャウト!



朝から土砂降りの雨だった。

4月13日だというのに、かなり肌寒い。

京浜東北線で、川崎にむかった。

駅に到着し、その変わり様に気が動転。自分が知っている川崎駅とまったく様相が違う。

バカでかい空港ターミナルのようだ。

さらに気が動転している。勘を頼りに、構内から町に向かうが、行けども行けども駅ビルの中、完全に迷った。

iPhoneでチッタまでの地図を呼び出し、激しい雨の中、傘さし、それらしい道を探すが、また、迷った。悪夢のようだ。コンビニで若者にチッタはどこにあるのか聞くと、駅の反対側だという。

再開発された街では勘がはたらかない。完全にくるっている。

止むを得ず、タクシーを拾い、運転手に行き先を告げる。駅の反対側を走行。「ここが入り口です」と運転手に言われ、商店街区を歩いていくが、ここもまた、記憶の町とは違い、迷った気分になる。ここも再開発されたのだろう。

やっと、たどり着く。

雨の中、すでに入場待ちの客が列を作っている。

「森永さん」と大きな声を聞く。見ると、小笠原の郵便配達人のホマレだ。

関係者から1000人ほどが入場するらしいと教えられる。


4月13日、今日、川崎のクラブ・チッタでジョニー大倉音楽葬が開催される。

40年前のこの日にキャロルが解散した。

あの日も雨だった。

「おやじは雨男なんです」楽屋で息子のケンイチがいう。

「雨は、故人がここに来てるよというのを告げるサインなんだよ」と教える。

楽屋通路にいかにもバントマンといった風情の元ラッツ &スターの山ちゃんや元クールスのジェームズたちがたむろし、バックステージはストリート感たっぷりだ。

1970年代のオールディーズ・ブームの中でデビューを飾ったクールス、ビーナス、横浜銀蝿の元メンバー、ほかに金子マリら、「マック・ショーは出演の告知してないんです」とマック・ショーのディレクターの川戸がいうマック・ショー。彼らがジョニーに捧げるロックンロールを歌い、銀蝿の嵐、赤坂泰彦、自分がトークで出演する。

開場と同時に場内はすぐに立錐の余地もないほど満杯になり、否応無く、これからはじまる音楽葬への期待でヒート・アップしてゆく。

中盤、ぼくはスピーチで舞台に立つ。

マイクを手に1000人のオーディエンスに対し昨年夏の思い出を語る。


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ーー昨年夏に、カドカワがジョニー大倉ソロ活動40周年を記念したボックス・セットを制作することになった。CD、DVD、写真集のほかに本も作ることになり、ある有名な権威ある音楽評論家が病室のジョニーを訪ね、インタビューをした。

ところが、ジョニーは一言も答えない。何を聞かれても口を開かず、インタビューは中断。そのとき、ジョニーは

「なんだ、お前、評論家か」と冷たく言い放った。

そこで、カドカワは今日も出演したマック・ショーのディレクターでもある川戸君に相談すると、これは森永さんじゃなきゃできないと判断したらしく、ぼくのところに電話がかかってきた。やってくれませんか、と。

やることになったが、ここで、またジョニーが一言も語らなかったら、またしてもおじゃんだ。

ある日、ジョニーを病室に訪ねると、ふたりで、いきなりロックンロールの話になり、話しつきない。

そばにいた奥さんと息子さんのケンイチがジョニーが心ひらいてるとビックリした。これなら本を作れるだろうとはじまった・・・


ぼくは矢沢永吉には何度もインタビューしていたが、ジョニーには1976年に一度しただけで、知己といえる関係ではない。初対面といっていいかもしれない。

それが、病室で意気投合したのだ。

ビートルズのメンバーが街頭を全速力で走っている『ヤァヤァヤァ!』、ぼくらは監督のリチャード・レスターについて語りあった。

宇宙観についても、海賊についても、中島敦についても語りあった。

ジョニーは知性の人だった。

きついはずの癌治療を受けながらも、覚醒しているように見えた。

物語を書きはじめた途端、爆走するようiPadのキーを叩きつづけた。


まるで、ステージでロックンロールを叫ぶジョニーの魂が乗り移ったかのように不眠不休でうちつづけた・・・完成した『ジョニー大倉ラストシャウト!』を読み終え、ジョニーは去っていった。


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