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TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 32
2014年12月10日収録
クワン@西麻布
TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 32
2014年12月10日収録
クワン@西麻布
約束は10時だったが、9時前に三田コージーコーナーでの打ち合わせの席に、Mから「早く終わったから、9時15分ころ、どう?」と連絡きて、「いまから、向かいます」と店をでて、タクシーで西麻布に飛んで行った。
早く着き、先日飲んだジン・トニックがあまりに美味だったので、オーダーする。それは未知なる味覚だった。
ジンはドイツ産のモンキー47、マスターの説明を聞く。
ーー世界大戦中、ドイツに軍人としてやってきたイギリス人が終戦後も南ドイツの田舎に残って、そこで、ジンを製造した。そのときのレシピを手に入れた現メーカーの社長が忠実に再現したのがモンキー47で、それまでのジンは最大でも17種類の薬草しか仕込んでなかったのが、これは世界で初めて47種類のハーブ、スパイス、フルーツを仕込んである。もともとメディシンであったという本来にかえって製造されたものです・・・
店内にはニール・ヤングの『ア・レター・ホーム』が耳に心地よい音量でながれている。
酒といい、音楽といい、完璧なシチュエーションに、ひさしぶりにアンダーグラウンドのバー・タイムの至福を感じている。
そこにMがやってくる。
モンキー47をすすめる。
先月の御徒町篇が最前線においての対話だとしたら、今宵は戦士の休息、レイド・バックしている。
M’: ことし、最後のシャングリラですね。一年経つの早くないですか?
M : 時間が経つのが、すごく早い。この前、箱根に行く車の中で、増田と気分はストーンズだなって、『サッキング・オン70s』聴いてて、その中に『タイム・ウエイツ・フォー・ノーワン』があるじゃない。歌詞に、「時は誰も待ってくれない」と。やっぱり矢のように時は過ぎゆくね。
M’: 加速してる?
M : してる。
M’: 20世紀の初頭、イタリアの未来派じゃないけど、文明のスピード化が社会のテーマになって、アートのテーマにもなって、ストリーム・ラインが生み出されて、速く、速くの文明の世紀になって。いままた、世紀の初頭は通信からリニアからスピードがテーマになってんですかね? なんか、変だよね。一方じゃ、アーカイブなんていってて。
M : やっぱり、ネットの弊害だよ。アーカイブなんていったって、すべてはネットで見られるじゃない。ぼくは大事なのは現物だと思う。現物の質感だと思う。
M’: この去りゆくときの速さは現物がないからかな? ミックはロック史の年表、よく作っていたから、その質量が基準にあるの?
M : 1年12ヶ月、10年だと120ヶ月になる。それがネットになると120ヶ月も簡単な時の流れですませちゃう。時間の地層はない。薄いタブレットの中におさまっちゃう。その中に、寺山修司がいったように、時間を閉じ込めているとしたら、そこには数字だけしかない。でも、ぼくらは、その時間の中で生きてきたわけじゃない。ひとつのことにこだわって、ときには時間をかけて、自分のものにしてたわけじゃない。それが、いま、あまりに簡単にアプローチできちゃう。
M’: それがいまの社会の速度なんですね? この間も話したけど、ピンクフロイドの『永遠』は20年間の時間を経て制作されたわけでしょ? いまは、そんな余裕ないですね。
M : そうやって置いといたものを改めて再編集して、発表できたらいいと思う。
M’: そういうことって、ミックの仕事でもある?
M : けっこう、ある。
M’: 意外と、そこかもね。ぼくらの仕事を継続していく秘訣は。
M : それは、いま、ライナーノーツかな。ライナーノーツの本を作りたいとは思ってるよ。
M’: 確かに、いまは、ライナーノーツも消えつつある。
ちなみにMは最近ではピンク・フロイド『永遠』にも、ぼくからの依頼を受けてくれジョニー大倉ボックス・セットにもライナーノーツを執筆していて、共に名文である。
M : でも、まとめる人がわかって、ちゃんとしてないとダメだね。じゃないと、たいして面白い本にはならない。
M’: それは膨大なアナログ盤の中に眠っているもんですね?
M : それを一冊にするには編集者の作業とセンスにかかわってくる。できるの、マッケンしかいないと思うよ。
M’: あるいは整理しないで、すべてを網羅した全集仕立てにするとか。その膨大な仕事量を見せる。
M : (ジン・トニックを飲み)うまいね、コレ!
M’: すごいでしょ。ひさしぶりにカクテルにはまった! これもある意味質量の輝きです。そういえば、先日、田名網さんの個展、見に行ったら、ゲスト名簿の筆頭がミックのサインだった。
M : あれは素晴らしい! バリが入ってたね。
M’: マッシュルーム!
M : あのオブジェが凄い!
M’: ぼくは昔から田名網さんのこと絶対的に信奉してたけど、それでも甘く見てたかな。とんでもない作家ですね、100年にひとりクラスの。
M : スピリチュアル・マスターだね。
M’: 脅威ですよ。
M : 立ち尽くした。
M’: ぼくも、立ち尽くした。もう言葉にはできない境地に至ってた。画業でここまでいったか! っていう、たたただ衝撃!
M : この人の本質ってここにあるんだとわかったら、凄く怖かった。
M’: 神に対する畏怖心のような怖れさえ感じたし、現代アートといってたものが、いかにマーケットに媚びたつまんないものだったか、逆に理解できた。田名網さんはマーケットにも歴史にもいっさい媚びてない。
M : ほかに展覧会では、あれが凄かった。現代美術館でやってるミシェル・ゴンドリー展!
M’: それ、誰でしたっけ?
M : もともとMTVの監督で。
M’: 思い出した。ジャミロクワイの、撮ってた?
M : ビョークが有名ですよ。あと、『うたかたの日々』を映画化した『ムード・インディゴ』も監督してる。そのとき制作した小道具が展示されてて、これが面白い!それはYouTubeで見てもわかんないよ。イノシシ料理なんていう作り込んだ立体作品は自分の眼で見ない限りわかんない。何事も手間かけたものが凄く減ってきたね。
M’: こういうジンみたいなものが。いまは手間省略してる。効率優先で。料理ひとつでも、だし、昆布からとらなくなったり。
M : 何もかも簡単になりすぎて、作る側もそこまで手間かけても、どうせ伝わんないって、どこかあきらめてるようなとこあるのかな?
M’: それはあるかも。むかしから、そういう諺もあるし。
M : 4年ぐらい前に制作されたフランク・ミラーの『シン・シティ』ってあったじゃない。それの二作目がつくられた。
M’: 『復讐の女神』!あれ、今度、ロバート・ロドリゲスですよ、監督。でも、フライヤーには、監督名ちっちゃかった。
M : クレジットはちゃんとフランク・ミラー&ロバート・ロドリゲスになってるよ。素晴らしい作品です。
M’: ロドリゲスですもんね。ロドリゲスが『シン・シティ』をどういう風に解釈したのか見てみたい。そこですよね、見どころは。
M : ロドリゲスですよ。
M’: 話し変わりますけど、今日、北京で買った『レット・イット・ビー』のブートレグ聴いてたんです。あのアルバムには『アイ・ミー・マイン』ってあるじゃないですか。
M : アイ・ミー・マイン、アイ・ミー・マイン(と口ずさむ)だろ?
M’: で、サビのところ、よく聴いてたら、アイ・ミミ・マインって歌ってるんですよ。
M : ジョン・レノンが?
M’: ミミおばさんのことですよね?
M : ミミだったら、そうだね。
M’: でも、『レット・イット・ビー』は実に凡庸なアルバムですね。スカスカ。
M : 『アビー・ロード』をラストにすべきだったよね。
M’: 『レット・イット・ビー』はポールのアルバムみたいなもんかな。
M : ポールってああいうことやりたがるね。それで、ジョン・レノンに「あいつはイーストマン家のファミリーの一員になりたかったんだ」って笑われてる。ジョンにはヨーコさんがいても、ヨーコさんも安田財閥の令嬢だけど、ドロップアウトしてるしね。で、ジョンはちょっとまちがったら水道工事人ですとヨーコさんはいっててね。
M’: ジョンはいいですよ。『レット・イット・ビー』でも、ジョンの『アクロス・ザ・ユニバース』はいい。
M : あと、ソロ・アルバムの『ウォールズ&ブリッジス』が凄くいい。あの中のニルソンと共作した曲が凄くいいんだよ。
M’: ビートルズはまだいっぱい謎があると思った。何か、けっこうイギリス特有というかアイルランド系の諧謔精神が強くて、ぼくらにはわからないことが多いかも。
M : ぼくは50になったころにアメリカのザ・バンドとかジェームズ・テイラーとかいいなと思ったけど、正直にいえば遅ればせながらなんだよ。それまでは、やっぱり20代のころは、ブリティッシュかぶれで、変に現実を凝縮したロックより、神秘主義とか錬金術とかが好きだったから、ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』に共鳴したわけだよ。決して、ザ・バンドの『ウエイト』じゃなかった。アメリカのロックには神秘主義ってないじゃない。
M’: ドアーズは?
M : ドアーズはある。『知覚の扉』だから。ドアーズとジェファーソン・エアプレインは別格ですよ。『ホワイト・ラビット』は、アリスの白いウサギだから。
M’: ピンク・フロイドの『エンドレス・リバー』は、いまも神秘主義の匂いがしますね。
M : そのリバーでいえば、ボブ・ディランが初来日したときの話なんだけど、羽田空港で記者会見があって、日本の記者は幼稚なこと聞くじゃない? で、「今回、日本で何か見たいと思ってるものありますか?」と質問した。それに対してディランは一言「リバー!」と答えた。で、ディランらしいんだけど、20秒、30秒経って、「フローティング・リバー」と言ったんだよ。直訳するど、「流れる川が見たい」と。
M’: 何か意味があるのかな?
M : 謎の一言っていっていいよね。
M’: 最近、凄く考えることがあって、何かと言うと、わかりやすく、わかりやすくという傾向になってるけど、実は何もわかってないんだろうなって。この間、ある本を読んでたら、空海の言葉で、「宇宙のすべては、文字と声である」という一行を見つけて、意味はわかんないけど、これだなって。鈴木成一さんに装丁頼みにいったとき、そう、お願いした。
M : そう。
M’: 本当は、答えは想像の中にあったんだと思うな。答えはひとつじゃないんですよ。
入店したときから店内には緩やかな時間が流れている。
時間は空間を流れるものだ。
それは生き生きとした歌声に似ている。
音楽はニール・ヤングからジョニー・キャシュの『アメリカン5』に変わっている。
リック・ルービンがプロデュースしているこのアルバムは、かつて零下30度の内モンゴルを行く車の中で聴いていた。
冷え切った体がジョニー・キャッシュの温かな肉声で生気を保った。
M’: また、ピンク・フロイドの『エンドレス・リバー』の話しなんだけど、あれ聴いてると、読む本も変わってきた。ジャスト、合うのが、『革命の倫敦』という19世紀末のロンドンを舞台にしたSFファンタジーで、テロリストがでてきたり、ロボットがでてきたり、カウボーイみたいのがでてきたり、オスカー・ワイルドが実名ででてきたり、ピンク・フロイド聴きながら読んでると、面白くて、面白くて。本だけじゃ、面白くないかも。ぼくら、ロック聴きながら、本、読んでましたよね。
M : 聴いて、読んでた。
M’: そこが、前の世代とは決定的に違う読書体験ですよ。プログレ、聴きながら。
M : いまは、そのプログレも進むべき道がないんだよ。
M’: プログレだけじゃなくて、すべてにいえるかも。オリンピックなんか、どうでもいい。進むだけがすべてじゃないし。
しばし、マスターとの酒談義に。
マスター★ ジンでもキュウリのフレーバーのがあります。
M : むかしゴードンとかもフレーバーだしてたんだよ。オレンジ・ジンというのとレモン・ジン。
M’: ジンとキュウリは相性いい。
M : それはぼくらの好きなコリアン・パンチみたいなもんだよ。
マスター★ それは?
M : 眞露をピッチャーにどどーっとそそいで、それにスライスしたキュウリとレモンいれて、あと氷だけ。あれで、ホルモンなんか食ったらサイコーだね。
マスター★ 何かで割らない?
M : 割っちゃダメ!
「店、どこも明るすぎる。明るさと高級は正比例する。高級なところには、程よい暗さがある。此処は、いい」とMはいう。
絶妙な陰翳が演出された近来稀に見る正統、格式、悠長を感じさせるバーだ。
そういうバーに出会うと、しかも、流れている音楽はニール・ヤングやジョニー・キャッシュのフォーク・ブルースとくる、嬉しさをかみしめる。
一冊の本、ひとりの人間、一枚のレコード、ひとつの映画との至福の出会いのように、一軒のバーとの出会い、さらに、そこでの新しい酒との出会いが加われば、至福感は倍増する。
M : 今日、ティム・バートンの新作見たんだ。『ビッグ・アイ』というの。サイコーだよ。ウォーホルが出てくる前、NYのアート・シーンで複製物を売る商売を考えた奴がいてね。描いてるのは本人じゃなくて女房なのね。それで巨万の富を得たけど、最後には女房に裏切られて破滅する。
M’: それ、実話?
M : 実話。原画だと一点500ドルとかするのを、複製物を一枚10ドルで売る。それをビジネスにした最初の奴なんだよ。
M’: それってさ、ダリが、ニューヨークの近代美術館じゃ、俺のポストカードが一番売れるんだって自慢してたのと同じだね。
M : 同じです。
M’: ぼくは最近、六本木ヒルズのレイトショーで、『フューリー』見ました。
M : あー、あれ、ぼく見てないんだ。
M’: なんか、ものすごい映画だった。戦車のってる連中がみんないかれてて、最後は新兵だけ生き残ってあと全員犬死に。それって『七人の侍』なら六人が惨死するっていうような話で、でも、一番驚いたのは、いっさい過去の幸せな日々とかの回想シーンがないことです。アメリカ映画が得意とする、家族や恋人と過ごした日々の美しい回想がまったくない。登場人物の素性も何ひとつわからないままっていうのも斬新だったな。存在感だけ。ちょっと、教えられた。
M : ぼくは最近、久生十蘭の『 紀ノ上一族 』を読んだのね。それはアメリカに殲滅させられる日本人移民一族の話で。昭和17年に書いてるのね。
M’: 戦時中だ。
M : だから御用文学なんです。でも、そこにいろんな比喩を織り交ぜてて、博覧強記なんだけど、久生十蘭って足穂とかに比べたら意外と評価されてないよね、何故か? でもすごいよ『紀ノ上一族』は、昭和17年にパナマ運河爆発の話しを書いているんだよ。
M’: それ、すごく興味あるな。ぼくは最近ではまた蒲田で掘り出した200円のDVD『つめたく冷えた月』! あれ、改めて見たら、とんでもない内容ですね。
M : あー、あれはいい! ぼくは公開時に最高の評価をしたよ。
M’: ブコウスキー原作でね、リュック・ベッソンが制作ですよ。でも、あれは若い女性をオヤジふたりが屍姦する話で、よく、劇場公開できましたね。
M : あれ、アリス・クーパーの『アイ・ラブ・ザ・デッド』みたいなもんですよ。ずっと、ジミヘンが流れているだろ。
M’: 絶対、テレビじゃ、放送できない。そういえば、菅原文太が亡くなって、テレビで追悼することになって、でも代表作はヤクザ映画だから、倫理的に無理だろうってもめてたけど、ぼくらの好きな現代ヤクザものの『人斬り与太』や『狂犬三兄弟』なんか100パーセント無理ですね。
M : 邦画がつまんなくなったのは、テレビ資本が入った時、終わったね。
M’: お茶の間の倫理観に支配された。
M : 欧米は映画人はテレビをバカにしてるから。
M’: テレビが世間だとしたら、大昔、聖徳太子はいってましたもんね。「世間、虚仮」って。
六本木通りの路上で、「じゃ、来年、1月12日、早雲閣で」(M)と約束交わし、別れた。
麻布十番への坂を下る。TSUTAYAのカフェは夜も遅いのに満席だ。
商店街で二軒スーパーに立ち寄ったが求める物はなく、三軒目の成城石井で見つけて購入、地下鉄駅に。
いつもなら、大江戸線で大門に出て浅草線に乗り換え三田へのコースなのだが、勘に従い、初めて南北線で白金高輪、乗り換え三田線のコースをとった。
やはり最終だった。しかも、ふたつ手前の駅で帰宅客多く、乗車に手間取り、5分遅れと構内アナウンスが告げている。
白金高輪に着き、三田線のホームに急ぎ足で行くと、すでに日吉行き終了。
三田に向かう路線の終電にギリギリ乗れた。ラストトレインで三田に運ばれ、町にでて、夜道を歩いて帰る。
翌日、長野のロック・フェスで会った元ガロのマークの訃報が届く。
命もゆくのが速い!