プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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福井の陰陽師の里でのコンサートを見た翌日、後輩が運転する車で美浜原発に向かっていた。そこで元原発所員だった友人を映像撮影することになっていた。
約2時間ほどの走行中、車内にはカー・オーディオからずっとドラムンベースが流れていた。
久しぶりにドラムンベースを聴きながら、同乗者にかつて自分がそのロンドン産のクラブ・ミュージックに傾倒したころの思い出を語っている。
それは、1995、6年のころのことだ。
そのころわけあって、自宅は芝浦にあったが、別にドイツ人が建てたという3階建て住宅の一階を借りていた。それは渋谷の東にあった。
渋谷なので、随分いろんな人が遊びにきた。布袋と山下久美子元夫妻、かまやつさん、江口洋介、加部さん、大口ヒロシ、ロン・ウッドの親友の英国人、ハリウッドのゲンさん・・・ある日、ロンドンに1970年から住んでいる原田氏が「いまから行ってもいいか?」と訪ねてきた。
彼とは長いつきあいの親友だった。訪ねてきて、近況を語り合ううちに、音楽の話しになった。彼はペンギン・カフェ・オーケストラやブレックファースト・バンドのベーシストであった。その一方で、ボウイ解散後ソロになった布袋寅泰のプロデュースなどをしていた。
いまロンドンでは「ジャングル」という新しいクラブ・ミュージックが台頭してきている。それはイギリスでは珍しく、黒人主導のストリート・カルチャーだ。大きなムーブメントになりつつある。
ついてはロンドンでジャングルのCDを制作して、日英で発売するので、「マッケンジーも制作に参加しない?」と誘われ、その最新のクラブ・ミュージックとやらのテープを聴かせてもらった。まだ、ディスクやテープの時代だ。
自分は、そのころDJクラブの〈バー青山〉に入り浸り、街場の後輩だったU・F・OのDJ矢部直とも公私ともに親交し、クラブ・カルチャーに傾倒していたので、原田氏から教えられた未知なるジャングルに惹かれた。
ディスコ系の ハウスやテクノには興味なかったが、やはり80年代初頭にニューヨークで体験したヒップ・ホップのインパクトはのこりつづけたので、ジャングルも「もしや」と原田氏の依頼を引き受けることにし、視察も兼ねてロンドンに渡った。
まずは見に行こうと、懇意にしていたジャマイカン・ルードのエロルの案内で人気のクラブに出かけたが、入り口では戒厳令下の空港並みのボディ・チェックがあるし、中は客の全員が黒人、みんなミネラルウォーターを手にしていた。異様な空気だ。
ジャンピング・ジャック・フロストという司祭者然とした黒人人気DJが登場して、場内のボルテージがアップする。
理解不能のスラングづくめのアジテーションからスタートし、縦ノリの、リズムが疾走するジャングル・サウンドがフロアーに炸裂すると、驚くなかれ、黒人たち全員が一斉にジャンプしはじめた!
横には誰も揺れない。ひたすら、長槍を手にしてるかのように垂直にジャンプしつづける。肥満体には無理なダンスだ。ヒップ・ポップとは異なる。痩せた長身の黒人たちが一斉にジャンプしている、
この光景は、なんとズールーだ! アフリカの部族の闘争ダンスだ。
入り口のボディ・チェックの異様な厳しさが腑に落ちた。誰ひとり酒を飲んでなかったのは、イスラム教徒だからか。
これは、もしかしたら民族問題が関係しているのかも知れない。ジャンプする黒人たちの表情に喜悦はうかがえない。暗い。
ジャングルに対するイメージが一晩で変わった。
その数日後、マンチェスターにあるというジャングルのクラブに行こうとしていたが、手配してくれていたエロルが「行くのは中止だ」と知らせてきた。わけを訊くと、そのクラブて死者がでるほどの銃撃戦があり、閉鎖したという。
原田氏のスタジオで、ぼくはジャングルは、あなたたちが考えているほどコマーシャルにはならないんじゃないかと私見を語った。
「ジャングル」はJANGLEというつづりだが、意味するところは「騒ぐ「喧嘩」だ。しかし、そんな安易な意味より暗黒大陸のJUNGLE、密林を想像した。そして、イギリスの都市こそボブ・マーリーが歌った『コンクリート・ジャングル』である。
CDのカバーを、そんな、都市の奴隷のイメージで制作した。しかも黒人女性のヌードだ。囚われのアフリカ人。
それでもサウンドには惹かれた、何度かその後ロンドンに行き、ソーホーのレコード屋で有り金はたいて、白盤を買い漁った。
白盤とは、DJがスタジオで制作したサウンドを録音したアナログ盤を、音楽のタイトルもクレジットも何もない真っ白なジャケットにいれ、その日のうちにレコード店で販売するクラブ用のレコードのことだ。それは、45回転のアルバム・サイズ盤に一曲入りだった。ロンドンではCDなどで、音楽を聴くのは少数派だった。
日本に持ち帰ってバーやクラブで聴かせても、みんなどうのったらいいのかわからず、いっこうにもりあがらなかった。
ロンドンで2枚のCDを制作した。そのころ飛ぶ鳥落とす勢いだった小室哲哉がダウンタウンの浜ちゃんとジャングルをアレンジに導入したヒット曲をつくったので、『週プレ』編集部からの依頼で、小室氏とジャングルについて対談した。
その後、ジャングルはムーブメントにはならず、挑発的な「ジャングル」から即物的な、音楽史上これほど無味乾燥な呼称もない「ドラムンベース」になって、いつしか消えていった。
ロンドンで見た、あのズールーのダンス!
暗黒大陸に戦いの炎が広がっていく前兆のような。ロンドンで見たフロストは若き日のボブ・マーリーを髣髴させた。
その暗い衝動は、ロンドンに確かにあった気がした。
日本も神戸の震災とオウム真理教騒動と大不況で暗澹たる時代を迎えていた。
2013年、真冬。
「ジャングル」を聴きながら、美浜に車を走らせている。
日本海とは思えぬ青々しい海原が見えてきた。向こうに原子力発電所が見える。手前の海原では、たくさんのサーファーが波にのっているが、もうその光景からビーチ・ボーイズは聴こえてこない。