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芝浦町内血風記★前衛芸術展篇

ガラス戸を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、何度も見ているはずの彼女の代表作だったが、衝撃波をモロに受けていた。

展示されている場は、彼女の両親が営む創業90年、芝浦最古の居酒屋だ。屋号は、大平屋。彼女の名は大平真梨、陶芸作家だ。といっても、まだ世に認められてはいない。

いつもは酔客を迎えているテーブル席がきれいに片され、ガラーンとなった素の床は洗い出しだ。それは砂利とコンクリを混ぜて、水で洗いに洗い表面の小石を残した土間。何か、例えば星雲に見たてている。そんな酔狂な床に彼女の立体作品はドーンと立脚していた。二階の座敷にも展示されている。

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神輿を担ぐかのような町内あげての展覧会だ。芝浦に画廊はひとつもない。大平屋に、続々、町内会の人々が訪れ、作品を見て、動揺している。中には、「いったい、これは、何を意味してんだ?」と、本人に訊いている無粋者もいる。作家は「わたしは、醜いもののなかにこそ、美を感じるんです」と、まんま答えているが、みんなは首をかしげるばかり。

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それは芝浦はじまって以来の前衛芸術展だ。

それは何と評したらいいのか?

大森海岸の貝塚地中深くから発見された、縄文時代の神像とか。

黄河源流の氷河に眠っていた謎の文明品か?

あるいは最近、大王イカや龍の使いが漁の網にかかったり、浜に打ち上げられたりしているが、人類がそれまで見たこともない海洋生物が捕獲され、公開されてるような、見世物さえを想わせた。


ピカソのあの目鼻立ちの狂った絵もウォーホルのキャンベルのスープ缶の作品も、そこには意味などなく、あまりに保守的になってしまった芸術界に、非教養的イメージを叩きつけただけなんだろう。

だから、彼女の作品を観念的に語りたくはない。

それは、見世物なのだ。

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寺山修司が演劇の演出に取り入れた。あるいはカルト・ムービー『フリークス』『ピンク・フラミンゴ』『ホーリー・マウンテン』で衝撃をもって見た、それは見世物なのだ。表現上の常軌を逸したものなのだ。

見世物は奇なるものを見せる。人は驚きをもって奇なるものを見る。

美なるものは芸能人や桜に見るように、あるいは衣食住を彩る物ものがブランドとなってそなえているように、身近に案外何の感慨もなく人は見ている。

しかし、奇なるものは日常圏外にある。

奇なるものは特別の場所にある。滅多にはお目にかかれない。


普通の烏賊はどんなにいっても細切れにされ鮨ネタで糞になって排水溝に流れ去ってしまうが、深海に住む大王イカはひとたび陸にあがれば、世間の脚光を浴び、博覧会で展示され、人はそこに、この水の惑星の神秘さえ感じる。その巨大さに畏怖し神さえも感じる。最近は珍しくもなくなり、食用になってしまうが。

ただ、奇態であればいいという話ではない。そこには人智を超えた力が宿されていなければ、創造物が放つ衝撃は生まれない。

それまで誰も発想せず、目を奪う異常といえるスキルがあってこそ、人の想像力を刺激する。そのスキルも、学習によって習得できるレベルではなく執念から生まれたものだ。

あの、馬鹿げたくらい巨大な奈良の大仏!


彼女は、大平屋で生まれ育った。三代目の父は、すでに40年以上も、ひたすら焼き鳥を焼き、名物の卵焼きを作りつづけている。他に何も仕事をしたことも考えたこともない。それは天職だ。

母は若い頃はフレディ・マーキュリーに心酔していた。父と母はともに夫唱婦随で働いている。その姿を彼女は幼い頃から見てきた。手仕事を見てきた。その手仕事が、彼女の作品では神がかりの飛躍を見せる。

一体完成するのに、半年から一年を要する。並の集中力、持続力ではない。


幾千という魚の鱗のような欠片を規則正しくはりつけて表皮をつくる。

想像しただけでも気が遠くなる作業だ。この作業が、奇異なるイメージに生命力をもたらしているのだろう。

作品の印象はどれも抽象的だが、創造の手段はあまりに具体的だ。


その異常な丹念を要する作業は、何かしらの異次元に彼女を連れていき、彼女はそこで、生きたクリーチャーと対話でもしているのだろう。

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彼女は、「美は醜く、醜は美しい」と、2011年、大学院修了論文で宣言する。その熱血的宣言の中で、最後、


「人の心は非常に曖昧なものでありながら感じることに嘘はつけない。私は作品によって人々の潔癖に白く保たれたシャツにドロを投げつけたい。誰もが自由で奔放であった頃の服の染みには私たちが本当は何たるかを示す地図があると思うのだ」


芝浦もどんどん潔癖になっていく。綺麗な高層マンションが、続々建ち、新しい住民が押し寄せてくる。再開発の嵐がやってくる。街を服に喩えたら、大平真梨のいうドロの「染み」は消え、うわべの美に覆い尽くされていく。奇なるものは排除される。日毎に、消えていく。

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芝浦は、ゴジラが上陸したところだ。


90年の「染み」を残す大平屋での前衛芸術展。

それは、吠え、火焔をはなっていた。

期間中の来場者、およそ300人。

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【ど、ど、どっひゃあー!!横尾忠則サンちっく背景デザインとともに現れたるは、な、なんと、あの大平屋の娘さん、真梨さんて名前の方の前衛芸術展だったのですね~!た、確かに何度か見てるはずでもガラス戸をあけたら異次元宇宙生物てき立体作品ドーンと立脚してましたらモロ衝撃ですねー!わたくしも森永さんお誕生会のさいに実際に彼女作品が畳のうえで見れましたのはラッキーでした。前衛芸術分野は、抽象的世界観や理論てきアレコレがワタシ個人的に、わかりにくい面が色々ありましたが、今回のタイトルもイカしている~、大平屋での娘さん展示の様子と、素晴らしい森永さんの展示会解説で、ワタシなり~前衛芸術の基本的真髄のような何か~を自分のなかで把握できました感ありまして嬉し良かったです。たとえば、見にこられた町内会の方々が作品見て、~動揺している~と!なるほど~感動~ってゆうか~娘さん作品インパクト~に動揺!コレが良い前衛芸術品に対する人々のリアクションなんだな、なぞと思わされました。そいでワタシが何度も見てます、寺山やピンクフラミンゴなどの映画を例にされての~見せ物~てき意識、また、~奇態であればいいというのでなく、そこに人智を超えた力が宿されてなければ、創造物が放つ衝撃は生まれない~って1文には、もしかしますと前衛的要素も内在してますかもワタシなり今後の創作意識をも勇気づけていただいた感もございます。に、しましても大平屋の娘さん立体作品は凄いですね、展示作品数が少なくても空間を充分に満たしてしまう威力があります。三百人がこられたと聞いてワタシは記録フィルムで見ましたダビンチのモナリザの絵の1枚に大勢が回転式に見ていく様子を思い浮かべました。映画アルゴ探検隊の大冒険を撮影したレイ、ハリーハウゼンも真梨さん立体作品を見ましたらダイナメーション映像で動かしたくなっちゃうかもですね。ワタシ大好きな初代ゴジラが上陸した芝浦!いやはや~芝浦町内血風記、前衛芸術展 編~、タイトルも内容も最高ですね、堪能いたしました、ありがとうございます。】小林ヒロアキ



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