プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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シングルB面
その日は午前中、『ブルータス』の「人間関係」の撮影を篠山紀信さんにしていただいた。
場所は西麻布の永平寺別院こと長谷寺。
実家の墓は南品川にあるが、自分はここの檀家なのである。
お寺に生まれた篠山さんは墓場での撮影に嬉々としている。
「子供のころ、おれなんて墓場で遊んでたんだよ。森永さん、そこに足かけて」
墓石の上に足をかける。
少し雨が降る。ビニール傘を手に持つ。
「なんか、このシチュエーション、寺山修司っぽいですね」
篠山さんはこの連載を8×10の大型写真機で撮影している。
「もうフィルムを製造してないんだよ。だから、フィルムを買い占めた。ポラはあと5枚しかないよ」
「そんな貴重なフィルムで撮っていただけるなんて光栄です」
「じゃ、撮りますよ。そうそう、力抜いて、いいよ、いいよ」
カシャ!
「いいよ。ボラで見てもらいたくてね」
助手が写真機からポラを引っ張り出し、一分ほどですかね、経って、引き剥がしたら、あら、何にも写ってない!
巨匠は「なんで写ってないんだよ!」と声を荒げ、助手は青ざめた顔で写真機をいじっている。
最後の5枚のうちの一枚が、嗚呼! むだに。
「やっぱり、篠山紀信と言ったら極めつけは『週刊プレイボーイ』のキャロルですよね!」
「そうですよ!」
などと無駄口をたたきながらの撮影も無事終わり、その後、ひょんなことで、永平寺別院には遠い親戚のおじさんが僧侶として勤務していることが判明し対面することになり、そのあまりの因縁に驚愕した。
しかも自伝に書いたが、ぼくが19歳のとき京都で入山しようとした禅寺の妙心寺で、おじさんは修行を積んだというのだった!
この偶然の符合に怖ろしくなった。
人間関係はタイトルの通り誌面にふたりで登場する。
ぼくの相方が誰であるかは発売日まで他言してはならないそうだ。
永平寺の墓地に隣接するモダン・アパートメントに若い友人のユキ君がいる。
ユキ君は日光の江戸ワンダーランドの社長である。
ユキ君とは小学校の同級生だったというゴーデンブラウンのノブりんも暮らすアパートメントを訪ね、一緒に渋谷に出た。
駅前交差点の角にある映画館にぼくらの親友チャン・チェンが主役で出演した『黒衣の刺客』を見に入った。カンヌ映画祭で監督賞を受賞した。監督はホウシャオセンである。
予告編の『あぶない刑事』を見た。
予告編は舘ひろしと柴田恭兵のモノクロ写真をモンタージュした異色な演出。東映だと写真家は長濱治か。かなりクールだった。
「そういえばさ、『あぶない刑事』のテーマ・ソングというか挿入歌というか、柴田恭兵が歌ったんだ。そのシングル盤のB面、俺が作詞したんだよ」と思い出し、ユキ君に語った。
いろんなことしてるな。
よろず屋だね。
そのシングルは、けっこう売れたんだろうな。
時、1987年。
ディレクターは門間裕であった。
通称タカ。
60年代にはURCに籍をおき、早川義夫の制作ディレクターをつとめ、タカは『サルビアの花』の作詞家の相沢靖子さんを新宿二丁目の酒場で紹介してくれた。
タカは早川の作詞もしていた。
タカとは幾つか作詞の仕事をしていたが、主にアルバムに書いていた。
シングルは稀だった。
柴田恭兵とは彼が東由多加の東京キッド・ブラザースの劇団員のころに仕事をしていた。
このコラムのNO.70に、そのことは書いた。
その後、不良の巣窟だった青山のバー・ウォーキンでよく顔を合わせた。
ぼくの『原宿ゴールドラッシュ』を気に入ってくれ、映画化しようと彼の事務所が動いてくれた。
歌手デビューをさせたのはタカだ。スタイリストに堀切ミロがついた。
ミロは、午前中撮影した永平寺に埋葬されている。
ミロの墓前で撮影した。
「こりゃ、ミロに呼ばれてきたようなもんだな」と巨匠は苦笑いした。
ミロと篠山さんは親しい間柄だった。
「恭兵チャン」と仲間は呼んだ。
彼は静岡の出身だ。高校時代の同級生のふたりが小笠原父島にいる。
ふたりは小笠原の大洋が気に入り、移住した。
ふたりとは、ぼくは親しくなった。静岡なのでさっぱりした性格だった。
恭兵ちゃんはよく小笠原に渡っていた。
タカはその後、小笠原返還記念事業のプロデュースをつとめ、ロンドンからブリティッシュ・ジャズ・バンドのブレクファーストバンドを招聘し島でコンサートを開催した。
タカからの依頼を受けて、恭兵ちゃんのために作詞した。
タイトルは『ラブロマンス』、作曲はJウォークの旧メンバーの長島進だった。
昔はシングルのB面がクールだった。
ムッシュの世紀の名曲『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』は大ヒット曲『我が良き友よ』のB面だった。
B面という生き方を語る時代もあった。
『ブルータス』の「人間関係」も、シングルのA面B面のような関係なんだろう。