プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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杉山恒太郎と。
本所吾妻橋鰻禪の小座敷で座興に耽っている。
「ブライアン・ウィルソンの映画、よかったよ」と杉山さんがおっしゃる。
それは、いま、一番見たい映画、明後日、有楽町に行こうと思う。
題名は『LOVE&MERCY』。監督ビル・ポーラット、出演ジョン・キューザック、ポール・タノほか。
杉山さんは、前は築地に本社をかまえる広告代理店の重役。
定年退職後、銀座に本社をかまえる広告制作の老舗の社長に就任。
サラリーマン人生はこうでなくてはという処世の鑑。
「明日、銀座のロータリークラブの会に出席するんだよ」と、嬉しそうにおっしゃる、その笑顔は、天真爛漫。
何やら、山口瞳先生の書いた小説のいちシーンのごとし。
世はいまも浮世床、、、
杉山さんは天下の企業に所属しながら、偉ぶらず業種的色にも染まらないで、でも、一世風靡した数々の宣伝を世に放ち、それはたとえば「ビカビカの一年生」や「セブンイレブン、いい気分」!
まだ、セブンイレブンが10店舗しかないころ、現鈴木会長にたのまれ、ラジオ・スポットを制作。そこで創作したコピーが「セブンイレブン、いい気分」。
作業が深夜まで及んだ録音スタジオには鈴木さんが張り付いていたそうだ。
ぼくは、鈴木会長の経営哲学を全面的に共感する。
杉山さんは鰻屋では「一世風靡の杉山さん」と、遠山のきんさん並に、店主から特別扱いだ。
杉山さんと巡り会ったのは、1975年、その頃、ぼくは八曜社というインディース系の弱小出版社の嘱託として働いていた。
慶応大学文学部を首席で卒業したという代表のナベさんはフランク・ザッパのような、ユダヤ系の風貌をしたひと世代上の男性だった。
ある日、八曜社に杉山さんが現れた。
ナベさんちと杉山さんちは親戚関係にあった。
杉山さんが個人的に知る人が八曜社の入っていたマンションの向かいのマンションにオフィスをかまえていて、よく来るそうだ。
場所は桜ヶ丘だ。
杉山さんと巡り会った。
しかし、その後はどう関係が進んだのか、覚えてない。
ぼくは本格的に編集者の道に入っていった。
杉山さんは電通に入社。すぐに、先の「一世風靡」的活躍をしていく。
80年代にはテレビCF黄金時代の最重要プロデューサーとなる。
80年代の初め、北青山に一軒のトレンディーなバーが出現した。
主人は広瀬一郎。立川直樹とは高校の同級生。一年下に仲井戸麗市がいた。
ちなみに、その高校の近くにぼくの通う中学があったが、そのころは彼らと知る由もない。
そのバーには、毎晩、業界の華やかなクリエーターがたむろし、ぼくもそのころ『ブルータス』の仕事をしていたので、編集部の仲間たちと、それこそ、毎晩! 飲みにうかがった。
世はまだバーの時代だった。
そこで、杉山さんと再会したのか、よく飲んだのをおぼえている。
それから随分といっしょに仕事をした。
コウちゃん、マッケンと呼び合う仲になった。
スネークマンショーのカセット・ブック『南海の秘宝』を編集した。バリ島を舞台にした伊武雅刀主演の壮大な冒険物語の序章に長編叙事詩を書いてもらった。
創刊した文芸誌『小説王』では毎号巻頭に詩を書いてもらった。
この詩は有名デザイナーの手によりアート処理がなされ、展覧会を開いたところ、山海塾の人たちがやってきて、連載中からファンだったと告げられたそうだ。
また、まだ電通社員だった伊集院静さんからも、認められたそうだ。
このプロフィール96にも書いたが、無印良品の小冊子にも詩を寄稿していただいた。
つまり文芸的な関係を楽しんでいた。
他にも、コウちゃんとは、東京駅のステーション・ギャラリーで開催された植田正治写真展でトークをした。
それからコウちゃんは出世し続け、関係は遠のいたが、最近はまた復活し、講談社の原田隆と三人の会食会で顔を会わすようになり、その会に文芸評論家の福田和也さんを招いたりしている。
鰻屋の座敷でコウちゃんはーー L.Aのあるクラブでデニス・ホッパーを見たが、若い美女を両側にはべらせ、本人はヨレヨレ、でもカッコよかったーーと述懐する。
杉山さんは、もしかしたら、そんな生き方をしたかったのかもしれない。
ここに一枚のツーショットが残っている。
80年代中頃だろうか、桑原茂一がいまも編集・発行しているフリー・ペーバー『ディクショナリー』の連載企画「筆談」にふたりで登場。
そこでもデニス・ホッパーの逸話を杉山さんは書いていた。
「マッケンと親しくなってよかったことっていろいろあるけどさ、いちばんは山川惣治さんと植田正治さんにあわせてもらったことだね」と杉山さんは、鰻が焼きあがるのを待つ座敷で、おっしゃるのでした。
《子供のころのコウちゃんとマッケン、というのはウソ》