プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)
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5月の半ば頃になって、そのFacebookへの投稿を見た。
永盛勝也さんの投稿だった。
タイトルは「俺は森永博志の文章で布袋のファンになった」。
〈朝方、というか、ついさっきまで布袋寅泰のライブ映像がテレビで流れていた。布袋さんをカッコいい人だとはかねがね思っているが、よくは知らない。曲を通しで聞いたこともない。
でも好きなのはどうしてか。好きになったのはどうしてか。
どこかで布袋を目にすると、どうしても頭に浮かぶのは『エスクァイア』である。1994年8月号。アップした写真の号だ。
ここにある「日本の夏-大仏殿と京島旅行」という文章がめちゃカッコいい。森永博志によるものだ。
布袋-だけでなく様々なミュージシャンが-奈良東大寺大仏殿の前でライブを行う様子、そこへ女を口説いて乗り込んで行くまでの遣り取り、道行きを書いている。
すべてひっくるめてカッコいい。
布袋のライブ映像は文句なしにカッコいいが、私にとっては、いつまでも森永博志の文章を通してのことだ。〉(3月1日投稿)
以上の投稿を早乙女道春がシェアし、5月中旬、WILDSALOONで発見した。早乙女は永盛さんに対して、
〈永盛さんっ! 出ましたっ! 続日本びいき!! この時の森永さんはホントに凄いっ! 読んだ当時はホントにブッ飛んだ! しかもつい、2、3日前に読み返したばかりのシンクロニシティ! 若輩私も、ムッシュかまやつさんと森永さんの5ページに絵を提供せよとの初めての大役だったのです〉
ここで話題になっている『エスクァイア』をダンボールのなかに探したら、湯村輝彦表紙画の、その号があった!
この号の特集全体の構成を自分はつとめていて、ディレクション以外に永盛さんがFacebookで言及している『大仏殿と京島旅行』、早乙女くんが絵を描いた『英国仕立ての風来坊』の2本のテキストも書いている。
巻頭に日本人論を書いた福田和也はまだ新人の文芸評論家だった。
チャラ、橘いずみ、五島良子、エリを『平成天女』として撮った藤代冥砂は、これがデビューだった。
改めて、『大仏殿と京島旅行』を読み返してみた。
ジリジリという音を響かせ夏が太平洋の方からやってくる予感が体に満ちてきた。この国では、梅雨のあとにやってくるのは夏ではなく、それは長い休みをとった方が賢明な生命の倦怠期であろう。
夏は五月の一瞬に永遠のきらめきを晴れ着のように纏って去来する。
五月の二十一日、僕は夏の予感を景気づけるために、六本木のファンキーなストリップティーズ・クラブ〈フラミンゴ・バー〉に立ち寄った。
ポケットにはキャシュで10万そこそこの札がスッピンで入っていたので、気丈夫になりシャンパンを頼んだ。
カウンターに陣取ったぼくの前にはアイルランド、イスラエル、オーストラリア、アメリカ、フィリピン、日本の女たちがフラミンゴのように並んだ。
彼女たちに「明日はすごい夏になるぜ」といって、シャンパンをふるまい乾杯した。タスマニア生まれでイタリア系オーストラリア人のNo.1ホステスのクレメンタインが隣に座った。
彼女の華奢な腰に手をまわし、明日、奈良に行かないか、日本の夏がどんなにスピリチュアルか見せてやるよ、ディランに会えるぜ、と口説くと、彼女はディランのことを知らなかった。
若い。
インエクセスとボン・ジョヴィの名をあげると、クレメンタインはオーケィと2本目のシャンパンをあけた。
翌日、朝10時に六本木アマンドの前で待ち合わせたが、クレメンタインの姿はなかった。
チクショー、シャンパンやられたかと、ガードレールに座りこむと、ハーレーが爆音を響かせて歩道に乗り込んできた。ヘルメットをかぶっているが、すぐにヘルズ・エンジェルズ風の男の後ろにまたがっている女がクレメンタインであるとわかった。
彼女は男を僕に、友達のアメリカ人でギタリストだと紹介した。僕たちは握手した。男は、ボン・ジョヴィによろしく伝えてくれ、気をつけてなといって立ち去った。
新幹線で京都まで行き、奈良線の各駅停車で奈良に向かった。
車窓はいつしか西安の郊外で見た風景が流れ、大陸的な深遠な日常に予想通りアジアの極に輝く清明な太陽が照りつけていた。
奈良駅はヴィクトリア様式と寺院様式の折衷で、見るからにインド的であった。東大寺までの参道を歩いていった。途中、茶屋に入り緑茶ときなこ餅で一服した。
クレメンタインは鹿を驚きの眼ざしで見た。生まれてはじめて鹿を見たという彼女に、此処がアジアで一番美しく平安な天平楽土だと教えてあげた。
境内のなかにパスをもらい入ると、大仏殿の前に巨大なアポロの装置が築かれていた。
Apollo[ギ・ロ神](太陽・音楽・詩・健康・予言の神)。
僕たちは感嘆の声をあげた。バックステージへの道すがら祇園から来た舞妓の豆涼に会い、言葉を交わした。
裏庭で布袋に会う。かみさんの久美ちゃんも一緒だった。
「一生忘れられないようなステージやりますから」と照りつける太陽の下で仁王のように立つ布袋と握手した。
月の姿があらわになる頃、僕たちは中庭の菩提樹の下に横になり、ジョージ・マーチン監修、マイケル・ケーメン指揮の下、東大寺声明、天平楽府、東京フィルハーモニック管弦楽団、レーナード衛藤、劉宏軍、布袋寅泰、近藤等則、YOSHIKI、喜納昌吉、ザ・チーフタンズ、ウエイン・ショーター、ジム・ケルトナー、ライ・クーダー、レイ・パーカーらの東洋と西洋がアポロのもとに交感した奇跡のハーモニーに魂を遊ばせ、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディラン、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロジャー・テイラーらの歌に心を澄ませ、涙を流した。
クレメンタインは歌うかのように「サンキュー」といい、僕は「マイ・プレジャー」と答えた。
布袋寅泰はジョニ・ミチェルにギターを絶賛され一曲セッションし、ディランに「お前はサイコーだ」と認められ、ジム・ケルトナーに「音楽の何たるかを貴方から教えてもらった」と愛され、インエクセスからは一緒に組もうぜと誘われた。
全世界50か国、10億人もの人々が、この饗宴を見る。
バック・ステージでディランのステージを微動だにせず視つづけていた平岡定海管長は、NHKの、「大仏様は怒ってないですか?」という間抜けな質問に答えて、「いやぁ、天平時代から、こういうことに慣れてるって喜んでますよ」と笑った。
五月に去来する一瞬の夏に、日本はアポロたちの響宴とともにアクエリアスの時代に突入した。
東大寺の大仏は笑っている。
僕の隣にタスマニア生まれの妖精がいることが、一瞬の永遠の、現世こそが前世であり来世であるという夏の夜の夢であった。 (後略)