プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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毎月第3土曜日に、南青山の〈レッドシューズ〉でエントランス・フューを無料にしたロック・パーティー『第3土ヨー日』をはじめて、はや10年が過ぎた。
何事にも飽きっぽいといわれているぼくにしては驚異なことだと笑う友人もいる。
80年代に一世を風靡した〈レッドシューズ〉は時代の変遷にのまれ消滅していったが、2000年代になって、かってスタッフであった門野久志が復活させた。
2002年のことだった。
その数年前から〈レッドシューズ〉の創始者であった松山勲は癌に冒され、病床にあった。かってのボスをはげますためにも、門野は復活をミッションと自分に課した。
松山氏は、80年代、クラブ経営者でありながら、アンダーグラウンドのシーンでロック・カルチャーに最大の貢献を果たした伝説の人物だった。ローリングストーンズとも親交があった。
門野は、その役割を継承しようとしていた。そのためにレッドの復活は必然だった。しかし、松山氏は復活直前に死去した。そのとき、門野とぼくの共著で『レッドシューズの逆襲』という本を制作していた。本も、間に合わなかった。
その本は、伝説の〈レッドシューズ〉がどんなクラブだったかを、松山氏の病床でのインタビュー、他に常連客だった鮎川誠&シーナ、横山剣、元ルナシーのJ、中村獅童たちの証言であきらかにする一方で、新生レッドの行く道をしめすものだった。
ぼくはレッドの経営に何ら関係はなく、80年代のオープン時からのただの客にすぎなかったが、松山氏とのプライベートの親交は、門野とともに遺志をついでいこうという気持ちにさせた。いろいろ問題はある無頼漢だったが、松山氏に対するリスペクトの感情は強くあった。
新生レッドで何ができるだろう? 門野と何度も話しあった。
そのころロカビリー・バンドのプロデュースで組んでいた、元忌野清志郎の宣伝マンだった高橋君から爆音ロックンロール・バンドの〈ライオン〉を紹介され、彼等をメインにした爆音ロックンロール・パーティーを着想した。
港区のクラブはいわゆるDJによるクラブ系の音楽が主流で、爆音系のロックンロールは皆無だった。というか、ロックは皆無といってもよかった。それは下北沢、渋谷、新宿、高円寺あたりの文化だった。
港区初の爆音系ロック・パーティー、それもライブによる!! 演し物はクロスオーバーさせ、パンク、ブルース、モダン・ジャズ、ソウル、ヒップホップ、バイオリン、テルミン、詩の朗読、スパニッシュ・ダンス、いまも継続する早乙女によるライブ・ドローイング、トーク、DJ、ライブ・クッキング、映像上映など多彩をきわめていった。
しかも、どんなに出演者がビッグでも、エントランス・フューはただときめた。前代未聞の運営方式をとった。出演者のギャラはチップだけ。それでも、毎回、4、5の出演者が決まっていった。
客の中には、矢沢永吉、布袋寅泰、ムッシュ、ユーミン、中村獅童、時には、来日公演できたローリングストーンズのサポート・メンバーたちや外タレたちもいた。出演者がビッグなロッカーのツアー・メンバーにスカウトされたこともあった。その後、人気がブレイクしたバンドもあった。
何よりも、このパーティーのやり方にインスパイアされ、〈69トライブ〉などレッドでマンスリーのパーティーをはじめる者があとに続いていった。
新生レッドは、いまや、アンダーグラウンドのシーンでは、最大の勢力を持つようになった。海外でも最も知られる日本のロック・クラブになり、来日公演したアーティストたちが訪れ、時にセッションがくりひろげられる。
morinagahiroshi presents第3土ヨー日、「すべてはここからはじまった」と、レッドはブログに書く。
2013年最後のパーティーは、いつになく熱かった。
ニュー・アルバム『リズム&ブルース』を発表したばかりのブラサキことブラディスト・サクスフォーンが久々に登場。アルバム・カバーにイラストレーションを描いたのは、このパーティーが縁でブラサキと活動を共にすることになった早乙女。音楽とドローイングのセッションがくりひろげられた。ブラサキのディレクターで、パーティーのハウスDJ川戸君に、そのCDをもらった。川戸君は角川ホールディングスの社員だ。
つづくバンドは、はや20年ほどの付き合いになるエジプシャン・ダンスのクィーン、レイカ=ナースのネコ、あぶらだこのヒロシ、ラフィンノーズのマルのdot。ハード・コアなサウンドにのってレイカはオノ・ヨーコのように絶叫し、シャーマニックなダンスを披露する。dotはぼくがブッキングした。
フロアーは立ち見客で満杯だ。
今夜はクリームソーダの重鎮・本田さんとプレスの西尾君も来ている。久しぶりに後輩エディターのクッシーも友人のカメラマンと来ている。〈ゴールデンブラウン〉で会ったジョンも来ている。ポール・ダンサーのジーナも来ている。
出演者のマシンガン・ケリーに呼ばれて楽屋にいくと、復活した〈チェリーボーイ〉のプロデューサーである〈怪人二十面相ロックンロール・クラブ〉のジョニーがいて、本に「サインしてください」と言われた。『原宿ゴールドラッシュ』、『ゴールドラッシュ』、『やるだけやっちまえ!』、『テディーボーイ』、『ロッカビート・カフェ』ら10冊ほどの著作物や編集物にサインし、ジョニーからは〈チェリーボーイ〉の、ケリーがカバー・イラストレーションを描いたCDを7、8枚もらった。
ケリーからはキャロルや〈ロックンロール・カーニバル〉らの往年の傑作ポスターやアルバム・ジャケットらの作品満載のm.kelly作品集〈ロックンロール・カレンダー2014〉をもらった。
ステージにはケリーがドラマーの アリサ・バンド が登場。いきなりファンキーなナンバーで、フロアーはダンス・ホールのノリになり、ジーナが前に出て、身をくねらせて踊り狂っている。いつも、遊びにくるYOU-DIE&リーゼンツのドラマーのショウジ君の連れの女性も踊っている。ハウスDJのユウホも踊っている。
ケリーは〈クリームソーダ〉史にとって最重要人物のイラストレーターだった。山崎さんがイメージする1950Sの世界を、新宿〈怪人二十面相〉から原宿〈ガレージパラダイス東京〉まで、マッチ、チラシ、看板、壁画などに描き、伝説のロックンロール画家になった人だ。その作風は、ヘタウマの巨匠テリーに影響を与えている。
今年、山崎さんを偲ぶ酒席で何度が会い、はじめてアートについて語りあい、元々リスベクトの気持ちはあったが、その気持ちが深まっていた。
ケリーは、すでに60代の半ばを過ぎているのに、女の子をヴォーカリストに迎えたR&Bバンドを結成し、活動していると聞いていた。ケリーと親しい本田さんから、第3に出演させてくれないか、と話しがあり、「是非」と即答した。「音、聞かなくて、いいの?」と言われたが、絵を見れば、どんな音楽か想像つく。
「サイコーですね。ワンダ・ジャクソンみたい!」
と、早乙女も、ご機嫌だ。ガンガン、描いている。
「アンコール!」
の声が飛ぶ。
『ロックンロール・ロケット4』のために、ずっと撮影をしている大介が、その映像にライブ・ペインティングで出演してもらうケリーを撮影している。
珍しく、キャップもやってきた。彼がプロデュースするクラブの店名のことで、相談にきたのだが、すでに酔っていて、頭がはたらかない。相談にのれない。
「女性からです」
と店長のリオがシャンパンのグラスを運んでくる。
「誰だ?」
カウンターに行くと、その「お客」は、Y金属ご令嬢のモコさんだった。黒人女性を紹介してくれる。「サイコーに楽しいわ」と、彼女。
「ストーンズ、くるわね」
モコさんは、彼らとプライベートの付き合いがある。
壁ぎわに、どういうことだ? オーナーのモンちゃんあてに、キース・リチャーズから送られた花がある。
「どしたの、あれ?」
モンちゃんに聞くと、
「まあ」
と、笑うだけだ。
「今度、日本に行くから、よろしくなっていう挨拶かい?」
「まあ」
と、笑っている。
「?」
「森永さん、紹介したい人がいるんですけど」
〈花ト散るらん〉の夕美帆という美しい女性シンガーと、そのオフィスの副社長氏。モンちゃんが言う。
「来月の第3に、出演させて欲しいということなんです。すごく、いいですよ」
CD『汚い美人』をもらった。
DJは、レギュラーの3人。川戸君の他に、CLUB.NO6のキーボードのユウホにビクターのディレクターで、サカナクションや細野晴臣らを担当しているトヨピー。バンドのセット変えの時間、彼らがそれぞれの趣味で和洋新旧とりまぜ、音楽を流す。
4つ目のバンドは、ロックンロール書家SAQUIがリーダーの 〈チョコレート・ジーザス〉。彼も『ロックンロール・ロケット4』に書家として出演してもらうことになっている。一ヶ月前、旅先でその話をしたら、彼は〈クリームソーダ〉富山店で働いていたと聞き、驚いた。
また、モコさんから、今度はイタリアのレモン・リキュールとエスプレッソのさしいれがあり、いっしょに飲むと、混濁気味だった頭がパキーン!瞬間冴え渡ったので、すぐ早乙女、大介にご馳走した。
ラストのバンドは「第3」が世界に誇るコハラ・スマート率いるスマート・ソウル・コネクション!
コハラ氏のブルース・ハープ・プレイが、今夜も東京ナイトに炸裂!
深夜の熱狂を呼ぶ! 早乙女が、ペンを走らせている。
今夜も多額のチップを稼いでいった。みんな、投げ銭する、最強のバンドだ。
ライブが終わり、ダンスを楽しんでいると、終わりも近づき、残っていた出演者、スタッフたちと乾杯した。野郎どもの集いに、紅一点のユウホ。
早乙女と佐藤君と渋谷に行き、井の頭線ガード下街の24時間営業の居酒屋に入り、陸上自衛隊の戦車部隊の話を佐藤君から聞いた。兵器として戦車はもう古いんじゃないかな、と自分は思う。もっと最新の素材で、軽量で、宙に浮くぐらいのを開発したほうがいい。戦車戦の演習における戦術のマニュアルは、戦国時代の騎馬戦がもとになっているらしい。ふざけた話だ。
佐藤君は、よくバスで駐屯地の御殿場からやってくるロックルロール・クレイジーだ。クリス・アイザックのようだ。
夜明け前、渋谷の路上で佐藤君と握手して別れ、彼は丘の向こうのバス・ステーションに向かった。
10年というと、もう100回以上は「第3」をやっていることになる。
「狼どものなかの紅一点、ハウスDJのユウホ」