森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

回顧録を執筆していて、70年代初頭に出会った人々のことを4Sで検索していたら、想わぬYOU TUBEのMP3を発見し感無量になってしまった。

本人の姿は見ることができないが、若林純夫が『雪の月光写真師』を歌唱していた。投稿者のデータによれば大阪の天王寺公園で開催された”春一番’73”のライヴ・ヴァージョンだった。

この歌は72年に友人だった若林君と共作した。ぼくが詞を書き、彼が作曲した。初めての作詞だった。

記憶にはのこっていたが、どんな歌詞だったか忘れてしまうほどの遠い日の創作だった。

若林君は70年代中頃には音楽業界を去り、ぼくとも疎遠になり、人々から忘れ去られていった。

若林君は2006年6月15日、あの世に旅立ってしまった。

彼の死は、かつて彼の音楽を愛した多くのファンに思い出を甦らせた。中でも、彼の代表曲でもあった『雪の月光写真師』へ寄せる想いが多々、ブログに書かれ、その曲がYOU TUBEでもアップされた。

という事情を、ぼくは知らないでいた。

それを最近発見してしまい、その夜、5回程聴いて、若林君と共に歌をつくっていたころのことを思い出していた。

アコースティック・ギター一本で若林君は切々と歌う。40年前の歌心が胸に迫ってくる。


歌に寄せられたブログ。


「一般的には無名のフォークシンガーの“畢生の名曲”と断言しよう。1973年の春一番で、 この、カゲロウのように儚く美しいラブソングは、途中、無粋な爆竹の炸裂音に妨害されながらも、逃げず、怯まず、切々と歌いあげられる。それは、何回聴いても胸に迫るものがある」(AFTER THE GOLDRUSH)


「若林さんの歌っていた『雪の月光写真師』(作詞・森永博志 作曲・若林純夫)という曲があります。以前ランディ・ニューマンを聴かせてくれた時に、「この曲を聴いた時、僕にはこんないいメロディー作れないと思って曲を作るのやめちゃったんだよね」と話してくれたことがありました。『sail away』もいい曲ですが『雪の月光写真師』もとてもいい曲だと思います」(ベスパのライブ)


「僕が高校2年生の時の天王寺春一番、思ったより小柄な若林純夫が会場内をカメラぶら提げウロウロしていた。そして、暗くなりかけたステージに登場『雪の月光写真師』を唄ったのだった。その鮮烈なイメージは今も僕の心の中に焼き付いている」(鎌倉研劇場)


「…しかし、その73年の春一番で歌った『雪の月光写真師』という曲は、日本のフォークソングの歴史に残る隠れた名曲、一部でヒットした曲で、シングルカットはされていないと思うのだが、当時の深夜放送ではよく流れて、人気があった。まずはそれで彼の名前を最初に知ったのだと記憶する。

コードGからEmへと下がっていくシンプルな曲で、詞は人の手によるものだそうが、彼作曲の美しいメロディーと印象的な歌詞。それにちょっとかすれたようなしみじみとした歌声は、若林純夫以外には誰も作り出せないロマンチックな音楽世界で、当時中高生だった自分はすぐにトリコになり、下手なギターで一生懸命コピーした。今でもこの曲は自分にとって一番フェイバリットな曲であり、機会があれば生涯歌い続けていきたいと思っている」(本の人生 本との人生 末端古本屋雑記帳)


「昨日、この曲を突然聴きたくなって、たしかメディアは、カセットテープだったなと思い、探したのですが見つからない。確か30年以上前の学生時代に、K氏にこんな曲があると、教えてもらって、テープにダビングして、今も頭の中に歌詞が残っていたものです。30年以上経っても、イイ曲だと思いました」

(なんもナンモ オジさんの再就職日記)


「いつか唄いたかった唄『月の月光写真師』。彼『若林純夫』が15日逝った 涙で曇る」(酒護神様)


「もういちど聴きたいです。遙か、40年前TBSラジオのライブ番組で一度だけ聞いて、サビのフレーズが耳についたまま56歳になりました。春一番でのアコギ1本は最高です。本当に素晴らしい! 幻想的な世界が広がります。どうしてもうまく歌えないけど、どうしてもうまく歌いたい、若林純夫みたく歌いたい曲です。詞とメロディのバランスも絶妙です。本当に心に残る名曲だと思います。目をとじて情景を思い浮かべます。しみじみと切ない気持ちになります。この曲は奇跡的なほどすてきな曲です。日本のフォークの人たちは雪景色を唄うのが上手ですが、これも逸品。 」(私のこの一曲)


音楽活動を辞めた若林君は、渋谷のカフェ<ZOO>のマスターになった。若林君はぼくが会ったときにはすでにブリティッシュ・トラッド系のスーパー・スタイリストだったが、<ZOO>時代にはさらに磨きがかかり、当時ビームス店長、現ユナイテッドアローズの役員、栗野氏はオシャレ道の弟子筋にあたる。

代官山での追悼ライブには事情があって出席できなかったが、当日をドキュメントしたブログに、


「この夜は、シバさん、中川五郎さん、中川イサトさん、いとうたかおさん、鈴木慶一さん、山本コータローさん、徳武弘文さん、岡田徹さん、かしぶち哲郎さんそして和田博巳さん、等々そうそうたる面々が若林純夫の為に集まり、唄を捧げてくれた。最後に皆が若林さんのソロ曲『雪の月光写真師』を唄ってくれたが、幕が降り若林さんの若い頃の写真が次々と映し出されてくると、やがて当時の若林さんが唄っている『雪の月光写真師』に変わった。もう、拭いても拭いても泪が止まらない。奥さんのとしこさんも泣いている。後ろを見れば旧友、富塚君も泣いている。ひとみさんも泣いている。隣の栗野さんも泣いている。 こんな素晴らしい人たちと出会わせてくれた若林さん、本当にありがとう」(東京自由人日記)


そして、一番面白かったブログは、コレ!

「『雪の月光写真師』なんて、あのころ聴いてもくだらないと思ったけれど、今聴いてもやっぱり取るに足りない」(Add More Music To Your Day)


では、ご鑑賞下さい。

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