森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

去年、二度、写真家の長濱治氏に偶然再会した。二度ともブラディスト・サクスフォーンのライブ会場だった。長濱さんはブラサキに感銘し、写真をプライベートで撮っていた。二度目の会場では跳ねるようにシューティングしていた。70代とは思えない。「いや、若い」という印象を受け、改めて長濱治の写真家魂に触れる思いがした。


長濱さんとはじめて仕事をしたのはぼくが20歳のときだ。そのときぼくはアド・センターという広告制作会社の最年少のスタッフだった。アド・センターはデザイナー&イラストレーターの堀内誠一、カメラマンの立木義浩たちが興した会社で、ぼくはスカウトされて仕事をするようになった。主に広告制作の仕事で、依頼した写真家のひとりがアド・センター出身の長濱さんだった。ぼくが20歳で、長濱さんは30代だったろう。助手についていたのがいまや巨匠格の三浦憲治や当時まだ若松孝二のもとでも働き、無名の北野武のダチだったガイラこと小水一男!

その後、長濱さんとは泉谷しげるの写真集『百面相』、吉田拓郎写真集『大いなる人』、矢沢永吉らの仕事をしたが、長らくご無沙汰していた。ある日、「貌を撮らせてくれ」と長濱さん本人から電話をうけ、近所だった西麻布の事務所を訪ねた。そこで、貌のアップを撮ってくれた。その写真は北野武、開高健、安藤忠雄、北方謙三、横尾忠則、深作欣二らの貌写真とともに『猛者の雁首』という怖ろしいタイトルの写真集に載った。


隣人のカンちゃんが何度も長濱さんと仕事をしていて、いまでも会う機会があると聞き、不思議な因縁を感じた。

カンチャンに誘われて、2014年4月25日、西麻布の写真ギャラリーで開催されていた長濱治写真展『Around the America』に行った。会場で長濱さん、大先輩・石川次郎氏や椎根和氏と再会し、なんとも懐かしい気分になった。この気持ちは、何といったらいいのか、いまはわからない。


長濱さんは言うのだった。「この間、エイチャンから電話あってな、食事しようって」「仕事の話し?」「いや、プライベートで」という再会をしたそうだ。エイチャンとは矢沢永吉である。ぼくは思い出す。

「そういえば、昔、チョウサンとエイチャンと箱根の旅館に一泊して、撮影とインタビューしましたね」

「あのときのことをエイチャンはおぼえていて、この間も言ってたよ」

「あのとき、『成り上がり』にでてくる話し、すでにエイチャン、してましたよね。なんか、今じゃ考えられないくらいディープなロケでしたね」

という回顧談もすみ、近況を聞くと、近々長濱さんは沖縄に行くという。

「沖縄に、けっこうカッコよく生きてる若い奴らいるだろ。彼らを撮ろうと思って、一年くらい通うんだ」

「やっぱ、沖縄ですよね。ぼくも知ってますよ、活きのいい若いの」

「そしたらね、エイチャンが沖縄で公演あるから、そのとき合流して、写真でも撮ろうかって話しになってね」

「そうですか、ぼくも6月、沖縄行くんで、チョウサンと会えるといいな」


という、対話ののち、会場にあった『猛者の雁首』をパラパラめくっていたら、異様な印象に襲われた。何やら、どの貌も死を覚悟した戦国時代の武将に想えた。中には野武士もいる。

『猛者の雁首』と並んで、長濱さんの代表作『ヘンズエンジェルズ』もあったので、それもひさしぶりに見ると、ペキンパーが荒野に追い求めた無法者のバラードがニューヨークの路上に流れ、それは『猛者の雁首』へと高らかに響いていった。


「雁首、なんか、死を見つめてますね」

と長濱さんに言うと、

「だってさ、その後、随分死んじゃってるよ」

改めて、目次の雁首を見た。

確かに、随分、いってしまった。

合掌。


長濱さんが『猛者の雁首』の男たちひとりひとりを語る小文が胸にしみる。

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